「妊活クライシス」はなぜ起こる? どう乗り越える?
妊活の初期の段階から夫婦のズレは生じている
「女性は生理が来ることで『できなかったこと』を体感します。それが何度か続くと、『もしかしたら不妊かも』と考えるようになります。一方で夫は、自分の妻の生理周期にすら気付いていない。妻が排卵日をより正確に調べようとしたり、検査に行こうと夫に提案したりすると、妻が焦っているように感じます。その時点ですでに妊娠あるいは不妊に対する男女の差が開いているのです」と言うのは臨床心理士・生殖心理カウンセラーとして不妊治療中のカップルへの心のケアを行っている平山史朗さん(東京HARTクリニック)。
妻が不妊を疑っていても、たいていの夫は最初、「焦るなよ」「思いつめると良くないよ」「リラックスして」「そのうちできるよ」などと無責任に言ってしまうが、そのような受け答えは「夫の気遣いとしてではなく、妻からは『他人事のように考えている』と受け取られてしまう危険性がある」と平山さん。
女性には焦る理由がある。妊娠のしやすさを妊孕性(にんようせい)と言うが、30歳を過ぎたころから女性の身体の妊孕性が下がっていくことが知られている。不妊治療をするのなら、少しでも早いほうがいい。
「次によくある男性の反応は、『心配ならお前がまず行けば?』です。これも知識不足。最初から一緒に病院に行って検査をすれば、もし夫の精子に問題がある場合、より適切な治療を早く開始することができます。そして何より『自分も一緒に』という姿勢を見せることで、妻が孤独を感じ1人で思い悩んでしまうリスクを減らせます」
妊活中の女性にとって、生理が来てしまうということは、「喪失感」をもたらす。子供を失った母親と心理的には近い経験をすることになる。
「そこで『泣くな』は無理です。しっかりと悲しむ環境を作ってあげることが、夫の役割です。励まそうと思って外出に誘うのも危険です。子連れの家族を目にすれば気持ちが沈みます。未来がある若い女性を見るだけでもつらくなります。外にあるあらゆる刺激がしんどいのです」
悲しいときにはしっかり落ち込むほうが健全だ。それをしっかり受け止めるのが、夫の役割となる。しかしそれが重なると夫も困惑する。言葉にはしなくても、表情や仕草に現れてしまうと、妻もそれを感じ取る。「この人の前では悲しみを見せてはいけないのだ」と学習する。無理して平気なふりをするようになる。夫がそれに気付けないと、ふたりの溝はますます広がる。
夫婦のすれ違いはなぜ生じるのか?
「人は誰でも、いちばんつらいときに具体的にどうしてほしいだなんて言えません。ですから、元気なうちに、自分の取り扱い方を夫に説明しておくほうがいいでしょう。一方で女性からは、『夫がわかってくれない、同じ気持ちになってくれない』という訴えを聞くことがよくあります。それも無理があります。夫婦で同じ体験をしても負担感や想いは違いますから。同じ反応はあり得ないし、悲しみの表現の仕方は違うということを、前提にする必要があります」
たとえばこんなケース。
妻:卵巣刺激の注射でおなかが張って苦しいの。
夫:病院ではなんて言われてるんだ?
妻:問題ないから大丈夫って。
夫:そう。ならいいじゃん。
妻:違う!
夫:???
夫は、「医学的に問題があるなら対処しなければならないので、ちゃんと医師に尋ねたほうがいい」と、妻のことを心配して、妻のためを思って質問した。そして医師が大丈夫というなら大丈夫なんだと思って、安堵した。しかし妻としては、医師に確認することはわかりきったことで、夫には優しい言葉や心配やねぎらいの言葉を期待していた。その期待が裏切られ、失望し、怒りを感じた。そういうボタンのかけ違いが生じているのだ。
一般に、男性は「問題解決志向」が強く、女性は「人間関係維持志向」が強いと平山さんは指摘する。
「人間には問題解決志向も人間関係維持志向もどちらも必要です。しかし夫婦の一方が問題解決志向の立場から、もう一方が人間関係維持志向の立場から議論をすれば、話がかみ合うはずがありません。それが夫婦間のコミュニケーションエラーになっているケースが多い」
お互いがお互いを思いやり、歩み寄ってみると、さきほどのケースはたとえばこうなる。
妻:卵巣刺激の注射でおなかが張って苦しいの。
夫:大丈夫? 病院ではなんて言われてるんだ?
妻:問題ないから大丈夫って言われたけど、これまで経験したことがない感じだから不安に感じるの。
夫:そうなんだ、それはつらいね。何か僕にできることはある?
妻:ありがとう。ちょっとつらいって言いたかっただけだから、聞いてもらうだけで大丈夫よ。
夫:毎日注射で本当に大変だよね。代わってあげることはできないけど、○○ががんばっているのはわかっているから、つらかったら、いつでも言うんだよ。話なら聞くから。
妊活中の夫婦のコミュニケーション、3つのコツ
不妊治療が長期にわたる場合、気をつけなければいけないケースは主に2つある。
1つは感情の否認。人はあまりに長期にわたって、悲しみやつらさの中に浸っていると、自分が辛く悲しい感情を抱いていることを無意識的に無視するようになることがあるのだ。いわば感情の麻痺。
2つめは、夫婦関係の問題を不妊の問題にすり替えてしまうこと。たとえば子供がいる夫婦の場合、夫婦2人の直接の関係性は希薄化していても、子供のおかげで夫婦関係が保たれているという場合は多い。「子はかすがい」というやつだ。それと同様に、夫婦間の直接的な絆は弱まっているものの、不妊治療という共通目的があるからこそ、かろうじて夫婦関係が維持されていることもあるというのだ。あるいは「まだいない子供」という幻想にとらわれてしまうこともある。こうなると状況は深刻だ。不妊治療をやめることができなくなる。やめたときには夫婦の本当の問題に直面しないといけなくなるからだ。
客観的な立場から見れば、それが不健全な状況であることはわかる。しかし言わずもがな、当事者が客観的でいることは難しい。気付けば身動きがとれなくなっていることがある。
そうなる前に、ボタンの掛け違いを直し、夫婦関係を強固にしておかなければならない。妊活中の夫婦のコミュニケーションでの大切なこととして、「お互いの思いが違うことを恐れない」「相手の気持ちを思い込みで決めつけない」「わからないからこそわかりあえると考えると信じて、自分の気持ちを伝え、相手の思いを聴く」の3点を、平山さんは挙げる。
妊活中や不妊治療中でなくても、夫婦にとって重要な心得といっていいだろう。むしろ他人同士のほうが意識的にこれを行えるが、夫婦となるとお互いに「わかってくれて当然」「感じかたも同じで当然」と、つい考えてしまいがちになるから要注意だ。
妊活クライシスにしても、産後クライシスにしても、根本は同じ。夫婦でお互いを見つめ合い、思いやり、少しずつでも理解し理解されることを決してあきらめず、信じ合うこと。結局のところ、それに尽きる。
みんなで、ちょっとずつの想像力を持ち寄ろう
「不妊」の当事者である夫婦間でさえ、感じ方には濃淡がある。ましてや「不妊」の当事者ではない人々が、彼らの心の叫びに気付けることは少ない。いつも笑顔の同僚が、あるいは電車の中でたまたま目の前に座っている人が、もしかしたら「不妊」の当事者であるかもしれない。
だからといって上から目線の同情は不要だ。「子供を育ててみないとわからないことがある」とはよく言われるが、逆もまた真なり。「子供がいるからこそ見えなくなっていることがある」「子供がいないからこそわかることがある」。それを肝に銘じる謙虚さが必要だ。
人はみな、それぞれの立場で、多かれ少なかれ、悲しみや苦悩や不安を抱えて生きている。そんな当たり前のことをときどき思い出すだけで、見慣れた風景がちょっと違って見えてくることがある。お互いがほんの少しずつ想像力を持ち寄れば、夫婦同士はもちろん、世の中全体がほんのり優しさを増すかもしれない。