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世界と差を感じプロ転向 齋藤直人、初の日本代表ツアーで触れた凄い「準備」【ラグビー旬な一問一答】

向風見也ラグビーライター
スクリーンショットは筆者制作

 サントリー所属で、今年6月にラグビー日本代表としてテストマッチ(代表戦)デビューを果たした齋藤直人が8月までに取材に応じ、5月下旬からの国内合宿、6月中旬からの欧州遠征を振り返った。

 2019年度の早稲田大学主将として大学日本一に輝いた齋藤は、豊富な運動量と接点からの素早く正確なパスワークが持ち味のスクラムハーフだ。

 学生時代から代表候補入りし、今年6月26日、エディンバラ・マレーフィールドでのブリティッシュ&アイリッシュ・(B&I)ライオンズ戦を初のテストマッチとした(10―28で敗戦)。

 デビュー戦から持ち味を発揮し、続く7月3日にはダブリン・アビバスタジアムでのアイルランド代表戦で初先発を果たした(31―39で敗戦)。

 語る言葉は簡潔かつ明快。神奈川・桐蔭学園高校時代から日々ノートをつけており、濃密な振り返りができる。今回の合宿では、そのノートが代表チームにフィットするためのツールにもなったとうかがえる。取材では、社員選手からプロ選手に転じた背景も語っている。

 以下、単独取材時の一問一答の一部(編集箇所あり)。

——今回の代表活動を振り返って。

「まずは(テストマッチで)デビューできたことが嬉しかった。それと、色々と明確になったと思いました。課題もそうですし、自分が求められていることに対して自分ができていることと、まだまだ足りない部分とが。

日本代表が勝つのにはスピード(が必要)。アタックがスピードを生むという意味では、ハーフの速いテンポが鍵になると思っていて、そこは自分の強みとも一致しているところがあるなと思っていて、(試合で)そこが出せた部分もあったので、自分の武器になる。ただ速いだけじゃなく判断も伴ってくるので、そこは伸ばしていかなきゃいけない」

——「求められている」ことと言えば、国内合宿中の会見で「タフさ」が求められると話していました。

「(練習の)強度自体が高く、何人か怪我をする選手も近くで見たので、まずは自己管理(が大事)。練習に参加できなければ選考の段階にも入れないというのは、合宿の序盤で感じました。

スケジュール的にも本当にタフで、(首脳陣には、それぞれ)きついなかでもどういうことができる選手なのかを見られていたと思う。運動量は自分の持ち味だと思っているので、練習中に絶対に誰よりも走って、日によって練習の最後にあるフィットネスも意識してやっていこうとしました。

練習の強度は予想以上。最初の3日間くらいは、身体(の酷使)と緊張の両面からくる疲労みたいなものが凄かった。ただ、徐々に身体が慣れてきたところもありましたし、練習と練習の合間、もしくは練習後、部屋でぼーっとしている時に『ここ(代表)でやれるって幸せだな』って思う瞬間があって、そのたびに『また明日も頑張ろう』と思えました」

——チームの方針や首脳陣の指向について、サントリーにいる代表選手から予習することはありましたか。

「そこについてはあまり聞いていませんでした。(ラグビーの)システムについては(流)大さんに聞こうとしていたのですが、ちょうどトップリーグのシーズン中でしたので(代表のことで時間をもらうのは難しかった)」

——ノートはつけていたましか。

「覚えることがたくさんあって。試合の週はサインとか。国内合宿のうちはサイン以前に覚えるシステムとかがありました。ミーティングはもちろんノートをとっていて、他にはジェイミー(・ジョセフヘッドコーチ)、ブラウニー(トニー・ブラウンアタックコーチ)が練習中に言っていることも極力、覚えておいて。

 最初は何でも吸収しようと思っていました。首脳陣は『これをする』と提示した時に『何でそれをやるか』『何で必要か』を喋ってくれる。それらは自分の理解を深められる要因になりました」

——4年に1度しか編成されないB&Iライオンズとの一戦でテストマッチデビューを果たしました。0―28で迎えた後半10分に登場後、攻めのテンポがあがったような。もちろん、齋藤選手と同時に出場したフォワードの選手の推進力も際立っていましたが。

「僕的には、周りがゲイン(突破)してくれたんでやりやすかった。(B&Iライオンズ戦が初陣だったこと)はすごいことだとわかっていたんですが、その実感はなくて。むしろ、ツアーをやっているいま(取材時)、J SPORTS(スポーツ専門チャンネル)やYou Tubeとかで流れているB&Iの歴史についてのものを観ると、改めて光栄なことだったんだと思います」

——アイルランド代表戦では初先発を果たします。

「アイルランド代表戦の前は、(スタンドオフの田村)優さんと一緒に映像を観ながら準備をさせてもらった。いままで自分がやっていなかったような、より試合を想定した準備をしていた。代表の人にはこういう準備が必要で、そうしてきたんだと思いました。ただ単純にサインを確認するんじゃなく、より具体的に――『絶対』ということはないですけど――『このエリアでこれが起こったら、基本的にはこれをやる』というものを明確にしていた。

 カード(退場処分、一時退場処分)が出ない限りは、試合のプランは決まっている。そのプランについて、ハーフ団(スクラムハーフ、スタンドオフの司令塔団)で抜けているところ、認識のずれがないように準備するのが印象的でした。その意味では、自分の準備にはまだまだやれる部分があったなと思いました。

 1週間を通し、(ひとつの動きを)試合で自信を持って臨めるくらいになるまで何回も繰り返しました。それでも試合中、僕がテンパっちゃったこともありましたけど、本当に抜け目のない準備ってああいうことを言うんだなと、初めて思いました」

——田村選手はどんなスタンドオフだと感じましたか。

「めちゃくちゃ指示してくれて、自分の判断に余裕が持てる。一方、僕の判断も尊重してくれる。『自分で行けると思ったらどんどん行っていい』と。早い段階での声掛けが助かる。それがあることで、自分も一歩、速い判断ができる、判断に余裕が持てる」

——試合を終えるやまもなく帰国。ホテル、自宅での隔離期間がそれぞれ1週間ずつありました。サントリーの代表選手はホテル隔離中もオンライントレーニングをされていました。

「何が理由かわからないですが、ホテル隔離の時は時差ボケも治らなくて、全然、寝つけなかったことがあったんです。それで、ちょうどおこなわれていたB&Iライオンズ戦、サッカーのユーロ(いずれも日本時間深夜に放送)も観られたんですが。

時差ボケは、U20(20歳以下日本代表の関連活動)や大学で海外に行った時は、あまりなかったことです。隔離が明けて外で運動ができるようになってから、やっと正しい時間に寝られるようになりました」

 現在は秋の代表活動への招集を目指し、フィジカリティの見直しと首脳陣から受け取ったレビューに基づくスキル練習をおこなっているという。

「9番(先発の背番号)着て試合に出たいというのは常に強く思っています」

——そう言えば所属先のサントリーでは、入社1年弱で社員選手からプロ転向しています。意図をお聞かせください。

「大学生の時は、『いずれ(プロに)なれたらいいな』くらいだった。ただ、社員としてサントリーに入る直前にサンウルブズに行ってみて(2020年の冬から春にかけ、日本のチームの一員として国際リーグのスーパーラグビーに参戦)、世界との差みたいなものを感じて、それと同時にあの舞台にもう1度挑戦したいと強く思った。ただ、いまの時点で差があるのに、あの人たち(海外の選手)はプロとして活動していて、自分が会社員としてやっていたら差が縮まるどころか開いていくだろう…。そう思ったのが(早期のプロ転向を目指した)一番の要因です。チームが理解を示してくれて、そこは本当に感謝しています」

 列強の猛者に追いつけ追い越せ、である。2023年のワールドカップフランス大会、さらにはそれ以降も日本代表のレギュラーでいられるよう、丁寧に日々を過ごす。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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