Bリーグ金沢武士団、「必ず帰ってくる」。住民との約束を果たす能登の避難所での試合開催
プロバスケットボール『Bリーグ』の『金沢武士団』(かなざわサムライズ)は現在、B1~B3までのカテゴリーが存在する中、B3リーグで最下位。
ある意味、「チーム力」では、日本のプロバスケットボールで最も下に位置するチームと言えるかもしれないが、「地域密着」というフレーズで考えると、日本で最高のチームと言えるかもしれない。
◆練習拠点が避難所に。被災者に寄り添うチーム
能登半島をマグニチュード7.6の巨大地震が襲ったのは、2024年の元日のこと。最大震度は7で、各地に大きな被害をもたらした。
金沢武士団はその能登半島の中央部に位置する七尾市に、2022年夏に金沢市から拠点を移しており、選手やスタッフも引っ越して、市内の『田鶴浜体育館』などで練習を行ってきた。
地震直後から田鶴浜体育館は避難所となり、500名ほどの住民が避難してきた。
地震直後から金沢武士団は、選手・スタッフが炊き出しを行うなど、被災した住民に寄り添っている。
だが、練習拠点は使用できずチームは活動を休止。1月開催の7試合は全て中止となった。
金沢武士団の中野秀光社長は、2004年からbjリーグの新潟アルビレックスの代表取締役、2007年にはbjリーグの代表取締役を務め、2016年から金沢武士団を運営する『北陸スポーツ振興協議会株式会社』の代表取締役社長に就任している。
その中野社長をはじめとする金沢武士団は、田鶴浜体育館の避難所で様々な住民支援の取り組みを行った。
マスコミでも紹介されたので、ご存じの方も多いだろうが体育館の2階で、毎晩午後8~9時に開かれている居酒屋『語ろう亭』もその1つだ。
きっかけは、避難所のゴミ袋に多くのビール缶があったことで、役所の方によると、「避難所でお酒を飲むのは不謹慎だと思って、1人でこっそり車の中で飲まれている」とのことだった。
これは「絶対良くない」と思った中野社長は、災害関連死を防ぐためにも、語り合える場所を作ろうと決意。
役所には「金沢武士団で責任を取りますから」と『語ろう亭』を開設した。
チームのアドバイザー原島敬之さんが切り盛りする『語ろう亭』は子どもも参加できる場所で、ジュースやソフトドリンク、簡単なつまみも準備されている。
1時間限定だが、みんながワイワイ語ることで、長引く避難生活のリフレッシュの場となっている。
当初、お酒などはチームの運営会社が購入したり、被災した近くの酒屋で売り物にならなくなったお酒を仕入れたりしたが、今では『語ろう亭』の存在を知った全国の方からも届けられているそうだ。
「不謹慎かもしれませんが、『毎日イベントみたいな避難所ですね』と言われます」と中野社長。
また、避難されてきた方をいくつかのグループに分け、避難所での食事や掃除をみんなで分担することにした。
中野社長は、「おばあちゃんが作ったご飯を、みんなが『おいしい!おいしい!』と言って食べるので、ますますおばあちゃんが張り切って作っています」とうれしそうに語る。
◆住民の後押しでリーグ戦に復帰
地震直後に中野社長は、「練習場が避難所になったことで、今シーズンの継続は厳しいと思った」と語っている。
中野社長は新潟アルビレックス時代に、『新潟県中越地震』『新潟県中越沖地震』、bjリーグ時代に『東日本大震災』があり、その経験からも2023-24シーズンの活動再開は無理だと考えていた。
そんな中、比較的被害の少なかった白山市や野々市市から支援の申し出があった。
避難所で住民の方たちを支援する一方、選手たちは個人練習を続けていたが、七尾市内での断水解消のめどが立たず、環境を整えるために練習場を一時移転することを決定。選手たちも引っ越すことになった。
ただ、中野社長は「この状況で『場所があるからバスケットをやっていいのか?』と思った」と話す。
だが、「避難所のみなさんから、『とにかく、選手にバスケットさせてあげてほしい』という声が大きくなったことで、我々は行動を起こすことができた」。
そんな住民の声を受けて、チームが田鶴浜を後にしたのは1月21日のこと。
住民との別れで選手・スタッフたちは「必ず帰ってきます」と誓った。
その後、金沢武士団は、2月3日からB3のリーグ戦に復帰。
多くのチームや自治体など、様々な支援を受けて、岐阜市や大治町(愛知県)で試合を行い、ついに2月23日には地震後、初めて石川県(小松市)でホームゲームを行った。
◆被災地を訪れたBリーグの島田チェアマン
この日はBリーグの島田慎二チェアマンが被災地を視察するとともに、試合を観戦している。
島田チェアマンは試合前のあいさつで、亡くなられた方へのお悔やみ、被災された方へのお見舞い、復興に向けて活動されている方への感謝を述べた後、「改めて今回の災害の大きさを認識し、我々に何ができるかを考えさせられた」と話した。
その上で、「まだシーズン中なので、できることは限られていますが、オフシーズンになりましたら、Bリーグの選手を集めて、この地に足を運んで、被災されたみなさまに、少しでも元気を与えられる活動ができればと考えています」と、今後について語った。
あいさつの後で話を伺ったところ、「七尾市内は倒壊している家もあり、途中の道路も湾曲していて思ったよりひどかった」。
「一方で、田鶴浜で避難されている方と話をしたが、中野社長が『語ろう亭』などをされていて、みなさん元気で明るくて、それは救われた感じがした」と視察の様子を語った。
また、「ボランティアのみなさんの協力もあって、被災者の方が自炊したり、生活をみんなでやっている」。
「それを金沢武士団がサポートすることで、いちバスケチームだったのが、地域にとって必要不可欠な存在として活動していると思った」とコメントした。
現在、Bリーグも全クラブを通じて募金を集めており、日本財団を通じた能登地震被災地支援などに寄付される。
◆住民との約束。「帰るぜ!田鶴浜に」
金沢武士団は、3月30・31日に七尾総合市民体育館で、ホームゲームが予定されていたが、体育館が避難所になっているため、開催場所が未定となっていた。
そんな中、金沢市に支社を持つ『株式会社 Asian Bridge』から、チャリティマッチ開催の申し出があった。
これにより、『金沢武士団vs.しながわシティバスケットボールクラブ』戦が、4月1日(月)2日(火)にバスケットボールの聖地である『代々木第二体育館』でチャリティマッチとして開催されることが決定した。
また、この試合で得た利益は、金沢武士団への義援金、石川県に能登半島地域への復興を目的として全額寄付される。
チームの活動再開、そして石川県でのホームゲーム開催、さらには東京でのチャリティマッチ開催と、歩みを進めてきた金沢武士団だったが、まだ大事なことが残っていた。
「必ず帰ってくる」と約束した能登、そして田鶴浜への帰還。それは思わぬ形で実現することとなった。
4月6日(土)7日(日)、金沢武士団はシーズン最終戦をアウェイで、『アースフレンズ東京Z』と対戦する予定だった。
しかし、アースフレンズ東京Zはホームアリーナが改修工事のため、会場を確保することが困難な状況になっていた。
そのため、リーグと相談を重ねていたところ、「能登半島地震の復興への想いを込めた金沢武士団のホームによるチャリティーゲーム開催」という提案を受けた。
これを打診された金沢武士団は、石川県内での開催場所を検討するが、『語ろう亭』での会話の中で、「復興のシンボルを目指すならば、田鶴浜体育館での開催は?」という話が出たという。
確認したところ、インフラの復旧や仮設住宅の準備が始まり、徐々に避難所の利用者が減っているため、「体育館は地域住民の心身の健康の場所として再開する予定で、安全な設備の状態を確認出来れば可能」とのことだった。
それからは七尾市の力が結集された。七尾市長や市の職員が多方面への調整を行い、公式戦用のバスケットボールリングを七尾市スポーツ協会、七尾総合市民体育館が準備、田鶴浜スポーツクラブと田鶴浜の住民がクレーンやトラック、土台を準備することで開催にこぎつけた。
金沢武士団の公式サイトには「帰るぜ!田鶴浜に」と書かれた画像が掲出され、その開催を伝える記事の最後には、「ただいま 田鶴浜」と書かれている。また、記事にはこんなコメントも記されている。
「震災発生から3ヶ月余りにて、初の練習拠点でのホームゲーム開催は、共に被災しました選手と地域住民にとって、全国からご支援頂きました皆様からの復興支援への感謝の想いも含まれております。
復興祈願の想いの結晶を桜吹雪舞う季節に合わせ、結束と明るさを誇りに異例の避難所を創り上げた田鶴浜の皆さんが創り上げる試合会場を後押し頂けましたら幸いです。」
きっと、その日は桜の舞う中、田鶴浜は多くの人で賑わうことだろう。
長い復興への道のりは始まったばかりだが、これからも金沢武士団は能登に拠点を持つチームとして、バスケットボールだけでなく、地震からの復興支援にも精一杯取り組んでいく。