Yahoo!ニュース

いまもっとも注目される若手落語家・立川吉笑 この特異な落語家はどうやって形成されたのか

堀井憲一郎コラムニスト
写真 立川吉笑提供

NHK新人落語大賞・立川吉笑はどうやって出来上がったのか

今年の「NHK新人落語大賞」を受賞したのは立川吉笑だった。

オリジナルの落語「ぷるぷる」を演じ、満点で優勝した。

これはまた落語界の一つの画期になるのではないかと感じられる瞬間であった。

立川吉笑は、どうやってこういう落語家になったのか。

落語との出会い、落語へのおもいを、インタビューを中心に紹介する。

東京にやってきて「お笑い芸人」として少し売れだし、でも番組で一緒になったバカリズムの才能に圧倒され、彼は芸人としての限界を感じてしまった。

そこまでの話はインタビュー前半で公開中

https://news.yahoo.co.jp/byline/horiikenichiro/20221128-00325972

「令和4年「若手落語家ナンバー1」に選ばれた立川吉笑 バカリズムに大喜利で完全に叩きのめされた過去」

圧倒的な才能の差を見せつけられ、どうしようか迷っているときに、落語と出会った。

立川志の輔のCDとの運命的な出会い

―落語との出会いはたまたまだったんですか

渋谷にお笑いのCDを買いに行ったときですね、なんか欲しいものがなくて、たまたま落語コーナーがすぐ横にあって、落語っていえばダウンタウン松本さんも聞いてるって言ってたなとおもいだして、そこで志の輔師匠を、なんで志の輔師匠だったのか覚えてないんですけど、でもCDを買ったんです。

でもこれが良かった、いい選択でしたね。

めちゃめちゃ上質なシチュエーションコメディだなとおもって、強く惹かれた。ふつうに娯楽としてとても好きなやつでした。そのまま志の輔師匠のCDを全部聞いていきました。

それが24のときです。

―そこから落語にハマっていったんですね?

志の輔師匠のCDをぜんぶ聞いて、談志師匠のも聞いて、新宿でやっていた志の輔師匠の落語会も当日券で聞きに行きました。落語いいなあとおもいだして…

立川談志の「だくだく」を聞き談志信者となる

お笑いのことで頭がいっぱいだけど、24歳まで落語についてまったく知らなかった若者が、突然「立川志の輔のらくご」に揺さぶられるシーンはとても興味深い。

「お笑いをやりたい」とおもっていた若者は、落語の可能性をどこに見出したのか。

―立川談志師匠の高座も見られましたか

入門前は二回くらいしかナマで高座きけなかったんですけど、でもCDで聞いていて「粗忽長屋」と「だくだく」が好きでした。

マクラで喋ってる内容が哲学的というか「生活じたいがハリボテみたいなもんじゃないか」という言葉がガーンと突き刺さって、ああ、おもしろい考え方だなっておもって、それでもう談志信者です。

だから談志師匠に弟子入りしたかったんですけど、体調悪かったし、いま行くのは明らかに空気読めてない感じがしたので、それは諦めて…

〈演題解説〉

粗忽長屋:八五郎は道端で死んでいる男を見て、友人の熊五郎だと信じ、とりあえずここに当人を連れてくる、と熊五郎当人を連れてきて、おめえここで死んでるぞと教えると、熊五郎も、ああ、おれはここで死んでるのかと納得してしまう噺。

だくだく:身一つで引っ越してきた八五郎は、長屋の壁一面に紙を貼って豪華な家財道具の絵を描いてもらう。目の悪い盗人がそれを物持ちの家だと見間違えて侵入してくる噺。

2010年26歳で立川談笑に入門

そうして、立川流の落語家を中心に一年間じっくり見てまわり、2010年11月、26歳のときに立川談笑に入門する。

―落語はもともとの自分のお笑い世界に近いと感じられたのでしょうか

そうですね、コントだとできないが落語だからできるというのがわかって、それは「胴斬り」とか「あたま山」とかそういうネタですね、落語は言葉だけで全部表現するから、こういうのができるのか、すごいって気が付きました。それは落語のなかでも少数派ではあったんですが。

〈演題解説〉

胴斬り:侍に切られて上半身と下半身に分かれた男は、それぞれが勝手に動くので、上半身は銭湯の番台で、下半身は蒟蒻を踏んで別々に働くという噺。

あたま山:さくらんぼを種ごと食べたところ頭から桜の木が生え、立派な桜が咲いたので近所の人たちが男の頭の上で花見をして困るという噺。

古典落語を擬した「擬古典」を積極的に演じる

―吉笑さんのオリジナルの落語は、擬古典とも呼ばれてますが、他の演者さんが演じていいんですか

もちろんです。古典を擬した“擬古典”って言葉自体がいいとおもって、気に入っていて、キャッチコピーとして使うようになりました。

そもそも“古典落語”という定義もかなり曖昧で、どこまでが古典で、どこからが新作なのかという境界なんかありませんし、師匠の談笑に、前座のときから好きなようにやっていいって言われて、それでかなり自由にやってました。

古典落語の「牛ほめ」のすごさ

―古典落語、つまり昔から伝わっている古い落語も演じられますよね

はい、やるんですけど、やはりまだ稽古不足というか、すべてがうまくやれるわけではない。でも聞くのは古典落語がすごい好きですね

―どういう噺が好きですか

いちばん好きなのは「酢豆腐」です。

あの落語は何もないですよね。特に前半、若い連中が集まって、誰がぬか床に手をつっこんで古漬けを取り出すのかってだけの噺で、それで15分ほどずっと喋っている。自分なんかにはとてもできなくて、あれがまさに理想的な落語の世界です。うまい人の手にかかると飽きずにずっと聞かせてくれる。あれが落語でしょう。

〈演題解説〉酢豆腐:暇な若者たちが集まってぐだぐだしているとき、腐った豆腐があったので、気障な男に舶来物の珍味だと騙して一口食わせる噺。

―自分でやってみて受ける古典落語はありますか

うーん。そうですねえ、「牛ほめ」ですかねえ。「牛ほめ」はすごいです。

笑いどころがたくさんあって、だから学校寄席で子供たち相手にやると、もう、めちゃくちゃ受けるんですね。

子供たちにとって、意味なんて関係ないから。シンプルに反応してくれて「牛ほめ」の威力はすごいです。

〈演題解説〉牛ほめ:与太郎がおじさんの家に行って、習ったとおりに改築した家と牛をほめようとしてしくじる噺。

―大人相手だと?

それは「井戸の茶碗」ですかね。

あれもすごい。

どんな状況であってもちゃんと噺を聞きたいとおもってる人を満足させられて、完成度も高く、とくに東京以外の地方でやるときは、最後は「井戸の茶碗」をやらせてもらうと会の満足度がぐっとあがる感じです。

やはり古典の力ってすごいですね。

ほかには最近覚えたのでいえば「浜野矩随」もうそうだし、「ねずみ」もそうですね。だいたい講釈ネタなんですけど人情噺系はとても頼りになります。

〈演題解説〉

井戸の茶碗:ある落ちぶれた浪人が紙屑屋に茶碗を売るととても高価な物であったことがわかり、その金をめぐって清廉な武士たちが受け取ろうとせずに意地を見せる噺。

浜野矩随:彫り物師(彫刻職人)の名人として有名だった父の足元にも及ばない息子が、決心して名品を創り出すようになる噺。

ねずみ:仙台の小さい宿に泊まった名人の左甚五郎が、木っ端でねずみを彫ったところそれが動き出し、評判になる物語。

落語を作るときに大事にするのは、いまそこで受けるかどうか

立川吉笑の魅力は彼の創り出す独特の落語世界にある。

彼は古典落語が好きだというのは、もちろん本当のことだろうが、でも同時にそこから自分の落語世界をどうすれば強固にできるかを常に考えているようだ。

お笑い芸人としてコントを演じることが多かった彼が、落語世界で目指している笑いとは、これまでの落語とはかなり違ったものになっていくはずだ。

―自分のやりたい笑いが落語でできるとおもわれたのですね

もともと「お笑い」がやりたかったので、作るネタは、やはりお笑いとしてちゃんとおもしろいかどうかが一番大事で、もちろん落語の美学なんかも大事にしますが、でも受けないと意味がない。

それも、自分独自の切り口があるか、それはつまり発明や発見がはいってるかどうかってこと、そこも大事なんですね。

―著作にも書かれてますが、落語の特質を踏まえて落語を作られているってことですか

演劇や、映像や、コントや、ほかのお笑い、ギャグ漫画にもできないことが落語にはできる。

何かを突然だせるし、突然消せる。

場面転換もシームレスにできる。それも空間だけじゃなく、時間もすんなり移動できる。

あと、それまで触れなかった存在にいきなり触れて、そこにいることにできる。召喚って呼んでますけど、映像だったら、近くにいて映ってないとおかしいものを落語だとわざと隠しておいて、突然、ポンと出せる、そういうことができるのが落語ならではの力です。

これはコントだとできない。

落語だからこそできることがいろいろあります。

もちろん限界はありますけど、でもこれは志の輔師匠がよくおっしゃってる言葉ですが「何もないから何でもある」。

それが落語のすごいところだとおもっています。

ただまあ、このへんは本を書くときに発見したことで、自分が作ってる落語がそれらの特質を生かせているかって言われると、なかなかできてないんですけどね。

撮影 堀井憲一郎
撮影 堀井憲一郎

オリジナルであることより、そこで笑ってもらえることが一番

―不条理な設定などが得意ですよね

やってるネタは、独特な感じで奇想天外とも言われるが、自分は普遍性が高いものが多いとおもってます。

お笑い芸人として、その場の人に笑ってもらうことが大事で、だからオリジナルであることより、そこで笑ってもらえることを第一だと考えていて、わかりやすいベタなことをやっているつもりなんですけどね。

―吉笑さんの落語は、隠居さん、八っつあんとか番頭さんとか、落語ではお馴染みのメンバーが出てくる世界で、そこで新しい落語を展開してますね

いま手軽に使いこなせるのが、そのあたりのキャラクターですね。

―お馴染みの人たちが少し変わった状況にいて、それでいて描かれているのは「日常」ですよね

はいはいはい。そうですね。

これ、小林賢太郎さん(元ラーメンズ)の言葉ですけど、「非日常のなかの日常を描く」というのがあって、つまりそれが自分が考えているお笑いの方向性なんですね。そっちがやりたいんです。

いっぽう日常の中の非日常、ていうのが基本的でベタなお笑いですよね。

―ふだんの生活で変なことが起こるってことですね

はい。それがベタだとすると、世界設定そのものが変で、でもそこでふつうの行動しているというのが僕が描きたいとおもってるものです。

ただ、その世界がどこまで飛躍できるか、お客さんがついてこられるかという問題もあります。最初の設定が奇妙すぎたら人はついてこないですから。

たとえば奇妙な状況を一枚のイラストで見せて、その不思議な設定を共感してもらって、そのままふつうの会話に入っていくとか、そういうのが入りやすいかなとか、おもっているんですが。

―それはたとえば…

たとえば、万引きでも、そいつは店員さんを万引きしようとしているんですね。店員さんを自分のポケットにねじこもうとしているところに警備員がやってきて、「ちょっと店員を万引きされちゃ困るんですけど」と注意している、そういう世界です。

イラストには、万引き犯がポケットに店員さんをねじこんでいるけどそれがはみ出ていて、それに声をかけている警備員が描かれている。

そこからは、ちょっとお客さんやめてもらっていいですか、いやいやこれは、と、ふつうの万引きGメンと万引き犯の会話が展開する、たとえばそういう落語の見せ方なんかも考えてます。

新作落語を「いまのは何ていう古典落語?」と聞かれること

立川吉笑がめざしているのは、いままでありそうで、それでいてなかった落語であり、新しい世界であるように見える。

限りなく可能性を秘めた落語家であるように見えてくる。

―お客さんからの反応はどうですか

もちろん好意的なのから否定的なのまでありますが、でも嬉しいのはね、新作落語やったあと「いまのは何ていう古典落語だったんですか」って聞かれたりすることがあって、それはちょっと嬉しいですね。

タイトルだけ教えて新作とは言わないですけど、まあ、新作と古典の違いってあやふやなものですからね。

立川吉笑はそういって笑う。

立川吉笑が作りだしている空気は、たぶん、ある客にとってはそこにもう何十年もあったような馴染んだ世界に見えるのだろう。

ほんの少しずつではあるが、立川吉笑は世界を動かし始めているようだ。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

堀井憲一郎の最近の記事