高校野球の雑談③ブラボー! なブラバン
♬ターターター タラララッタラー
ターターター タラララッタラー
ターターター ターターター
タッタラー タッタラー タッタラー
所用でちょっと球場の外に出ていても、この「ファンファーレ」を聞けば、「おっ、天理(奈良)がランナーを出したな」とすぐにわかる。昭和の時代なら、PL学園(大阪)の「ウィリアム・テル序曲」。そして「ツァラトゥストラはかく語りき」、勇壮な「ヴィクトリー」「ウィニング」が続く。どんな曲なのか説明はむずかしいので、ちょっと検索してみてください。便利な時代である。
ようやくコロナ禍が下火になったこのセンバツからは、声出し応援も可能になり、甲子園にようやく通常のブラスバンド応援が帰ってきた。ブラスバンドとは、厳密には金管楽器を主体として編成される楽団のことだが、日本では一般的に吹奏楽団をさす。そして甲子園では、シリーズ化したCDが人気のように、各校ブラスバンドの個性的な応援も魅力の一つだ。
PLの話を続ければ、ほかにも「アラレちゃん」や「ウィー・ウィル・ロック・ユー」などがレパートリーに加わった。いまでは多くのチームが演奏するクイーンの名曲「ウィー・ウィル〜」だが、僕の記憶では、採用したのはPLが最初だ。1987年の夏、智弁和歌山のブラバンで初めて聴いた「アフリカン・シンフォニー」にしてもそうなのだけど(実はこれも、一番最初はPLだったらしい)、素晴らしい選曲に他校が追随するのはいいのだが、どうにも"二番煎じ"感があり、迫力不足だったり、深みがなかったりする。天理のオリジナルである「ワッショイ」しかり。「タータタッタタッタタ」という、ハードロックのリフのようなおなじみの繰り返しが、徐々にテンポを速めていき、心を沸き立たせる。だけど、他校がマネをするとどうにも、軽いんだよなぁ。
まあ、PLに敬意を表してかどうか、大阪桐蔭がたまに「ウィリアム・テル序曲」をやってくれるのはうれしいが。
ブラバン事始めは日大三?
そもそも甲子園のアルプスで、ブラスバンドの応援が始まったのはいつのことか。1952年夏、日大三(東京)が1回戦を突破すると、長野県の野尻湖畔で合宿していた同校吹奏楽部に、鎌田彦一理事長から電報が届いた。1勝したので、次は応援に来るように……という内容で、8月18日、長崎商を相手に戦う日大三のスタンドには、演奏する吹奏楽部の姿があった。当時の朝日新聞に報道されたこれが、甲子園のブラバン事始めのようだ。
53年夏が初出場の津(三重)には「1勝をと、10人編成のブラスバンドが結成されました」と、同校の吹奏楽演奏会HPにある。天理のブラスバンドが、初めて甲子園の応援に登場したのは59年のセンバツ(天理高校吹奏楽部HPより)。ちなみに「ワッショイ」は、1970年に創作されたものだという。また神奈川県の大会史によると、64年夏の神奈川大会で初めて、京浜女子大横浜高と神奈川県立高校の吹奏楽連盟が合同演奏を行ったそうだ。
早稲田大の応援団で「コンバットマーチ」が作曲されたのが65年。それからすぐの70年代には、高校野球でも定番になっていた。以上から推測すると、50年代に登場した甲子園のブラスバンドが一般的になったのは、60年代中ごろから70年代にかけてではなかろうか。
名物ブラスバンドとしてはほかに、ほとんど暴力的ともいえる「レッツゴー習志野(千葉)」の美爆音、「浦学サンバ」の浦和学院(埼玉)、オリジナル曲にこだわる横浜(神奈川・柳沢慎吾の芸でおなじみ)、流れるような三重のメドレー、団員の白い制服が硬派な熊本工あたりか。そうそう、古豪でいえば龍谷大平安(京都)もこのところ充実していて、とくに、得点圏に走者を置くと流れる通称「あやしい曲」が人気だ。「水戸黄門のテーマ」のテンポに「ボレロ」の重奏低音をかぶせたような曲調で、さながら映画「ジョーズ」の音楽のごとく、相手にかける重圧をだんだん高めていく。97年夏の甲子園が初披露で、この年は長く低迷していた同校が、エース・川口知哉(元オリックス)で41年ぶりに夏の決勝に進出したから、復活を呼び込んだ縁起のいい曲ともいえる。
駒大苫小牧(北海道)もいいですね。攻撃始まりには、アップテンポのホーンに、抜けのいいスネアがからむ、オーティス・レディングの「I Can't Turn You Loose(お前をはなさない)」。そして、チャンスに流れる「駒大コンバット(チャンス)」がまた、カッコいいのだ。相手が伝令を出したとみると、演奏自体がスローになり、ピアニッシモを利かせる配慮は、このチームから始まった。
今回のセンバツでは慶応(神奈川)、東邦(愛知)あたりが目立ったし、クラーク国際(北海道)の大音量にも圧倒された。さてさて、あなたのお気に入りは?