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[高校野球]2024年のデキゴト⑤開場から100年、甲子園では過去、こんなことがあったのか!

楊順行スポーツライター
リニューアル前の甲子園(写真:岡沢克郎/アフロ)

 1924年8月1日に開場した阪神甲子園球場。今年で100周年を迎えたわけだが、おりしもちょうどその年、今年同様にパリ・オリンピックが開催されたことに気づいた人はさほど多くないのではないか。そのときのパリのメイン会場の写真に比べ、立ち見を入れて8万人収容といわれた甲子園(当時は甲子園大運動場)のスケールはちょっと途轍もない。

 その年から全国中等学校優勝野球大会(全国高校野球選手権の前身)が開催され、翌年からはセンバツも。つまり、きたる25年は、甲子園でのセンバツ100周年である。

 甲子園での記念すべき第1球は、バックネットへの大暴投だったことをご存じか。第10回全国中等学校優勝野球大会の開幕試合、北海中(北海道)の手島義美投手が演じたこのパフォーマンス、緊張をほぐすためだったといわれている。

 ただし手島は、静岡中とのこの試合で、田中一太郎に大会第1号の満塁本塁打を浴び(大会史上初でもあった)、手島はご丁寧にも翌25年、今度は東山中(京都)の加藤常雄にまたもグランドスラムを浴びた。2年連続満塁被弾は、いまのところこれが唯一だ。ちなみに春夏連続の満塁被弾となるとずっと下って2007年、唯一、広陵(広島)・野村祐輔の例がある。

甲子園に象がきた?

 100年もの長い歴史があるから、甲子園の高校野球では、ちょっと考えられない「事件」がたびたび起きる。

 たとえば、51年のセンバツ。鳴尾(兵庫)の応援団長が、なんと象に乗って甲子園に登場したことがある。甲子園のほど近くにあった阪神パークの動物園で飼育していたアジア象で、応援のパフォーマンスとして借り出すように交渉し、これがなぜか首尾よくまとまった。はかま姿の生徒が校旗を手にしてそのまま象に乗り、一塁側ファウルグラウンドを歩く姿が実際に写真として残っているから、「甲子園 象」で検索すれば画像が見つかるはず。

 その応援に効果があったかどうか、鳴尾はこの大会、準優勝を飾るが、いまでは想像もつかないできごと。高野連はいったいどれだけ激怒したことか。阪神パークは2003年に閉園。当時の象は千葉県の動物園「市原ぞうの園」に移ったというが、アキ子とキク子の2頭のうち、どちらが甲子園を歩いたのかは定かではない。

 動物関連なら、迷い込んだイタチやネコがたまにグラウンドを疾走することもあるし、98年の夏には、ネット裏特別席と三塁側特別自由席を隔てるフェンスに、2000匹を超えるミツバチが出現したこともある。このときは観客3人が刺される騒動となったが、西宮市内の業者が駆除して騒ぎは収まった。

 その2日前、日大東北(福島)と宇部商(山口)戦のこと。4対2と宇部商リードで迎えた6回裏、先頭・清水夏希の打球は、レフト方向に伸びる。懸命に追う渡辺功之。清水は、打球がフェンスを直撃したのを確認し、全力で二塁を回った。そのとき、レフトが動かないことに気づき、「どうしたんだろう?」と思いながら、三塁ベースも蹴ってホームイン。だが、球場の雰囲気がどうもおかしい。打球を追ってダイブした渡辺が、まだそのままなのだ。

 実はこのとき渡辺の右手は、フェンスのラバー下に取り付けられたブリキ板と、地面とのわずかなすき間に挟まっていた。それで動きが取れなくなっていたのだ。渡辺は「ストップ!」と左手のグラブを振りながら、プレーの中断を求めるが、残念ながらインプレー。それが清水のランニング本塁打につながった。

 それはそれとして、清水がホームインすると、ほかの外野手や橘三塁塁審が渡辺に駆け寄る。さいわい橘塁審は、救急救命士の資格を持っており、瞬時に事態を把握すると「手を動かさないで!」と的確に指示。球場職員に救出のための用具を要請し、その間スタンドも「頑張れ、頑張れ!」と渡辺にエールを送る。

 石けんを塗って腕の滑りをよくし、バールでブリキ板を持ち上げ、ブリキ板のネジを外し……約10分の作業を経て、渡辺は無事、救出された。この試合、日大東北は2対5で敗退。打った清水にとっては、高校生活での初本塁打だった。ほかにも「ワンバウンド本塁打」「4アウト事件」などの珍事について、今後書く機会がある……かもしれない。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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