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なぜ『新横浜ラーメン博物館』は25年ものあいだ集客し続けるのか?

山路力也フードジャーナリスト
日本を代表する観光スポット『新横浜ラーメン博物館』(写真:新横浜ラーメン博物館)

25周年を迎えた『新横浜ラーメン博物館』

3月6日、開業25周年を迎えた『新横浜ラーメン博物館』
3月6日、開業25周年を迎えた『新横浜ラーメン博物館』

 3月6日、新横浜の人気ラーメン施設『新横浜ラーメン博物館』(神奈川県横浜市港北区新横浜2-14-21 代表取締役 岩岡洋志)が開業25周年を迎えた。1994(平成6)年に開業したフードテーマパークのパイオニア。これまでに出店した店舗数は49店舗(再出店は除く)、総来客数は2,600万人にものぼる。外国人観光客の来訪も年々増えており、今では日本を代表する観光スポットとしても知られている人気施設だ。

 『ラー博(らーはく)』と呼ばれる『新横浜ラーメン博物館』の25年の歩みは、国民食と言われるようになったラーメンブームの隆盛と合致する。1990年代に興ったラーメンブームは、インターネットの普及とともにラーメン情報が拡散共有されて加速化していった背景がある。インターネットは熱狂的に日々ラーメンを食べ歩いて情報を発信する、いわゆる「ラーメンマニア」や「ラーメン評論家」なども生み出した。それと同時に、あまり知られていない地方の「ご当地ラーメン」の発掘やラーメン文化の検証など、ラー博も常に生きた情報を発信し続けた。インターネットと両輪のように、ラー博が現在のラーメンシーンを形成した一つの重要なファクターであることは間違いない。

殺伐とした新横浜を活性化したかった

1994年、開業当時の『新横浜ラーメン博物館』(写真:新横浜ラーメン博物館)
1994年、開業当時の『新横浜ラーメン博物館』(写真:新横浜ラーメン博物館)

 世界にも類をみないラーメンをテーマにしたフードテーマパークはどうして生まれたのか。館長の岩岡洋志さんはラー博のある新横浜で生まれ育った。大学卒業後に商社に就職したが、家業である不動産業へ転職。まだ街としては閑散としていた新横浜の活性化がミッションとなった。

 「当時、新横浜を目指して来る人は新幹線に乗る人くらい。オフィスビルはあったものの飲食店がほとんどなくて、殺伐とした冷たい雰囲気の街でした。わざわざ新横浜を目指して来てもらえるような場所を作りたい。新横浜という街を活性化させたいという思いが最初にありました」(新横浜ラーメン博物館 館長 岩岡洋志さん)

 最初に岩岡さんが思い描いたのが、昭和の懐かしい町の風景だった。新しい街である新横浜に、温かく懐かしい昭和の町並みを再現したら話題になって人が来るのではないか。そしてそこに飲食店を入れるとしたら、誰もが好きで気軽に食べられる庶民の食べ物「ラーメン」が良いのではないかと考えた。昭和の町並みの中で美味しいラーメンを食べられる場所を作りたい。そこから全国のラーメンを食べ歩く日々が始まり、その年月は5年にものぼった。

「実績がないかわりに熱意でぶつかった」

 日本全国でこれはという誘致したい店を絞り込んだら、いよいよラー博への出店交渉となるが、その交渉は難航を極めた。今でこそラー博をはじめラーメン店が一ヶ所に集うラーメン施設は全国各地にあるが、当時はどこにもなかった全く新しいコンセプトの施設。ラーメン店が出店に際して不安に思うのも当然のことだ。

1994年3月6日に開業した『新横浜ラーメン博物館』の前には入場待ちの長い行列が出来た(写真:新横浜ラーメン博物館)
1994年3月6日に開業した『新横浜ラーメン博物館』の前には入場待ちの長い行列が出来た(写真:新横浜ラーメン博物館)

 「何の実績もない若い僕らですから『詐欺師』呼ばわりされることもしばしばありました。しかし、断られても諦めずに何度も足を運んで、実績がないかわりに熱意でぶつかっていきましたね。開館時に出店して下さった『一風堂』の店主、河原(成美)さんにも何度も断られていて、『一度見に来て下さい』となんとか福岡から新横浜まで来て頂いたのはいいのですが、閑散とした街と工事中の現場を見た河原さんは『ここは人がいなくてダメだ』と。しかし、私たちが一生懸命準備している姿を見て、出店を決意して下さったんです」(岩岡さん)

 そして1994年3月6日、『新横浜ラーメン博物館』がオープン。札幌から福岡まで、全国のご当地ラーメンの人気店が集結した初の施設ということもあって、初日は入館するのに3時間以上も待ちが出て、さらに各ラーメン店でも2時間待ちという現象を起こした。その後、ラー博の成功を見て多くのラーメン施設や「フードテーマパーク」が出来るようになった。ラー博はそのパイオニアでもあるのだ。

25年口説き続けた店がついに『ラー博』へ

25年かけて口説いた『八ちゃんラーメン』は「平成最後の新店」
25年かけて口説いた『八ちゃんラーメン』は「平成最後の新店」

 断られても諦めずに何度も足を運ぶのがラー博の熱意。その象徴ともいえる一軒が、25周年を迎えた3月6日にオープンした『八ちゃんラーメン』だ。福岡、薬院で1968年に創業した老舗『八ちゃんラーメン』は、福岡はおろか全国でも屈指の濃度を誇る「超濃厚豚骨ラーメン」の店。専用の羽釜を使って大量の豚骨を長時間かけて炊き上げる豚骨スープは、髄が溶けるまで煮込んだパンチのある味わい。一度食べるとクセになる味わいを求めて、深夜遅くでも行列が出来る人気店だ。

 岩岡さんたちが最初にオファーしたのはラーメン博物館の開業前、1993年のこと。「支店は出さない」という店主の信念があり断られていたが、諦めることなく定期的に足を運び続けていた。そして2014年に店主が二代目に代替わりしたことから、また新たにオファーを重ねていった結果、その熱意と想いに耳を傾けてもらえるようになり今回の出店が決まった。25年ものあいだ口説き続けた熱意がついに実ったのだ。

 「二代目の橋本進一郎さんに代替わりして、まずは関係を築くことから始まり、一年ほど経過した頃にお話をする機会を作って頂きました。最初は初代の時と同様に出店は断られましたが、少しずつ私たちの想いにも耳を傾けて頂き、今回出店して頂けることになりました。出店をお願いする時はいつもそうですが、『八ちゃんラーメン』の出店が決まった時は、諦めずに25年ものあいだお願いし続けていて本当に良かったと思いました」(岩岡さん)

 本店よりも火力の強いバーナーを使って炊き上げた超濃厚豚骨スープは、まさに福岡の味そのもののクオリティ。他のラーメン施設は商業施設内にあるため、店舗でスープが炊けないことも少なくないが、ラー博では路面店と同様に現場で仕込んでラーメンを作る店ばかり。これもラーメン専用の施設だからこそ出来るアドバンテージだ。

なぜ『ラー博』は25年続いたのか

2001年開業の『ラーメンスタジアム』(福岡市)と2004年開業の『札幌ら〜めん共和国』(札幌市)
2001年開業の『ラーメンスタジアム』(福岡市)と2004年開業の『札幌ら〜めん共和国』(札幌市)

 ラー博の登場以降、全国には同じような施設が次々と生まれ、ピーク時は100施設ほどになったが、現在はその大半が閉業している。今でも集客し続けているラーメン施設といえば、『ラーメンスタジアム』(福岡・2001年開業)、『札幌ら〜めん共和国』(北海道・2004年開業)、『ラーメン国技館(現「東京ラーメン国技館 舞」)』(東京・2005年開業、2016年リニューアル)など数えるほどしかない。大半の施設が閉業を余儀なくされる中で、なぜラー博は25年ものあいだ続き、今もなお人気を集めているのだろうか。

「日本全国にはその土地の郷土料理があるように、ラーメンも各地域を代表する特長的なご当地ラーメンがあります。このラーメンの食文化を世界に広げるという使命のもと、私たちはこれまで10,000店以上のラーメン店を食べ歩き取材をしたうえで、私たちの考える基準に合致したお店に誘致交渉してきました。断られることも多々ありますが、『このお店』と決めたらどんなに時間がかかっても口説き続けてきました。私たちが25年間で誘致し紹介したラーメン店はわずか49店ですが、この誘致基準が私どもの根幹であり、25年間ブレないで続けられたことが、25年間続いている一番の理由だと思います」(岩岡さん)

『ラー博』が他の施設と決定的に違う点

『新横浜ラーメン博物館』館長の岩岡洋志さん
『新横浜ラーメン博物館』館長の岩岡洋志さん

 ラー博が他の施設と決定的に異なる点は、ラー博は単体で入場料も取る施設であることだ。しかし、その後次々と出来たラーメン施設はどこも商業施設内に存在し、入場料も必要がない。これは一見後者の方が集客にアドバンテージがあるようにも思われるが、その商業施設の集客力に左右されるということであり、裏を返せばラーメン施設そのものに力がなくとも、ラーメンブームのあいだは存在出来た。2000年初頭のラーメン施設ラッシュに出来た施設が、数年経って次々と閉館に追い込まれたのは、施設そのもののコンテンツを磨くことを疎かにした部分も大きいのではないかと思うのだ。

 そしてラー博はラー博そのものが「観光地」であり「目的地」であるのに対し、他の施設は平たく言えば「ラーメンに特化したレストラン街」にすぎないという点だ。そして、この違いは客層に如実に現れる。入場料まで払ってラーメン博物館内にいる人達の目的は、ラーメン博物館そのものであり、当然のことだがラーメンを食べようと考えている人達ばかりで、さらには何杯か食べ比べようとまで考えている。

2019年夏にはギャラリーもリニューアル予定。ラーメン文化を調査研究して発信する役割も担っている
2019年夏にはギャラリーもリニューアル予定。ラーメン文化を調査研究して発信する役割も担っている

 しかし他のラーメン施設内にいる人達の目的は、買い物だったり映画だったりラーメン以外にあり、お昼にラーメンでも食べようか、くらいの目的意識しかない。よって施設内でラーメンを食べ比べようなどと考える人はほとんどいないし、場合によってはラーメンを食べずに施設外のピザやうどんを食べてしまうかもしれない。結果として、施設内のラーメン店同士で客の取り合いになったり、セットや安売り合戦になったり、一ヶ所で色々な美味しいラーメンを食べられるというラーメン施設本来の楽しさが薄れてしまうのだ。

 「私たちはオンリーワンの施設でありたいと開業当時から考えていましたが、同じような施設が出来たということは、私たちがやってきたことが良い方向だったとの証ですから、嬉しいことではあります。しかしながら、ピーク時は100施設近くあったラーメン施設が、残念なことにほとんど淘汰されているのを見ると、ビジネスモデルとしては難しいものなのだと感じています。私たちはビジネスモデルを作ろうと考えていたわけではなく、ラーメンを世界中に広げたいという想いが、結果的にビジネスモデルと捉えられて類似施設が出来たのだと思います」(岩岡さん)

「2023年には欧州にラー博を作りたい」

「逆輸入ラーメン」の『無垢-muku-ツヴァイテ』と『RYUS NOODLE BAR』
「逆輸入ラーメン」の『無垢-muku-ツヴァイテ』と『RYUS NOODLE BAR』

 ラー博のアドバンテージは、ラーメンへの情熱から生まれる圧倒的なラーメン情報量にもある。日本全国はもちろん海外のラーメン事情も常にキャッチして、2011年頃からは定期的に海外調査も実施。そして現在では海外の人気ラーメン店を誘致する「逆輸入」も行っており、2013年から5店舗の「逆輸入ラーメン店」を誘致。現在も『無垢-muku-ツヴァイテ』(ドイツ・フランクフルト)と『RYUS NOODLE BAR』(カナダ・トロント)の2店舗がラー博内で営業している。これも他の施設にはない取り組みだ。

 平成という時代にラー博が生まれ、空前のラーメンブームを巻き起こした。平成が終わり新たな時代を迎える中で、ラー博は何を目指しているのだろう。

 「私たちはラーメンの歴史や文化を、100年後の人々に言い伝えられる施設を目指していきます。中国の麺料理がどのようにしてラーメンへと変わっていったのか、各地域のご当地ラーメンや影響を与えた名店はどのように誕生し普及していったのかを、史実を元に調査、研究、発表していきます。その第一歩として7月予定でギャラリーをリニューアルいたします。また、日本の食文化としてのラーメンを世界に広げるべく、2023年を目処に欧州にラーメン博物館をオープンする予定です」(岩岡さん)

 「ラーメンの食文化を世界へ」ラー博の挑戦はこれからも続いていくのだ。

【関連記事:新横浜ラーメン博物館が海外のラーメンを続々と「逆輸入」する理由とは?

※写真は筆者の撮影によるものです(出典があるものを除く)。

フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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