ソフトボール峰幸代、北京五輪での秘話を語る 東京へは「もっと良い状態に持っていくための1年間に」
1年後に延期された東京五輪。7月21日は、全競技の一番手としてソフトボールがスタートする日(21年7月21日)の365日前だ。20歳の時に出場した2008年北京五輪で、日本ソフトボール界にとって初となる金メダル獲得に貢献した日本代表候補捕手・峰幸代(32=トヨタ自動車所属)にインタビューをして、東京五輪への思いを聞いた。
北京五輪ではエースの上野由岐子投手が投げた「伝説の413球」をすべて受けた正女房。32歳になった今、東京五輪に何を求め、挑もうとしているのか。
■14年に一度引退。日本代表候補には5年ぶりに返り咲いた
驚きのニュースが舞い込んだのは19年12月のことだった。日本ソフトボール協会が発表した日本代表候補合宿のメンバーに、「峰幸代」の名前があった。
その前に日の丸のユニフォームに袖を通したのは14年。実に5年ぶりとなる朗報に、「サプライズ。しっかりと準備をしてきて良かった」と破顔した。
ソフトボール界のレジェンドだ。日本チーム最年少の20歳で北京五輪に出場し、正捕手として7試合でミットを構えた。競技のラスト2日間は、準決勝、決勝進出決定戦、決勝の3試合にフル出場。ルネサス高崎(14年にビックカメラへ移管)でもバッテリーを組んでいたエースの上野が投げた413球をすべて受け、決勝で五輪3連覇中だった米国を下し、金メダルの歓喜を味わった。12、14年世界選手権も制した。
一度は「燃え尽きた」と感じて14年に引退したが、16年1月に新天地のトヨタ自動車で現役に復帰。すぐに育ての親である宇津木麗華監督に電話し、「また任さん(宇津木監督)の下でやれるように努力するので見ていてください」と思いを伝えた。
だが、1年半のブランクの影響は想像以上に大きかった。競技力がなかなか戻らない苦しみを味わっているうちに、代表の正捕手の座は若い選手のものになっていった。けれども、「実力が足りていない」という冷静な自己分析を胸に、こつこつと練習を続けていった。
こうして昨年12月、滑り込みとも言えるタイミングで代表候補に復帰。日の丸から離れていた間に、所属のトヨタ自動車で2度の日本女子リーグ優勝を飾っていたことで自信も取り戻していた。
■「1年延びたからといって、どうっていうことはない」五輪に懸ける思い
3月24日に東京五輪の1年延期が決まったときは、「今までやってきた1年をもう1回繰り返すのか」と心がひるんだという。しかし、気持ちを切り替えるのにさほど時間は掛からなかった。
「トヨタ自動車に入ったのは、東京五輪が決まって、もう一度チャレンジしたい、必ず夢を叶えたいという思いがすごく強いから。この1年をもっと良い状態に持っていくために使っていこう。それに、ソフトボールは12年間、五輪種目から外れていた。その長い時間を考えれば、1年延びたからといって、どうっていうことはない」
東京五輪は、峰自身にとってもソフトボール競技にとっても13年ぶりの五輪になる。そして、この大会を区切りに五輪種目から外れるという意味では、北京五輪の時と同じだ。
「さかのぼると、私は北京五輪の前年である07年にU-19の世界大会に出場したのですが、そこで感じていたのは、五輪は北京がラストになってしまうという残念な気持ち。北京五輪には当時のジュニア世代の代表という気持ちで出ていましたし、北京五輪の代表メンバーは、日本が金メダルを獲ることで、未来の五輪競技復活に繋がると全員が思っていました」
ソフトボールは初採用された96年アトランタ五輪から04年アテネ五輪まで、アメリカが全3大会を制覇していた。峰たちは、「アメリカ一強では、五輪競技に復活しにくい。絶対に私たちが勝って、未来に繋げていこう」と誓い合い、金メダルを掴み取ったのだ。12年という長い年月を待つことにはなったが、北京での日本の金メダルが、今回の東京五輪での復活に繋がっているのは間違いない。現在、パリ五輪で実施されないことは決まっているが、いずれ復活を実現させるためにも、もう一度頂点に立ちたいという思いが強い。
「私は競技が五輪からなくなるショックも分かっているし、結果が出るからこそ、また繋がっていくということも肌で感じてきました。勝つだけでなく、勝つことで周りの人々の心に響いていってほしい。それがいろいろなことに繋がっていきます。東京五輪は、子供達や若い選手にとっても大事な場になります」
■右手親指の骨折を口外せずに向かった北京
今だから話せる秘話がある。アスリートの五輪に懸ける思いがいかに強いものかを示すエピソードだ。
北京五輪の前、峰は人知れずアクシデントに見舞われていた。五輪3カ月前の5月、練習中に右手親指を負傷した。検査の結果、骨折が判明し、ボルト2本を入れる緊急手術を行った。これでは五輪に間に合うかどうかもそうだが、代表から落ちてしまう危険性がある。峰は所属チームのドクターやトレーナーらと連係し、通常の半分の時間でリハビリを完結させた。
「あの時はトレーナーを鬼かと思いました。ボルトを抜く手術も通常では考えられないスピードでやって、まだとても痛いのに『ボールを投げるぞ』と言われて。すぐにリハビリをしないと親指が固まってしまい、プレーできなくなるからと、押さえつけられながらリハビリしていましたね。でも、そのお陰で何とか直前合宿や遠征に間に合い、何事もなかったかのように北京に行くことができました。本当に感謝しています」
そして、代表落ちの危機を乗り越えてつかんだ金メダルの歓喜の裏には、大勢の人々のサポートがあった。
「若い時にあれだけのサポートを受けて、勝つことによって喜んでもらえることがいかに幸せなのかを知ることができました。あの時の思いは私の財産です」
365日後、試合会場の球場でキャッチャーミットを構える自分には、どんなメッセージを送りたいだろうか?
「五輪に夢中になったのは中学生の頃。大好きなソフトボールをこんなに長く続けることができて、30代になっても中学時代と同じ夢を追いかけている。それはすごく幸せなことだし、誰にでもできることではありません。難しい道にチャレンジした自分に自信を持って、思いきりプレーして欲しいです」
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【連載 365日後の覇者たち】 1年後に延期された「東京2020オリンピック」。新型コロナウイルスによって数々の大会がなくなり、練習環境にも苦労するアスリートたちだが、その目は毅然と前を見つめている。この連載では、21年夏に行われる東京五輪の競技日程に合わせて、7月21日から8月8日までの19日間にわたり、「365 日後の覇者を目指す戦士たち」へエールを送る。
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