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アンネ・フランクをナチスに売り渡した裏切り者は誰だ? 6年に及ぶ調査で判明

木村正人在英国際ジャーナリスト
アンネ・フランクの生前の写真(写真:ロイター/アフロ)

[ロンドン発]アンネ・フランクと家族をナチスに売り渡した裏切り者を特定する6年に及ぶ調査結果をまとめたカナダ人伝記作家ローズマリー・サリバン氏の著書『アンネ・フランクへの裏切り』が出版されることになり、裏切り者の名が特定された。英紙デーリー・テレグラフや米紙ニューヨーク・タイムズなど欧米メディアが一斉に報じた。

『アンネの日記』で知られるアンネ・フランクは1929年6月、ドイツのフランクフルトで生まれ、その後、家族でアムステルダムに移住した。39年9月、ドイツ軍のポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発。40年5月、ドイツ軍はオランダにも侵攻する。42年7月、3歳年上の姉マルゴットにナチス・ドイツの労働キャンプへの召集令状が届いた。

アンネ姉妹と両親、他の4人はアムステルダムの運河にある倉庫の隠れ家に潜伏。アンネは13歳の誕生日にもらった日記を書き始める。44年8月、隠れ家の住人は警察に見つかり、逮捕される。アンネ姉妹はベルゲン・ベルセン収容所へ送られ、発疹チフスで死亡。隠れ家の住人で生き残ったのはアンネの父オットー1人だった。

ナチス親衛隊SS将校ユリウス・デットマンはアムステルダムの運河にある倉庫にユダヤ人が潜んでいるとの情報を入手。「ユダヤ人狩り部隊」は倉庫でアンネら8人のユダヤ人を発見する。彼らは本棚の後ろの隠れ家に25カ月間も潜んでいた。47年と63年に行われた2回の公式調査でも誰が裏切り者かは謎として残された。

2016年、オランダの映画監督とジャーナリストが元米連邦捜査局(FBI)特別捜査官をリーダーとする23人の未解決事件チームを結成。犯罪学者、行動科学者、データサイエンティスト、サリバン氏も加わり、プロファイリングやフォレンジックを駆使して裏切り者をあぶり出していく。

SSや「ユダヤ人狩り部隊」が偽造配給カードや労働違反を探すため倉庫を訪れ、床に残された跡から移動する本棚の後ろの隠れ家を偶然見つけたという説もある。「疑わしいほど詮索好きな」倉庫長、副倉庫長の妻、アントン・アーラーと呼ばれる日和見主義者、元従業員、フランクを匿っていた会社員の妹でナチスのシンパが浮かび上がる。

未解決事件チームは、アンネの家族を匿い、アンネが書き残した日記を保存した従業員の1人が1994年にアメリカで行った講演会で、裏切り者を知っており、裏切り者は60年までに死亡したと打ち明けていたことを突き止めた。

63年の捜査ファイルの中に、父オットーが45年にアウシュビッツからアムステルダムに戻った直後に受け取った匿名のメモが含まれていた。それにはナチスが設立したアムステルダムのユダヤ人評議会メンバーで公証人のアーノルド・ファン・デン・バーグの名が記されていた。当時アムステルダムにいた6人のユダヤ人公証人のうちの1人だった。

ファン・デン・バーグは没収された美術品をナチス幹部に売り、SSやナチスの幹部とも良好な関係を持っていた。家族とともにホロコーストを生き延びていた。

48年、ファン・デン・ベルグがドイツ軍への協力を理由にユダヤ人名誉裁判所から断罪された後、オットーはオランダ人ジャーナリストに「われわれはユダヤ人に裏切られた」とファン・デン・バーグの正体を知っていることをほのめかしていた。その2年後、ファン・デン・バーグは咽頭がんで亡くなった。

アンネとその家族をナチスに売り渡した裏切り者の名が歴史に埋もれてしまったのは、ユダヤ人が他のユダヤ人を死に追いやったという事実が明らかになれば反ユダヤ感情を煽ることになるという配慮が働いたからか。それともファン・デン・ベルグもナチスから家族の命を救わなければならなかったことへの慈悲からだろうか。

(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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