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冬の海釣りで救命胴衣を過信してはならない理由とは

斎藤秀俊水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授
冬の海釣りは怖い(筆者撮影)

 冬の海釣りのシーズンです。毎年、この時期になると冷たい海に転落して釣り人が亡くなります。昨日、兵庫県で亡くなった女性は救命胴衣を着装していたにもかかわらず命を落としました。この時期の海釣りで、救命胴衣を過信すると思ってもない結果に終わることがあります。なぜでしょうか。

救命胴衣着装でも死ぬことが

夫婦で磯釣り中…妻が波にさらわれ死亡 夫が助けに向かい海へ入り「低体温症」に 当時海域では2.5mの波か 兵庫・香美町 (MBS NEWS 12/16(土) 16:29配信)

夫婦は、岩場で朝早くからライフジャケットを着て釣りをしていましたが、午前8時ごろ、妻が高波にさらわれ海に転落し、助けようとした夫も妻をかかえたまま沖に流されたということです。 (関西テレビ 12/16(土) 21:26配信)

 このシーズンの釣行における特徴、「救命胴衣を着装していたにもかかわらず。」端的に理解すれば「体温が冷たい海水によって低下したため」体力を失ったとすることができるのですが、事態はそれほど単純ではありません。救命胴衣を着装していたことによる過信が命を落とす結果につながったと言えます。その理由は次の通りです。

救命胴衣を過信してはならない

理由1

 知床観光船の事故で散々話題になりました。冷水中では人間は生きていけないのです。

 救命胴衣を着装していれば、とりあえずは顔を水面に出して呼吸をすることができるのですが、水温が17度を割ってくると、そのような水中で長時間にわたり生命を維持できなくなります。知床観光船が沈んだ時の水温とほぼ同じような水温の海水に手をつけるとどうなるかは、次の記事を参考にしてください。

冷水の知床観光船事故 なぜ、乗客は「ういてまて」なかったのか

 冬の海では「救命胴衣を着装しているから大丈夫」は成り立ちません。

理由2

 救命胴衣は顔に向かってずり上がってきます。人がさらわれるような高い波では特に危ないのです。

 陸上にいる時からかなりしっかりと緩みないように締め付けない限り、救命胴衣は水中で顔に向かってずり上がってきます。動画1をご覧ください。救命胴衣の裾をしっかりと締めるための「リブライン」と呼ばれるヒモやベルトをしっかりと締めずに水に落ちてしまうとこうなってしまう恐れが高くなります。

動画1 リブラインを締めずに水中に飛び込むと救命胴衣が顔に向かってずり上がる(筆者撮影、33秒)

 一度ずり上がった救命胴衣を水中にて元に戻して顔をしっかりと水面に出すことはほぼ不可能です。むしろ顔が隠れることによって十分な呼吸を確保することができず、極めて短時間のうちに呼吸困難に陥ることになります。

理由3

 波が高いと、水中で救命胴衣がより速く緩みます。

 では、救命胴衣をしっかりきつく緩みのないように装着すればいいかというとそうでもありません。昨日の事故のように波の高さが2.5メートルというと、海面にて身体が波に伴いかなり激しく上下します。当然、救命胴衣と身体の海水中での浮力は大きく違い、救命胴衣の浮力が断然高いわけですから、波が高くなる時に救命胴衣が顔の方に向かってずり上がろうとします。最初はきつく締めてあったとしても、何度もそれを繰り返すうちに緩み、徐々に救命胴衣がずり上がります。

 救命胴衣を着装した状態での浮遊訓練を波のない穏やかな海でしかやったことがないのであれば、釣りは波のない穏やかな海で楽しみましょう。

理由4

 波が高いと口や鼻から冷たい海水を吸ってしまいます。救命胴衣で浮いて救助を待つ時にそれを防ぐ方法が一般人には知識として普及できていません。

 ただでさえ身体を低体温にもっていこうとする冷水。厚着を着ることである程度は皮膚からの冷えを抑えることができます。ところが波が高いと鼻や口を冷水が容赦なく襲います。呼吸の度にそのような冷水を間違って飲んでしまいます。このようにして内側からも身体を冷やされてしまいます。

 では、救命胴衣で浮いている時にどのようにして鼻と口を冷水から守るかと言うと、「教科書的」には図1の通りです。

図1 救命胴衣着装で水面に浮いている時に、冷水から鼻や口を守る方法(筆者撮影)
図1 救命胴衣着装で水面に浮いている時に、冷水から鼻や口を守る方法(筆者撮影)

 要するに、手のひらを使って波の度に襲い掛かる冷水が鼻や口に直接入らないようにするわけです。

 ここから救命胴衣を過信してはいけない最大の理由の説明が始まります。実は、図1のような格好をして教科書的に水面に浮くことが極めて困難なのです。動画2をご覧ください。この実験では、水着の状態でサンダルを履いています。教科書的に救助を待つ姿勢をとってみました。

動画2 救命胴衣を着装して教科書的に浮いて待とうとしてもできない(筆者撮影、1分48秒)

 動画の通り、救命胴衣の着装状態で教科書的に浮こうとすると身体が回転してしまい、うつ伏せになってしまいます。釣りでよく使用するブーツと厚手のズボン、さらにカッパを着た状態で同様のことをすると、さらに回転しやすくなります。

 動画2は、何がいけないのか確認するために最も単純な格好で実験した結果です。つまり「足が浮きやすくなること」で教科書的な待ち方の姿勢が取れなくなってしまうことが判明しました。

 どうやったら回転しなくなるかと言うと、両手を広げて足を少し開き気味にして「大の字」にならないとなりません。でも大の字では体温を冷水に奪われやすくなりますので、冷水中で救助を待つという状況としては不利な方向に向かってしまいます。

 今の救命胴衣の原型と漂流方法が確立された昔は履いていた靴が水に沈んだ時代だったので、動画2の姿勢では頭が水面に対してほぼ垂直になったので教科書的な待ち方が提案されたのでしょう。でも時代が進み靴が水に浮くようになって、衣服内にも空気がたまるようになって、昔通りにはいかなくなっているのです。

さいごに

 冬の海釣りには、命をかけていくものだという認識が必要です。もともと荒れていれば近づかないのに、ついつい春のような陽気に誘われたとか、救命胴衣を着ているから大丈夫だとか、変な過信は命取りです。

 穏やかな海が急に荒れることも今の時期は普通にあります。そのメカニズムについてはこちらにて説明しています。

釣りで立ち入るには新潟の防波堤は怖い

水難学者/工学者 長岡技術科学大学大学院教授

ういてまて。救助技術がどんなに優れていても、要救助者が浮いて呼吸を確保できなければ水難からの生還は難しい。要救助側の命を守る考え方が「ういてまて」です。浮き輪を使おうが救命胴衣を着装してようが単純な背浮きであろうが、浮いて呼吸を確保し救助を待てた人が水難事故から生還できます。水難学者であると同時に工学者(材料工学)です。水難事故・偽装事件の解析実績多数。風呂から海まで水や雪氷にまつわる事故・事件、津波大雨災害、船舶事故、工学的要素があればなおさらのこのような話題を実験・現場第一主義に徹し提供していきます。オーサー大賞2021受賞。講演会・取材承ります。連絡先 jimu@uitemate.jp

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