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ベルルスコーニをうっちゃった改革の旗手レッタ首相

木村正人在英国際ジャーナリスト

議員資格剥奪

脱税で有罪が確定したベルルスコーニ元首相について、イタリア上院委員会は4日、議員資格の剥奪を可決した。

約2週間後に上院本会議で承認されれば、約20年にわたってイタリア政界に影響力を行使してきたベルルスコーニの政治生命は事実上、終止符を打つ。

2日、ベルルスコーニが現在の連立政権を崩壊させる力を失ったことが明らかになってから、イタリアの株式市場だけでなく、ベルルスコーニが築き上げたメディア帝国の中核企業メディアセットの株価も上昇に転じている。

イタリア改革の旗手レッタ首相(木村正人撮影)
イタリア改革の旗手レッタ首相(木村正人撮影)

議会での信任投票でベルルスコーニと対決し、自壊に追い込んだレッタ首相はイタリアの戦後政治史上3番目に若い首相で、現在、47歳。

総選挙後のベルサーニ氏率いる民主党とベルルスコーニの自由国民のにらみ合いで政権樹立どころか、大統領も決めることができなかった。事態収拾のため、異例の2期目を引き受けた88歳のナポリターノ大統領が穴馬だったレッタ首相に白羽の矢を立てた。

レッタ首相のおじさんがベルルスコーニの側近中の側近であることから、民主党と自由国民のつなぎ役として適任とナポリターノ大統領が見込んだからだ。連立を組む前にレッタ首相はベルルスコーニとサシで2時間、密室協議を行っている。

欧州統合の原点

しかし、首相指名を受けるとき、レッタ首相は大統領官邸に愛車のフィアットを自ら運転して乗り付けるなど、イタリア政治の代名詞である「お抱え運転手と自動車行列」の悪弊と決別する姿勢を明確に示した。

現在は中道左派の民主党に属するレッタ首相は中道右派の旧キリスト教民主党の政治家としてスタートした。「財政規律と構造改革」一辺倒のメルケル独首相とは一線を画し、政策の軌道修正を求めている。

その意味でメルケル嫌いのベルルスコーニと気脈を通じているのではと民主党内から批判を浴びせられているが、ベルルスコーニと明らかに違うのはレッタ首相が熱烈な欧州統合の信奉者という点だ。

レッタ首相は今年7月、ロンドンの英王立国際問題研究所(チャタムハウス)で講演した際、欧州統合論者になったきっかけについて、ヴェルダンでの独仏和解を挙げた。

コール独首相とミッテラン仏大統領は1984年9月22日、フランス軍36万人、ドイツ軍33万5千人が命を落とした第一次大戦の激戦地ヴェルダンを訪ね、両国の友好を誓った。

軍人墓地の棺台の前に並んだミッテラン大統領が手を差し伸べると、コール首相が握り返した。2人は数分間黙って手を握り合った。演出ではなく、自然な感情の発露だった。

欧州統合の礎となる歴史的なシーンにレッタ首相は心を動かされたという。

1998年ダレーマ政権で欧州問題担当相として初入閣し、ユーロ導入準備に追われた。当時32歳だったレッタ首相はイタリアでは戦後最年少の閣僚。プローディ政権では官房長官を務めるなど、早くから頭角を現した。

差別発言は許さない

レッタ首相は年老いた特権階級に支配されたイタリア政界を改革するため、自由国民との連立という制約の中で女性と清新さを内閣に吹き込んだ。その象徴が女性でイタリアでは初の黒人閣僚となるケンゲ移民融和担当相だ。

しかし、ベルルスコーニ政権下で制度改革相を務めた上院のカルデローリ議員(北部同盟)はコンゴ出身のケンゲ担当相に対して「ケンゲの写真を見ると、オランウータンを思い出さずにはいられない」と、とんでもない人種差別的な発言を行った。

レッタ首相は、チャタムハウスでの質疑で「イタリアの恥だ。イタリア国民は彼と同じではない。ケンゲ担当相の存在こそイタリアが近代国家であることの証だ」と断言した。

イタリアと日本の未来

筆者もレッタ首相に「日本とイタリアには非常に多くの共通点がある。敗戦、復興、経済成長、そして停滞と巨額の政府債務。今、日本は財政出動と金融緩和、成長戦略を組み合わせたアベノミクス、イタリアは財政再建と正反対の道を進んでいる。2つの国の未来をどう判断しますか」と質問してみた。

レッタ首相の答えは明確だった。

「日本はアジア連合の一部ではないことが大きな違いだ。イタリアはEUの一部で、私たちは単一通貨と統合された中央銀行を持っている。イタリアはEUのプロセスの中にいなければならず、政策を共有している。英・北アイルランドでのG8首脳会議で安倍首相にイタリアでアベノミクスを紹介するよう招待した。日本の成長は世界の成長につながるので安倍首相を支持する。アベノミクスの成功が欧州の成功にもなることを願っている」

自由国民の分裂

2日の内閣信任決議をめぐって、早期解散・総選挙を望まない自由国民の20数人がベルルスコーニに造反して、レッタ内閣支持を表明。その中に、ベルルスコーニが後継者に指名していた腹心アルファノ副首相も含まれていた。

アルファノ副首相は新党結成を示唆。ベルルスコーニは自由国民の分裂を防ぐため内閣不信任の方針を180度転換して、信任票を投じた。この20年間でベルルスコーニがここまであからさまに政治的な屈辱を味わわされたのは初めてのことだ。

おそらくベルルスコーニの切り札は長女マリーナさん(47)だろう。イタリア世論の中には「これは左派の策略だ」というベルルスコーニの主張に耳を傾ける人は少なくない。

マリーナさんが登場すれば、親の敵討というオペラさながらの展開となる。敵役はレッタ首相という構図だ。ただ、今のところマリーナさんは政界進出の可能性を全面的に否定している。

イタリアの悪夢

ベルルスコーニは、掃除機のセールスマン、ナイトクラブの歌手から住宅販売、ケーブルTVを手がけ、1代でメディア帝国を築き上げ、人気サッカークラブACミランを所有するまでになったイタリアの今太閤だ。

1994年の総選挙でACミランに対するサポーターの声援から取った新党「頑張れイタリア」を結成して右派勢力を結集、既存政党への不信から来る政治空白を埋める形で首相に就任した。

ベルルスコーニの登場で政治家の言葉はメディアを通じエンターテインメントになった。イタリア国民がベルルスコーニのビジネス手腕に停滞するイタリア経済の未来を託したのも、また事実だった。

テカテカのセールスマンがイタリアに残したものは腐敗と縁故主義、未成年者買春が絡んだ「ブンガ・ブンガ」パーティー。英誌エコノミストのビル・エモット前編集長は、ベルルスコーニ的なものを「バッド・イタリア」と名付けた。

「グッド・イタリア」のレッタ首相は第1幕の決闘で「バッド・イタリア」を分裂させ、主役のベルルスコーニを退場させた。ベルルスコーニはおそらく脱税の刑罰として自宅謹慎することになるが、一寸先は闇のイタリア政界、第2幕がどんな展開になるのかは予想もつかない。(おわり)

在英国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。masakimu50@gmail.com

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