Yahoo!ニュース

アジア人の思いを届けたい!今秋、自作ミュージカルがNYで上演された明石ももさんの挑戦

清藤秀人映画ライター/コメンテーター
明石ももさん(撮影/萩田裕二)

ミュージカルが好きで好きで仕方がない。そこで、宝塚の観劇からディズニーリゾートのイベント・プロデューサーやマスコットのキャラクター制作を経て、レディ・ガガを始めエンタメ業界に数多くの逸材を輩出しているニューヨーク大学の芸術学部に留学する。そしてさらに、卒業制作で作ったリーディング・プレイがオフオフブロードウェーで上演される。このアメリカン・ドリームを実現させてしまった人物がいる。明石ももさんだ。なぜ、彼女はそんなことが出来たのか?その理由は以下に紹介するニューヨークと日本を繋いでのオンライン・インタビューをお読みいただければ分かるはずだ。

観客の反応を肌で感じ取ったオフオフブロードウェー・デビュー

――去る9月11日に行われたミッドタウンにあるタンクシアターでの上演を終えてみて、今はどんなお気持ちですか?

明石さん 私が初めて手がけた長編ミュージカルですし、劇場に観客を入れて最初から最後まで観る経験も初めてでしたから、客席の反応を見るのはとても怖かったです。1年間、没頭して作り上げた子供のような作品なので、途中で飽きて携帯を見ている人がいたらどうしよう。インターミッションで帰ってしまう人がいたらどうしよう、とか、不安が渦巻いていました。幸い、そんなことはなく、一曲終わるごとに沸き起こる拍手が緊張を和らげてくれました。こんなにも客席の拍手に耳を傾けたことはかつてなかったと思います。

――リーディング・プレイとはどのような形式なのでしょうか。

明石さん ミュージカルではよく使われる手法です。ミュージカルはとても予算がかかるから、いくつかの段階を踏んだ最後に大道具や小道具を入れた完成形に持ち込むのですが、その前に、全体の流れを監督と脚本家が確認して、キャラクターの描き込みが足りない部分を補うのがリーディング公演です。タンクシアターのあるミッドタウン周辺はリハーサル・スタジオが固まっているエリアで、オフブロードウェーに行く前の新しいミュージカルが生まれる場所なんですよ。経済効果がありそうな作品はブロードウェーに行って、ここでは普通に利益は出せないけど、コンセプトとしてやる意義がある作品は選ばれ、劇場を無料で貸し出すというコンセプトです。

描くテーマはワールドトレードセンターの建築に関わった日系アメリカ人

――そこで、明石さんの『MINORU: Scrape the Sky』は上演を許可されたわけですね。これは、あの今はなきワールドトレードセンターの設計に関わった日系アメリカ人の建築家、山崎實のライフストーリーを描いた作品なのですが、そもそも山崎實に着目された理由は?

明石さん 作曲家のベン(NYUの同窓生、ベン・ギンズバーグ)と一緒に何を書こうかと考えた時に、2人に共通するものがいいよねってことで、日系アメリカ人なら共通するという、凄く簡単な発想からなんです(笑)。そして、ベンは凄く歴史が好きな人で、山崎實という人物を探し出して来てくれたんです。私たち2人とも、アメリカのシンボルとも言えるワールドトレードセンターの建設に日系アメリカ人が関わっていたことを知らなくて、建物はとても有名なのに、作った人は誰も知らないという、そこのギャップが面白いと感じました。

――偶然ですが、山崎は同じNYUの先輩なんですね。

明石さん そうなんですよ。それも何かの縁だなと思って。物語のメインは、彼が自分のアイデンティティとどう向き合い、日系アメリカ人としての感性をどう建物に昇華するかという葛藤になっています。

――日系アメリカ人としての感性とは?

明石さん 私の解釈ですが、ビルの計画がスタートした1960年代というのは、ビルがどれだけ高いかがテーマだった時代です。または、他のビルとは違う派手さを競い合っていた時代というか。そんな中にあって、山崎は高層ビルの建築家でありながら高いビルは建てたくないと言っていて、周りの環境とのハーモニーを大事にしていたんですね。日本の建築は自然の中にどう人間の生活を馴染ませるかだから、それはいかに当時の高層建築の概念から外れていたかが分かります。でも、それこそが彼の中に流れていた日本人の特質だと思うんです。例えば、太陽と建築の関係性とか。

――確かに、あの格子状の外壁が太陽に輝く姿が忘れられませんね。

明石さん そうなんです。2つの棟の角度を変えていて、時間によって光の反射が異なるんですよね。太陽とツインタワーがどう交わって、アメリカのシンボルとなるスカイラインを作れるか?そこを山崎が苦悩しながら考え抜くところが、物語が行き着く場所になっています。

舞台の模様。"MINORU: Scrape the Sky" Staged Reading of a New Musical

Sunday, September 11, 2022 at the Tank in New York City (Videography by Ryo Yamaguchi)

ミュージカルの作詞には独特のルールがあった

――明石さんはこの作品で作詞と脚本を担当されています。なんか、聞くだけで大変そうですが。

明石さん 母国語が日本語なので全部大変です(笑)。テクニカルな部分では作詞が大変でした。英語の作詞にはルールがあるんです。特に、ミュージカルはアメリカの伝統芸能だから、まず、韻を踏まなくてはいけない。フレーズの最後の母音が同じじゃなきゃいけないんです。その方が覚えやすいから。ディズニー・ミュージカルなどは全部そうです。むしろ、伝説的な作詞家で脚本家のオスカー・ハマースタイン2世の方が自由に作詞していますよ。だから、私は作詞の韻が載っている特別な辞書を引きながら、この表現に当てはまる言葉はどれだけあるかを探しました。その作業に1年間かかりました。

――そもそも、ミュージカルとの出会いはいつ、どこで、何とですか?

明石さん 小学生の時にたまたま同じクラスの友達が『アニー』や『ライオンキング』に子役として出演していて、それが始まりです。その後は、やはり周りの子たちが宝塚を見始めたので、それで私も好きになって、宝塚には本気で入学したくなってバレエと歌を習い始めるのですが、歌が下手すぎて、自分は舞台に立つ人間ではないと思ったんです。同時に、表には立たないけれど、ショービジネスに関わりたいと強く思うようになりました。

そして、20歳の時に初めてニューヨークを訪れた時に、飛行機代払って行って遊ぶだけで帰ってくるのは勿体ないと思って、ブロードウェーでプロデューサーとして活躍されている吉井久美子さんの記事を見て、いきなりメールでインタビューを申し込んだら快諾してくれたんです。吉井さんのオフィスはタイムズスクエアのど真ん中にあって、とにかくカッコよかったんです。吉井さんはショービジネス界で生きるのは大変だけど、人のパッションに投資する仕事だからやり甲斐があると仰ってくれて、いつか自分も関われたらいいなあと思いました。

終演後、観客の拍手に応えるキャスト&スタッフ。水色のワンピが明石さん(撮影/Lalit Pie Sritara)
終演後、観客の拍手に応えるキャスト&スタッフ。水色のワンピが明石さん(撮影/Lalit Pie Sritara)

いつも側には助けてくれる人たちがいた

――でも、その前にプロセスを踏むんですよね。

明石さん そうです。いきなりブロードウェーは怖いと思ったので、なんとなくエンタメと言えばディズニーリゾートかと思い、オリエンタルランドに入らせていただいて、ステージマネージャー、イベントのプロデューサーをやらせていただきながら、電通に出向してそこでもイベントのプロデューサーをやらせていただきました。そこで学んだことは、チームワークの大切さですね。いいチームに恵まれればいい作品ができるんです。そして、作品はストーリーが大事だと確信しました。ディズニーではミニーが旅に出るミッキーのお供としてプレゼントする縫いぐるみのダッフィー&フレンズのキャラクター作りを担当したのですが、そこにみんなが共感して、物語は作品に命を灯せる。こうして、最初は吉井さんと出会ってビジネスの意義を学んだのですが、それを最終的に爆発させるのは人の心に響く物語が書けることだと悟りました。

――そこで、NYU留学が閃いたわけですね。

明石さん はい。NYUには2018年と19年に見学に行ったのですが、ある日、ミュージカル・ライティング・コースを見学に行ったら、なんか『glee/グリー』みたいな感じで、その日、みんなが書いてきた曲をピアニストに渡して、あーだこーだ議論し合ってるのが凄くカッコよくて。ミュージカルって書くものでもあるんだと思って、そこで受けてみようと決めたんです。

――と言っても、受験は簡単じゃなかったはずです。

明石さん ええ。でも、本当にたくさんの方が助けて下さって。受験のために提出する曲の作曲をたまたまNYUに留学されていた作曲家でジャズピアニストでもある中島さち子さんが、私が書いた詩にメロディをつけてくれました。プロの作曲だから当然いい曲になるわけですよね。また、推薦文はオリエンタルランドと電通の上司が書いてくれました。私がどれだけ情熱に溢れているかを書いてくれたんですよね。もう一つ、エッセイの提出があったんですが、そこは英語の先生をしている友達から特訓を受けて、試験官にアピールするドラマチックな表現を教わりました。まさに、総動員です!(笑)

――そうやって見事、狭き門を突破したんですね。

明石さん NYUのティッシュ(芸術学部)はアメリカでも高評価の学部ですが、受験した時期がラッキーだったこともあると思います。ここ数年、アメリカのショービズ界はダイバーシティがトレンドで、アジア人が入れる傾向にあると感じています。NYUの同じ学年で日本人は3人だけで、私のいる学部は33期まであるんですが、日本人で作詞、脚本コースに入ったのは私が初だそうです。隙間産業で生きてます(笑)。

――日本にいらっしゃるご両親とご主人のご理解とサポートも重要ですね。

明石さん もちろん、そうです。本当に感謝しています。

夢はアジア人が共感できるストーリーを書き続けること

――さて、これからの夢を聞かせて下さい。

明石さん なるべく作品を描き続けたいです。私はアジア人として書く作品が多いから、アジア系の人たちと仕事することが多いんです。最近、彼らはトレンドで出演する機会に恵まれるようになってきましたが、みんな作品には違和感を感じている。例えば、『ミス・サイゴン』のヒロインはアメリカ人から見たアジア人ですよね。そうではなく、彼らは自分たちが共感できるキャラクター、作品に出たいと思ってるんです。そういう人たちが信じてくれる作品を、私は世に出したいんです。

――オフオフブロードウェーの後、『MINORU』はどういう道を辿るのが理想ですか?

明石さん できれば、アジア人のコミュニティが充実している西海岸に持っていって、そこでブラッシュアップして、もう一度ブロードウェーに戻って来られればと思っています。

以上が、1人の日本人女性がアメリカのショービズ界にすでに残した、また、残そうとしている足跡だ。明石さんの夢の実現には、いつも応援してくれる上司や仲間、同じ世界で暮らす先輩たちが関わってきたことがわかる。実物の明石さんは、本当に屈託のないお嬢さまだ。しかし、その体内には人を惹きつけてやまないマグマのようなものが燃えたぎっていることが、PCのモニター上からもひしひしと伝わった。そこが、不思議で魅力的なのだ。『MINORU』が更に成長し、次のステップアップに繋がることを心から期待したい。

明石もも/プロフィール

ニューヨークを拠点とする脚本家、作詞家。NYU Tisch(芸術学部)でミュージカル・シアター・ライティングの修士課程を修了。在学中、シューベルト財団奨学金など複数の奨学金を獲得。オリジナル戯曲『The Show Must Go On』が気候変動をテーマにした演劇祭"6th Festival"で上演される。そして、世界貿易センタービルの設計者を描いた長編ミュージカル『MINORU: Scrape the Sky』を制作し、2022年9月にニューヨークで上演される。

(Designed by Yuko Kohda)
(Designed by Yuko Kohda)

映画ライター/コメンテーター

アパレル業界から映画ライターに転身。1987年、オードリー・ヘプバーンにインタビューする機会に恵まれる。著書に「オードリーに学ぶおしゃれ練習帳」(近代映画社・刊)ほか。また、監修として「オードリー・ヘプバーンという生き方」「オードリー・ヘプバーン永遠の言葉120」(共に宝島社・刊)。映画.com、文春オンライン、CINEMORE、MOVIE WALKER PRESS、劇場用パンフレット等にレビューを執筆、Safari オンラインにファッション・コラムを執筆。

清藤秀人の最近の記事