野尻智紀インタビュー。〜スランプの時代を乗り越え、今ある環境。勝負のシーズンが始まる〜
「今シーズンはSUPER GT、スーパーフォーミュラ共に複数回の優勝、表彰台に登れるように一生懸命頑張りたいと思います」
2月12日(金)、東京・青山のホンダ本社で開催された2016年の国内モータースポーツ活動計画発表会のステージで、野尻智紀(のじり・ともき)は今季の目標をシンプルな言葉で、真っ直ぐ前を向いて述べた。
今やホンダのトップドライバーの一人となった野尻智紀。2016年は「ARTA(オートバックス・レーシングチーム・アグリ)」から2年目となる「SUPER GT」GT500クラスに挑む。そして「スーパーフォーミュラ」は3年目のシーズン。チームは変わらず「ドコモ・ダンデライアン」からの継続参戦が決まった。そんな彼に2016年の豊富を聞く。
最強のチームメイト
国内最高峰フォーミュラカーレース「スーパーフォーミュラ」において、野尻智紀はホンダ勢を牽引する一人だ。2014年のスポーツランド菅生における優勝を含めて表彰台3回。デビューから2年間、苦戦が続いていたホンダ勢の中でチャンスをモノにしてきたドライバーである。2015年はリタイア僅か1回に留まり、ランキング7位を獲得した。
そんな野尻の3年目のシーズンに同じ「ドコモ・ダンデライアン」から出場することになったのが「マクラーレン・ホンダ」のリザーブドライバー(控え選手)を務めるストフェル・バンドーン(ベルギー)だ。間違いなく今季、大きな注目が集まるドライバーだろう。しかし、野尻はビッグネームの参戦に全く気おくれしてはいない。
野尻「日本だけの話ではなくて、多くの人がバンドーン選手のことを評価している中で、もし彼が本当に凄かった場合、その凄さを知れるのは僕くらいしか居ないと思うし、それを自分のチャンスに変えていきたい。成長できるチャンスは大いにあると感じています」
前向きに強力なライバルを迎えることを語る野尻だが、彼自身もバンドーンの実力は未知数だと感じている。というのも、野尻は昨年オフの横浜ゴムのタイヤを装着した初テストでバンドーンと共に走ることができなかったからだ。
野尻「まだ彼の本当の速さは全く見えてきていないので何とも言えないですが、一番は彼と共に良い結果を残すことを忘れないでやっていきたい。まず、チームメイトと良いライバル関係を築いていきたい。その上で個人的な目標を言えば、もちろんチャンピオン。3年変わらず乗せて頂いているということは、そういうことだと自分も自覚しています」
昨年のテストではチームが複数の外国人ドライバーのオーディションを行ったため、野尻はマシンに乗ることができなかった。しかし、コースサイドに行き、横浜ゴムのタイヤを装着したマシンの動きをつぶさに観察し、頭の中のシミュレーションはできている。
横浜ゴムの特性については全日本F3選手権時代に経験があるので全く未知の世界ではない。タイヤが変わることで、いったん振り出しに戻る勢力図。そんな中で与えてもらった3年目のチャンスにかける気持ちは誰よりも強い。
好感触を掴むGT500、2年目のスタート
一方でSUPER GTでは、「ARTA」から松浦孝亮(まつうら・こうすけ)と共にGT500の2年目のシーズンに挑む。今季からホンダの「NSX CONCEPT-GT」はハイブリッドシステムを非搭載にすることになり、ライバル2社のマシンと条件が近くなる。
野尻「既に(今季に向けた)テスト走行は始まっています。昨年は1年目で何もかもが分からないという状況から始まって、シーズン中もあまり走行時間があるとはいえない中でやらなくてはいけない難しさがありました。それが今季はテストを通じて自分の中で手応えを感じています。
昨年はチームの足を引っ張らないようにということを自覚してやってきましたが、今年は松浦選手と一緒にチームを引っ張っていきたいなと思っています。まだ優勝がGTでは無いので、第一の目標はそこです。なるべく早い段階でそれを達成して、シーズンを盛り上げる主役になっていきたい」
大きな手応えを感じているという2年目の野尻にとってポジティブに捉えられる要素は、昨年もタッグを組んだARTAの先輩、松浦孝亮と今年も戦えることだという。
野尻「孝亮さんから学ぶことはまだまだ多いです。一人のレーシングドライバーとしてものすごく速いと思っていますし、尊敬しています。僕の教材というか先生みたいな感じで、教わることは多いです。孝亮さんから教わっていることを全てクリアできたら、きっとチームはチャンピオンになれると思っています」
そうキッパリと語る中で、GTの話では少し笑みがこぼれた。直近のテストで得られた自身の感触が良いものだったことがうかがえる。
曇り空が晴れるまで
2014年のスーパーフォーミュラ初優勝以来、常に注目される存在になった野尻智紀。ルーキーイヤーでのセンセーショナルな優勝だったため、一気に知名度もアップしたが、そこに至るまでに足踏みを続けた数年間は意外に知られていない。今のポジティブな姿勢の野尻とは真逆といえる、苦労を重ねたスランプ時代が彼にはあった。あの当時、野尻はトップドライバーとしての現在の状況を想像できていたのだろうか?
野尻「いや、できないですよ。FCJやF3に乗っていた時、スーパーフォーミュラと併催でトップドライバーが表彰台に乗っている姿を見ても、ああ僕はあそこには乗れない人間なんだなって思っていました。何が良いのか悪いのか分からなくて、全て僕自身が悪いんじゃないかって思ってしまって・・・」
下積み時代の野尻はネガティブな発想をしてしまいがちになっていた。レーシングカートの国内最高峰「全日本カート選手権」FAクラスで2006年にチャンピオンを獲得し、17歳でトップドライバー候補生として名乗りをあげた野尻。その後、SRS-F(鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラ)を首席で卒業。2009年にはホンダのスカラシップを得て、FCJ(フォーミュラチャレンジジャパン)に参戦した。
しかし、ここからがうまくいかない日々の始まりだった。FCJは2年間戦って優勝無し。なんとかF3にステップアップすることはできたものの、カート時代には後輩の中山雄一、平川亮らの後塵を拝する苦痛の日々を味わうことになる。
本音を言えば辞めたいと思ったことは?との問いに「常に」と即答し、「そりゃ毎回、辞めたかったですよね」と笑いながら過去の自分を振り返る。野尻がフォーミュラカーレースにデビューしたのはホンダがF1から撤退した翌2009年。育成カテゴリーを戦うドライバー達が大きな希望を見出せない、モータースポーツへの世間の関心も右肩下がりの暗い時代。それでも勝てない悩みを乗り越えてきた。
野尻「カート時代に負ける気がしなかった人たちに負けて、僕はやっぱりセンス無いのかなって思って。正直言うと、レース自体が好きじゃなかった時がありました」
暗く、辛い時代を振り返る野尻は語気を強めた。
野尻「僕は勉強では一番になれなかったけど、モータースポーツでカートをやり始めたら一番になれたのでカートをやってきたんですよ。運動も喘息をもっていたから、かけっこやっても一番になれなかった。でもカートでレースをやってると一番になれるから、そこに楽しさを感じたからこそ続けてこれたんですよ。だから、勝てない日々が続いた時は、楽しくなかったですよね。
でも、結果が出ないなりに、一生懸命でした。今回は何とかやってやろうという強い思いは捨てずにやってきました。そのあたりをきっと見ていてくれた人もたくさん居たのかなと思いますね。
自分がもし人を選ぶ立場だったら、僕の成績じゃ絶対に(育成ドライバーとして)残さない。だからこそ今、与えて頂いている席(シート)に僕はすごく感謝しています」
苦労した日々、足踏みした年月があり、良い環境を得て、結果につなげたからこそ今がある。大人を蹴散らしてトップを走ったカート時代のイメージそのままに、水を得た魚のように突き進む野尻智紀。スーパーフォーミュラでは最強のチームメイトを迎え入れる刺激的なシーズン、そしてSUPER GTではプロドライバーとして良い手応えを掴んで挑むシーズンがいよいよ始まる。そんな今の野尻の目に、曇りは一切ない。
【野尻智紀】
1989年、茨城県出身のレーシングドライバー(26歳)。2006年に全日本カート選手権FAクラスで王者に。翌年、イタリアを拠点にカート世界選手権などを戦う。2008年にSRS-Fを首席で卒業し、ホンダの育成ドライバーとして2009年にFCJでフォーミュラカーデビュー。2年間のFCJ、3年間の全日本F3という長い下積みを経て、2014年に「スーパーフォーミュラ」にデビューし、初年度から優勝。「SUPER GT」では2013年から14年までGT300でCR-Zをドライブ。そして2015年からGT500クラスにデビューした。