「三冠王」に迫った打者たち。二冠&1厘差未満の打率2位や1打点差の打点2位、2本差の本塁打2位も
今シーズンの岡本和真(読売ジャイアンツ)を含め、打率、本塁打、打点の3部門中2部門でリーグ・トップの「二冠王」は、延べ86人を数える。1949年以前の1リーグ時代に7人、セ・リーグに43人、パ・リーグに36人だ。この人数に、延べ11人の「三冠王」は含めていない。
そのうち、二冠以外の1部門がリーグ2位の打者は23人。こちらは、1リーグ時代に2人、セ・リーグに13人、パ・リーグに8人だ。内訳は、二冠&打率2位が12人、二冠&打点2位が6人、二冠&本塁打2位は5人。二冠&2位が5度の王貞治は、二冠&3位以下も7度。1973年と1974年は「三冠王」なので、二冠以上が14度だ。
本塁打王&打点王&打率2位も、首位打者&本塁打王&打点2位も、「三冠王」に最も近かったのは、中西太だ。1956年の打率は、小数点第5位を四捨五入すると.3247。一方、チームメイトの豊田泰光は.3251。2人とも、シーズン最終戦は出場しなかった。また、1955年と1958年の中西は、いずれもあと1打点多ければ「三冠王」となっていた。ちなみに、史上初の「三冠王」は1938年秋の中島治康、2人目は1965年の野村克也。中西が二冠&僅差の2位だった時期は、この2人の間に位置する。
首位打者&打点王&本塁打2位のなかでは、1979年の加藤英司が、本塁打王のチャーリー・マニエルに2本及ばなかった。10月5日に35本目のホームランを打ち、マニエルと並んだものの、その後、マニエルが2本を加えた(加藤と同じ35本塁打のリオン・リーは、10月13日に35本目)。加藤は、首位打者2度と打点王3度――どちらも1979年が最後――ながら、本塁打王は一度も獲得していない。シーズン30本塁打以上は、この年と1975年の32本だけだ。
二冠&3位の選手では、1995年に首位打者&打点王&本塁打3位のイチローが、28本塁打の小久保裕紀と3本差だった。