三間飛車は「さんげん」か「さんけん」か? 藤井聡太「七段」、羽生善治「七冠」は何と読む?
三間飛車は「さんげん」か「さんけん」か?
将棋の序盤で、飛車を左側の方に動かす戦法を「振り飛車」(ふりびしゃ)と言います。その中でも、自陣の左から3番目の列(棋譜の表記上は先手では7筋、後手では3筋)に飛車を移動させる作戦を「三間飛車」と言います。
2019年7月21日に放映されたNHK杯将棋トーナメント▲高崎一生六段-△里見香奈女流四冠(収録後に五冠)戦では、高崎六段が三間飛車の作戦を採用していました。
初手にいきなり▲7八飛というのはきわめて現代風ですが、三間飛車に代わりはありません。
では三間飛車という言葉は、何と読むでしょうか。読み方は「さんげんびしゃ」か。それとも「さんけんびしゃ」か?
少し前、Twitter上の将棋クラスタの間では、その読み方をめぐって熱い議論がかわされていました。
筆者の第一感は、きわめて忠実に、将棋界の伝統にのっとったものでした。すなわち、
「どっちでもええやないか」
と。いやもちろん、将棋界においても、「どっちでもええ」という姿勢が許されない問題はたくさんあります。それに関して「どっちでもええ」という態度を取ってはいけません。
しかし「さんげん」か「さんけん」か。うーん、それに関しては、別にどっちでもいいんじゃないの? 正直なところ、第一感では、そう思ったものでした。
あらかじめ強調しておくと、これは本当にどちらでもいいと思います。少なくとも、どちらが正しいという問題ではなさそうです。
その上で、歴史的にどうなのかについては、これを機会にたどってみたいと思いました。
こうした疑問に関してはまず、将棋の歴史をよく知る人に尋ねてみるのが定跡かもしれません。
そこで観戦記者の大御所である東公平さん(85歳)に電話をしてみました。東さんは博覧強記。将棋用語の出典や由来などを徹底的に突き詰めて調査し、考える方でした。そうした検証をした文章は多く残されています。
「さんげん」か「さんけん」か。東さんの回答はこうでした。
「それは考えたことないなあ。どちらでもいいんじゃないですか? 日本語だとそういうこと、ありますよね」
そうですよね。東さんがそう言うぐらいなので、まあやっぱり、どちらでもいいということは確定のようです。
古来、将棋用語の表記、読み方のぶれはたくさんあります。昔の将棋雑誌を見ると、正しいのは「詰めろ」か「詰めよ」か、「必死」か「必至」か、などなど、ファンの方からの定番の質問を、周期的に見ることができます。
この点に関して、厳しく言うとすれば、将棋界は適当でいい加減であるということです。
あらゆる将棋用語に関して、歴史的経緯をふまえ、現状をかんがみ、有識者たちが最新の統一見解を表明し、それらが常にひと目でわかるという決定版の文献は、残念ながら古今存在しません。
逆に、よく言うとすれば、そうした点に大らかで寛大なところが将棋界の伝統であり、美風であるということでしょう。
棋譜(符号)の読み上げ方として、各人で数字や駒の読み方がバラバラではないのか。そうした指摘について、今から五十年以上前の1968年、当時将棋連盟の常務理事を務めていた山本武雄八段(1917-94、没後追贈九段)はこう答えています。
やはりそれが古今を通じての、将棋界の伝統のようです。
歴史的に古いのは「さんげん」
それはそれとして「三間飛車」は「さんげん」か「さんけん」か。筆者はその読み方の変遷について、少し調べてみました。(さらに細かいことをいえば「びしゃ」か「ひしゃ」かという点もありますが、本稿では割愛します)
古来、振り飛車は多くの人々に指されてきました。大別すると、中飛車、四間飛車、三間飛車、向かい飛車に分類されます。
三間飛車の隣り、自陣の左から4番目の列(棋譜の表記上は先手では6筋、後手では4筋)に飛車を振る「四間飛車」は、古今を通じてほぼ「しけんびしゃ」と読まれるようです。まれに「よんけん」派もいますが、ごく少数でしょうか。
1804年に初めて刊行された定跡書『将棋絹篩』(しょうぎ・きぬぶるい)をのぞいてみましょう。平手(ハンディなし)の対局での、三間飛車の序盤が紹介されています。
さて、この「三間飛車」を昔は何と読んでいたのか。
国会図書館でデジタル化されているデータを検索した限りでは。古い文献としては、阪田三吉七段(1870-1946、没後贈名人・王将)が1913年(大正2年)に刊行した『一手千金将棋虎之巻』(1913年)が例として見つかりました。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935883/9
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/935883/48
「三間飛車」の「間飛車」には「げんひしゃ」とルビが振られています。
これは必ずしも、著者としての名義人である阪田三吉がそう読んでいたという証拠にはならないかもしれません。編集、出版側の人がそう読んでいた、ということかもしれません。それでも一応は、古くは「げん」と読む人が多かったという傍証の一つにはなりそうです。
他にも梶一郎五段(後に九段)が『将棋世界』誌に連載していた講座では、1938年5月号で三間飛車が取り上げられ、「げん」とルビが振ってありました。
NHK杯など、過去の映像を見る限りでは、昭和の昔はほぼ「さんげん」のようです。往年の名司会者として知られた永井英明さん(1926-2012)も「さんげん」と読んでいます。
辞書・事典では、たとえば平凡社『世界大百科事典』第2版は「さんげん」です。
「三間飛車」の項目まである辞書はあまりないですが、「三間社」(さんげんしゃ)、「三間堂」(さんげんどう)、「三間物」(さんげんもの)、「三間槍」(さんげんやり)などの項目はあり、読み方は軒並み「さんげん」です。
以上、筆者が調べた限りでは、「三間飛車」の読み方は、歴史的には「さんげん」派が古い、とまでは言えそうです。
若い世代がよく使う「さんけん」
国会図書館のデータベースは、書籍のタイトルの読み方がかなで入力されていますので、そちらも検索してみました。
「さんげんびしゃ」は大野源一九段(1911-79)の著書『振飛車戦法:中飛車・四間飛車・三間飛車』(1953年)が最も古く、全部で32件。
「さんけんびしゃ」は中田功現八段の著書『コーヤン流三間飛車の極意』(急戦編と持久戦編あり、いずれも2003年)が最も古く、全部で5件。ただし中田八段自身は普段、口頭では「げん」という読み方をしているようです。中田八段はこの戦法のスペシャリストとしても知られています。
近年では次第に「さんけん」派が増えてきました。
7月21日のNHK杯で解説を担当していた羽生善治現九段は「さんけんびしゃ」と言っていました。過去の映像を見ても、以前から「さんけん」派だったことがうかがわれます。
意識して聞いてみると、羽生世代よりさらに若い三十代前半から下の世代では、「さんけん」派がむしろ多いようです。
新聞のデータベースでふりがなを検索してみると、近年は「さんけん」派が増え、古くからある「さんげん」派と比べても、ほぼ拮抗している印象です。
もしかしたら、いずれは「さんけん」派がはっきり多数派となるかもしれません。
七間、七段、七冠は「しち」?「なな」?
過去の将棋の文献を眺めていると、たまに「七間飛車」や「六間飛車」という表記を目にすることがあります。先手から見て7筋に飛車を振るのだから七間飛車、6筋だから六間飛車と表記する方が自然でよい、という考え方もありうるでしょう。
原田泰夫九段(1923-2004)は一時期、「七間飛車」に統一しようという呼びかけをしていたこともあります(「サンケイ新聞」1977年2月7日)。
ただし、現在では「七間飛車」(あるいは「六間飛車」)という表現は、ほぼ見られなくなっています。
ところで「七間」はどう呼ぶのでしょうか。「ななけん」だと、「訓読み+音読み」のいわゆる「湯桶読み」となります。「しちけん」が正しいのでしょうか。
段位の「七段」は、公式の場では「しちだん」です。NHK杯では藤井聡太七段の段位は「しちだん」と読まれます。
同様に「七冠」は「ななかん」ではなく「しちかん」が正しい、とする見解もあります。
将棋ファンであった英文学者の柳瀬尚紀さん(1943-2016)はずっと「しちかん」が正しいと主張されていました。将棋のテレビ中継で七段を「ななだん」と読んでいたアナウンサーに対して、次のように書かれています。
稀代の碩学である柳瀬さんの言われていることですから、なるほど、それが正しいのかもしれません。
しかし筆者が知る限りでは、二十数年前の羽生七冠フィーバーから、少し前の永世七冠フィーバーを経て、現在に至るまで、ほとんどの人が「七冠」は「ななかん」、「七冠王」は「ななかんおう」、「永世七冠」は「えいせいななかん」と読んでいるようです。
また柳瀬さんが言われた通り、一般のファンの方が藤井聡太七段の段位を「ななだん」と読んでも、間違いということはないでしょう。これなどはもしかしたら「どっちでもええやないか」という最たる例かもしれません。