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若き頃の豊臣秀吉が自分を知ってもらうために行った4つの変わった方法

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
豊臣秀吉。(提供:イメージマート)

 春は入社シーズンである。新規採用、転職など、さまざまなシチュエーションがあろう。いずれにしても、上司や同僚、仕事先の人々に早く覚えてもらわないといけない。

 ところで、若き頃の豊臣秀吉は、織田信長に仕えた頃、早く人々に覚えてもらうため4つの変わった方法を行ったという。それは、どういう方法なのだろうか。

◎トイレを活用した方法

 ある日、秀吉は小姓の小便所の下に潜んでいて、わざと小姓の小便をかけられた。秀吉が「そこで小便をする者は何者か!」と叱責すると、小姓は「下に人がいるとは知らなかった。許してほしい」と詫びた。

 すると、秀吉は「知らなくて当然だ。気にしないでくれ」と許したのである。こういうことが続くと、誰もが秀吉のことを物分かりがいい男だと思い、知るようになったという。

◎蜜柑の皮と肩衣

 ある日、秀吉は小姓から蜜柑の皮をもらい、それからすぐ肩衣を着て外出し、「この肩衣は、蜜柑の皮で仕立てたのです」と説明した。

 小姓はそれがどういうことなのか尋ねると、秀吉は「蜜柑の皮を溜めておいて、それを薬屋に売って換金し、そのお金で肩衣を仕立てたのです」と説明した。この話を聞いた者は、秀吉は賢い男だと思い、その名を覚えたという。

◎竹の準備での工夫

 ある日、信長は出陣に際して、竹を必要としたので、誰に伐らせるべきか思案していた。すると、秀吉が自分に任せてほしいと申し出た。

 秀吉は竹を必要なだけ伐ると、その葉を台所衆のところに持参し、薪にするよう伝えた。さらに、余分に伐った竹は、農民に与えたのである。また、それでも余った竹は、出陣費用に充てるべく30貫文(現在の貨幣価値で約300万円)で売った。

◎馬に乗る順番

 秀吉は信長の出陣にお供するため、同僚とともに馬を1頭購入した。その際、秀吉は出陣するときは馬に半分ずつ乗ることを取り決め、日数の計算をした。

 秀吉は先に同僚を馬に乗せ、合戦のときに自分が馬に乗れるようやりくりした。その結果、秀吉は大いに軍功を挙げ、100貫文(現在の貨幣価値で約1,000万円)の知行を得たという。

◎まとめ

 ここに挙げた話は、江戸時代に成立した武将の逸話集『武将感状記』に書かれたもので、とても信が置けるものではない。しかし、仕事をうまく行う上で、創意工夫はいつの時代も必要なことである。秀吉には、こうした逸話が数多い。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『蔦屋重三郎と江戸メディア史』星海社新書『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房など多数。

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