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令和4年「若手落語家ナンバー1」に選ばれた立川吉笑 バカリズムに大喜利で完全に叩きのめされた過去

堀井憲一郎コラムニスト
NHK新人落語大賞の立川吉笑(写真 NHK提供)

立川吉笑は「新しい落語の世界」を始めた

令和四年の「NHK新人落語大賞」を獲ったのは立川吉笑である。

M−1 や、キングオブコントなどと同じ若手だけが参加する「若手落語家の一番」を決める大会である。

そこで立川吉笑が優勝した。

彼の優勝は、落語の限りない可能性を広げたように見える。

演じたのは「ぷるぷる」という演目だ。

隠居さんのところに八っつあんがやってきて他愛のない話をするのだが、でも、これは吉笑本人が創った落語である。

松ヤニを舐めてしまったので、唇がくっついてしまい、くっついたままの唇のあいだから、ぷるぷるした音でしか喋れない。そういう設定で、何でもない話が進んでいく。

新しい落語の世界が始まったのではないか、そう感じられる瞬間であった。

立川吉笑インタビュー「NHK新人落語大賞」の手応え

吉笑に話を聞いた。

―今回、大賞とられたのは自作の落語「ぷるぷる」ですが、手応えはありましたか

この「ぷるぷる」を作ったのは去年(2021年)で、これは「笑いの多いおもしろいものを作れた!」っておもって、一年間ほうぼうで「ぷるぷる」やり続けた結果、もうこれ以上に受けるネタってないくらいだったので、満を持してのぞみました。

「NHK新人落語大賞」は東西の落語家3人ずつ、計6人が出場する。

出演順は事前に抽選で決める。

今回は1桂源太「もと犬」、2桂天吾「強情灸」、3立川吉笑「ぷるぷる」、4露の紫「看板のピン」、5林家つる子「反対俥」、6三遊亭わん丈「星野屋」の順であった。

桂と露のが関西方、立川、林家、三遊亭が関東方である。

「四番、五番までは影響が残るだろう」三番手出演者としての戦略

―出順は三番手でした

何日か前に決まって、前は上方の若手の方の2人で、最初だし、緊張感もあるだろうから、ふつうに来るだろうなとおもって、自分は三番手。

このラインナップだと滅茶苦茶受けないと優勝はむずかしいなとおもってました。

「ぷるぷる」を始めて、最初からそこそこ手応えはあったんですが、でも、これで勝ったという確信めいたものはなかったですね。

「ぷるぷる」は刺激が強いネタだから、あとはやりづらくなるのは当然で、私が三番手で、そのあと四番、五番あたりまでは影響があるだろうとおもっていました。

でもこれ、六番くらいになると余韻が冷めるのはわかっていて、最後のわん丈さんに捲(まく)られる可能性はあるな、とおもってました。

わん丈さんが勝っちゃうんじゃないかって。

みんな、それぞれ工夫があって、勝ちに来てますから、ちょっとどうなるかわからないなと、確実に勝てたなとはそのとき、おもえなかったですね。

負けたともおもってなかったですけど

お笑いのコンテストは出順が大きく影響するから、やはり出演者は繰り返しシミュレーションをする。

四番手、五番手までは奇妙な落語の影響はあるが、六番手までは届かないだろうと冷静に読んでいるところが立川吉笑らしい。

実際に現場での空気は、たしかにそれに近かった。

そして満点で立川吉笑が優勝した。

(本大会の模様はNHKプラスでは本放送〔11月23日〕から一週間、見逃し配信で見られます)

古典落語にさえ見える「ぷるぷる」というネタの凄み

落語「ぷるぷる」は立川吉笑の完全オリジナル作品である。

残り5人はいまに伝わる落語、いわゆる「古典」落語を演じた。

―「ぷるぷる」はやはり目立っていました

文珍師匠が講評のときに、ネタの突飛なアイデアももちろんだけど、それ以外の展開とか、いろんなところで苦心された様子が伝わりましたっておっしゃって、ちゃんと聞いてくださったんだ、とおもいました。

もちろんぷるぷる喋るところは独特なんですけど、落語のいろんなワザ、構成の方法を使っていて、落語家だからこそ作れた、という手応えがあります。

落語を12年間やってきて身につけてきたあの手この手を詰めた感じですね。

忠臣蔵から松ヤニへと変わっていった

実際に「ぷるぷる」という落語を聞いてもらうともっともわかりやすいのだが、とても落語らしく、しかし古来からあるネタとは明らかに違っている。

でもやはり落語以外のなにものでもないという「お噺」である。

(以下のリンクから、YouTubeでの『ぷるぷる』が聞ける)

https://www.youtube.com/watch?v=siYLsl14e9s&t=12s

古典の香りがして、そして新しい落語なのだ。

すべての古典落語も出来たときは、こういう気配がしていたのかもしれない。

―松ヤニとかで唇がくっつくって設定が、とても落語らしいですよね

「松ヤニ」とかはあとから出てきた設定で、最初まず唇をぷるぷるして喋っても何とか聞こえる、これはおもしろいぞと、そこから始まったんです。

まずおもいついたのが「水中忠臣蔵」という設定で、吉良邸に討ち入りにいったら吉良邸が水中要塞になっていて大変です、という、非常にシリアスな状況だけども、でも喋るのは唇ぷるぷるさせないと喋れない、そういう音がばかばかしいというところから考え始めました。

松ヤニが何で出てきたかちょっとおぼえてないですけど、松ヤニで唇がくっつくだけとシンプルにしたほうがいいかなと変えていって、結果、そのあとの展開にまでつながりました。

もともと落語には興味のなかったころ

―吉笑さんはどっかにお勤めだったわけではなくて、落語家になる前はお笑いをやられていたわけですか

はい。高校二年くらいのときからお笑いをやりたかったんですが、いちおう大学(京都教育大学)には入って、でも卒業する気はなかった。

当時はやはりダウンタウンさんが大好きで、松本人志信者で、そこから付随して千原兄弟、あとラーメンズさんもそうですね、そのあたりから影響を受けてましたね。

―当時、関西におられたわけですが、落語は?

落語はもうぜんぜん、ですね。

関西だったので、「らくごのご」とか、「枝雀寄席」とか、「平成紅梅亭」とか、テレビでやってんのをちょっと見たくらいの記憶はあるんですけど、でもやっぱ古くさいものという先入観がありました。

それこそ、ダウンタウンの松本さんが、ラジオで「いや最近、落語を聞いてんねん」みたいな話を聞いたことはあって、そういうものかとはおもいましたけどね。

オーディションを受けたけれどB判定しか出ない

―大学でお笑いを始められた

漫才はじめて、大学は一年で中退して、オーディションを毎月受けて、というのを19のときからやってましたね

なかなかシビアな世界で、300組くらい受けて、合格が3組、あとA判定ってのが5組くらいあって、残り280組がBで、その下に10組くらいCってのがあったんですが、このBが二カ月続いて、いや、こんなにも手応えのないところで人生を費やしていていいのかって気持ちになってたんですよ。

―まだ20歳くらい

そうです、大学を辞めた年ですね。

大阪で注目されお笑いとして東京に進出

そういうとき、たまたま京都の劇団と知り合いになって、そこはお笑いの人をゲストに呼ぶような劇団で、ああ、そうか、劇団でもお笑いできるのかって気付いて、そこでお笑いのユニットを組んだんです。

その活動がいい感じにいって、大阪で注目されて、東京にも呼ばれたんですね。

―それで東京に行ってお笑いで生活し始めたのですね

そうですね。もちろん、バイトもしてましたけど、わりと恵まれた環境で、お笑いライブやテレビ番組なんかにも無理矢理ねじこんでもらって、やってましたね、4年くらい。

お笑い芸人として決定的な差が出はじめる

でもだんだん、お笑いライブ出たときに、すごい差が出てくるんです。

当時は、それこそ、Wコロンさんとか、狩野英孝さんとか、ロッチさんとかがレッドカーペット出るか出ないかくらいのとき、一緒にやってると、そういう人たちって、ネタじゃない平場でね、その平場での立ち居振る舞いが圧倒的にすごかった。これが違いました。

東京ってテレビがいっこ上にすぐ見えてるから、平場の能力も自覚的に磨いて、でも自分はそういうところで前に出ていけるタイプじゃないので、これは、芸人としてはなかなかきついぞとはおもってました。

バカリズムと大喜利対決して完膚なきまでに叩きのめされる

決定打はですね、web番組の収録でバカリズムさんと大喜利することになったんですよ僕が、一人で。

大喜利で、同じお題でよーいどんでそのまま勝負したときに、大喜利で、もう、完封負けというか、完全試合されて負け、ですよ。まったく手も足も出なかった。

こっちが一個出す前に、最初のを出されて、それが自分がいま考えてるやつより深いやつなので、すぐ消して次のやつを考えてると、もうその次が出されて、それがまた深い…てのが続いて、いや、もう、完膚なきまでに大喜利でやられてしまったんです。

ああ、これはもう、才能がこんなに違うんだって、これが決定打になりました。

お笑い芸人としては無理じゃないかって…

―それから落語へ

ちょっともう心折れた感じがあって、どうしようかなみたいなときに24でした。

そんときたまたま渋谷のHMVで立川志の輔師匠のCDを買ったんですね、それが大きな転機になりました。

(撮影 堀井憲一郎)
(撮影 堀井憲一郎)

(インタビュー記事は後半へつづく)

https://news.yahoo.co.jp/byline/horiikenichiro/20221129-00326092

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コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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