テンションは高いが点は入らず。イングランド猛攻も実らずドロー
サンテティエンヌで行なわれたイングランド対スロバキア。B組のライバル、ウェールズより上の順位でフィニッシュしたいイングランドが、引き分け狙いではなく、最初から勝利を積極的に求めて戦っていたことは明らかだった。
トゥールーズで同時進行中のウェールズ対ロシアは、前半20分までにウェールズがロシアをリードする展開。ウェールズの後塵を拝すことはサッカーの母国の沽券(こけん)にかかわるとばかりに、イングランドも前半から負けじと攻めた。
対するスロバキアはどうだったのか。イングランドに引き分け、勝ち点4に伸ばすことで3位以内を確実にしようと考えたのか。勝つ気はあるのかと言いたくなるぐらい消極的なサッカーをした。
3位チームは6チーム存在する。そのうちベスト16に進めるのは、成績のよい上位4チーム。勝ち点4あれば、その中に滑り込むことはほぼ確実だ。1位狙いのイングランドと、3位狙いのスロバキア。その気持ちの差が、一方的な試合展開となって現れた。
どちらに頑張ってもらった方が面白くなるかと言えばスロバキアだ。白熱する上にB組が混戦になる。だが、スロバキアはこちらの期待に反するプレーをした。その結果、ピッチには実力差以上の姿が描き出された。
引き分け狙いの思惑が崩れそうに見えるほど、スロバキアは守った。弱者が守れば、差はより開く。第2戦のロシア戦の終盤同様、ボールを奪っても少人数で攻めるその姿は哀れだった。暗く悲しく映った。
スタンドの大応援団をバックに、精神を高揚させてプレーするイングランド人選手が、その分だけ陽気に映った。明るくてポップ。イケイケムードで、カサに掛かって攻め立てた。
この日は10番のウェイン・ルーニーがベンチスタート。すっかりフットワークが鈍ったエースがいない分、イングランドのサッカーにはケレン味がなかった。牽引していたのはリバプールのアダム・ララーナ。その勢いがピッチに反映されやすい仕組みになっていた。そしてそのララーナ、ジェイミー・バーディー、ジョーダン・ヘンダーソンが連続して決定機を作った。
スロバキアが前半を0−0で折り返すことができた理由は、ひとえにGKマトゥーシュ・コザーチクの奮闘のたまものだ。反応鋭く好セーブを連発。均衡を保った。
とはいえ0−0の時間が長くなると、イングランドの粗(あら)も見えてくる。テンションは高いが技術的にはそれほどでもない。勢いはあるが雑。緻密ではなくアバウト。褒められない姿をもさらけ出した。
潜在的な技術力ではスロバキアの方が優れているのではないか。展開力や巧さという点でも同様な印象を抱いた。だが、彼らは3位狙い(引き分け狙い)を最後まで貫いた。そして、イングランドの荒っぽい攻めに助けられ、何とか90分を0−0でしのぐことに成功した。
面白いゼロゼロとつまらないゼロゼロがあるとすれば、これはつまらない方の類。恨むべきはスロバキアである。
終了の笛が鳴り響いた瞬間、スロバキアの選手は特段喜ぶことも、悲しむこともしなかった。だが勝ち点4を挙げ、ベスト16入りをほぼ確定させたことに、ベンチは歓喜した。消極的サッカーは、功名にはやったヤン・コザック監督からの指示だった可能性が高い。
引き分け狙いというミッションをやり遂げた選手たちはたいしたものだ。狙ってできるものではない。だが、僕がそれ以上に見たかったものはスロバキアらしいサッカーだ。それはいったい何なのか。せっかくの機会なのによく分からなかった。自国のサッカーの宣伝という意味では不成功なのかもしれない。
B組は英国系が、東欧系を上回ることになった。両者を分けたのは精神的なノリだ。その単純明快さが今回は奏功した。対するB組の東欧系は暗かった。全員の反応がいまひとつ鈍いサッカー。最下位に甘んじたロシアは、“大国意識”が災いした。サッカーとしての立ち位置はチャレンジャーであるにもかかわらず、ヒディンク時代以外、そのあたりを表現できずにいる。その真逆にいるのがウェールズ。恥も外聞もなく後ろを固めカウンターに出る。小国のメンタリティと大国のメンタリティ。英国系と東欧系が相まみえたB組だった。
(初出 集英社 Web Sportiva 6月21日掲載)