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【戦国こぼれ話】浅井長政とお市の方。永遠の愛を誓ったものの、その末路は実に悲惨だった話

渡邊大門株式会社歴史と文化の研究所代表取締役
小谷城跡の本丸への道(滋賀県長浜市)。小谷城で浅井長政は非業の死を遂げた。(写真:ogurisu/イメージマート)

 コーエーテクモゲームスの『戦国無双5』に登場する武将などが公開された。注目すべきは、浅井長政とお市の方だろう。2人は永遠の愛を誓ったものの、その末路は実に悲惨だった。その点を考えてみよう。

■浅井長政とは

 最初に浅井長政について触れておこう。

 天文11年(1542)に浅井亮政が小谷城(滋賀県長浜市)で没すると、子の久政が跡を継いだ。久政は六角氏や京極高広との合戦に敗れるなど、あまり目立った活躍をしなかった。そうした影響もあったのか、久政は永禄3年(1560)に家督を子の長政に譲った。

 わずか16才で家督を継いだ長政は、同盟者の六角義賢の名前の一字「賢」を与えられ、賢政と名乗っていた。長政は、妻も義賢の被官人・平井定武の娘を娶った。これは、浅井氏と六角氏の同盟関係を築くための政略結婚だった。

 しかし、長政は勢いを盛り返すと、永禄3年(1560)に義賢を破り、徐々に勢力基盤を広げることに成功した。永禄末年頃には、江北三郡(伊香・浅井・坂田の3郡)を中心に、その周辺にも威勢を及ぼした。

 長政は越前国の朝倉氏と友好関係を築いていたが、尾張国の織田信長が勢力を伸張すると、永禄10年(1567)頃に信長の妹・お市の方を娶った(時期は諸説ある)。長政の「長」の一字は、信長に与えられたと指摘されている。その後、平井定武の娘と離縁したことは、いうまでもない。六角氏とは縁を切ったのだ。

■お市の方のこと

 次に、妻となったお市の方と結婚の事情について触れておこう。天文16年(1547)、お市の方は織田信秀の5女として誕生した。母は土田御前で、信長の妹でもあった。先述のとおり、信長は長政と同盟を結ぶため、妹のお市の方を嫁がせた。

 信長が浅井氏と同盟を結んだ理由は、来るべき上洛に備えて、北近江の通路を確保することにあった。当時、お市の方は21才と若く、美しい女性として知られていた。

 実のところ、長政は朝倉氏と盟友の関係にあったので、この結婚に乗り気でなかったという。浅井氏の家中も同じ意見であった。しかし、信長からの熱心な誘いによって、長政の心は揺らいだ。

 信長は長政を懐柔すべく、朝倉氏を攻撃するときは、事前に報告するとの誓紙を交わしたという。こうした条件により、長政は同盟締結へ動いたのである。

 気をよくした信長は、結婚資金をすべて準備し2人の門出を祝った。2人は、周囲がうらやむほど仲がよかったという。そして、1男3女にも恵まれ、文字どおり幸福な生活を送っていたのである。

■長政の悲惨な最期

 ところが、元亀元年(1570)に信長と朝倉氏が交戦状態に入ると、長政は朝倉方に味方し、信長と敵対することとなった。一度は、将軍足利義昭の斡旋により和議を結ぶが、翌年に再び信長と長政は刃を交えた。

 長政劣勢のまま時間が経過すると、天正元年(1573)には、将軍義昭が信長に追放された。同年8月、朝倉・浅井の連合軍は、織田信長の前に討伐され、ついに滅びることになる。長政は29才という若さで、小谷城で自害した。

 戦後、信長は浅井久政・長政の首に箔濃(漆を塗り金粉を施すこと)を施し、家臣に披露した。普通は、こうした酷いことをやらない。この逸話は、信長の残酷性をあらわす措置と見る向きもあるが、首に敬意を払った死化粧であるとの見解もある。いずれにしても、長政の死が悲惨だったのは事実だ。

 小谷城の落城後、お市の方は茶々、初、江の3人の娘とともに織田家に引き取られた。信長はお市と3人の娘に気をかけ、厚遇したという。そして、3人は、約9年の歳月を尾張・清洲城(愛知県清須市)で過ごした。

■紅蓮の炎に包まれたお市の方

 天正10年(1582)6月、本能寺の変が勃発し、信長は横死した。代わりに天下人に名乗りを挙げたのが、羽柴(豊臣)秀吉である。秀吉は夫を亡くしたお市の方に強い興味を抱いたといわれているが、ついにお市の方と結ばれることはなかった。お市の再婚相手は、柴田勝家だった。

 勝家とお市の2人と3人の娘は、越前・北庄(福井市)に移った。ところが、勝家は秀吉と徐々に敵対し、2人は天正11年(1583)に賤ヶ岳(滋賀県長浜市)で雌雄を決する。このとき勝家は大敗し、北庄(福井市)へ逃げ帰った。

 秀吉の軍は北庄城を囲み、激しい攻撃を加えた。「もはやこれまで」と覚悟を決めた勝家とお市の方は、城に残りともに自害して果てた。やがて、火を放たれた北庄城の天守は、紅蓮の炎に包まれたのである。お市の方の死もまた無残だった。

 浅井長政とお市の方は、永遠の愛を誓って結ばれたが、その末路は実に悲惨だったのだ。

株式会社歴史と文化の研究所代表取締役

1967年神奈川県生まれ。千葉県市川市在住。関西学院大学文学部史学科卒業。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。大河ドラマ評論家。日本中近世史の研究を行いながら、執筆や講演に従事する。主要著書に『播磨・但馬・丹波・摂津・淡路の戦国史』法律文化社、『戦国大名の家中抗争』星海社新書、『戦国大名は経歴詐称する』柏書房、『嘉吉の乱 室町幕府を変えた将軍暗殺』ちくま新書、『誤解だらけの徳川家康』幻冬舎新書、 『豊臣五奉行と家康 関ヶ原合戦をめぐる権力闘争』柏書房、『倭寇・人身売買・奴隷の戦国日本史』星海社新書など多数。

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