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ドラマ『わたしの宝物』 最後になって明らかになった「宝物」の意味

堀井憲一郎コラムニスト
(写真:Keizo Mori/アフロ)

夫婦は別れなかった

『わたしの宝物』は、最後、ヒロイン美羽(松本若菜)と宏樹(田中圭)の夫婦は別れずに一緒に生きていくことになった。

順当な結末であった。

ひょっとしてつらい結末になるかもしれないと構えて見ていただけに、安心した。

夫に嘘をついて育てる「托卵」

もともとヒロインが選択したのは「托卵」である。

夫ではない男性(冬月稜/深澤辰哉)の子を妊娠し、出産した。

栞と命名された女児である。

でも夫には、あなたの子だと嘘をつき、二人で育てることにする。

それが「托卵」である。

実の親であっても冬月くんは巻き込まないようにしようとする。

不倫相手ではなく、夫を大事にするのだ。

ヒロインの強さがドラマを支える

出生のことは秘密として、それを誰にも明かすことなく、生きていこうと決めていた。

自分の大切なものために、秘密を守りつづけようとする。

すべて責任を負うつもりで一人で抱えていた。

かなり強いヒロインである。

彼女の強さが、このドラマを支えていた。

ヒロインの覚悟を見せるドラマ

でも秘密は隠し通せなかった。

夫は、栞ちゃんは自分の子ではないと知る。

衝撃を受ける。迷う。逡巡する。

自分で育てるので妻に出ていってくれと言い、でものちに彼女が育てるべきで、自分が出ていくと言いだす。

夫は揺れる。当然だろう。

でも、ヒロインは揺れない。

托卵してるとバレても、自分が悪いとだけ言って、それ以外のいっさい弁明をしない。

このドラマはヒロインの覚悟を見せるドラマでもあった。

恋愛要素を薄くしたドラマ

ヒロインの浮気は、恋愛沙汰として描かれなかった。

相手の冬月くんは彼女への恋愛感情を抱いていたのだが、ヒロインは関係は一度きりと考え、そのあとは彼との関係を完全に遮断しようとする。

遮断ぶりが見事である。

実の父との生活を勧められる

事情を知ったまわりは(ついには夫までもが)、冬月くんが実の父なら、彼と暮らすことは考えないのかと勧めてくることもあったが、ヒロインはいっさいその考えがない。

ここがドラマのポイントだった。

恋愛に育ちそうな芽をすべて摘んでいく。そういう不思議なドラマだった。

ヒロインは出産するときに、彼は死んでいるとおもっていたということもあり(ニュースによる誤報であったのだが)、冬月くんとは関係なく子育てするしかないと決意をして、それは最後まで守られた。

是非をきいているわけではない

彼女は、夫以外の男性の子を生んだのだが、それを夫の子として育てていくことに決めたのだ。

もし父と娘に血の繋がりがないと知られたとしても(そして実際知られるのだが)その形で生きることが、自分にも子供にも、そして夫さえにもそれがいい結末だと考えていた。

実の父(冬月くん)はまったく関係なく生きることにする。

そう決めた。

その是非はきいているわけではない。

また是非は、他者の判断することではない。

彼女は自分で悪いことだとわかっている。

でも、そう決めたことがとても大事であり、それを守ることが大事だった。

彼女のその覚悟を描いたドラマであった。

ちょっと珍しい覚悟のドラマだ。

ヒロインの決意は貫かれた

最後は、離婚せず、夫と子育てを続けることになった。

彼女の決意は貫かれた。

強い姿が描かれていた。

彼女の宝物とは

ヒロインは、生んだ子を守ろうとして、強く決意したのだろう。

でも、彼女は子供だけではなく、夫もとても大事におもっていた。

特に子育てを始めてからの夫は人が変わったようにやさしく、三人そろった幸せを手放したくないと考えていたようだ。

彼女の宝物とは、三人で暮らす空間だったのだ。

ヒロインの魅力的な強さ

このドラマの特徴は、恋愛模様が滲み出て来そうになると、ヒロインが徹底して排除していったところだろう。

そこにヒロインの強さがみなぎっており、とても魅力的だった。

ヒロインはぶれなかった。

冬月くんが死んだと聞いたときから変わらず、生きていたと知っても変わらず、彼に抱きしめられても、告白されても、渾身の手紙を渡されても、心は動かさない。


「宝物」は恋愛と無関係な場所にしかない

その姿を見ているのが、痛快だった。

冬月くんは気の毒なことに、不倫相手で娘の父なのに、当て馬役であり、ヒロインの平和を乱す仇役でさえあった。

『わたしの宝物』の「宝物」そのものは、ヒロインの、家庭から恋愛を排除しようとする強い意志によって維持されたのだ。

宝物は、恋愛とは関係ない場所にしかなかった。

恋愛が潰されるのが痛快であった

恋愛ドラマになる要素がたっぷり用意されていたのに、ことごとく潰していったところが、見終わったいまとなると痛快だった。

幸せは恋愛や不倫ではなく家庭にある、と強く主張したドラマであった。

見応えがあった。

見ていてちょっと疲れたけど、でも最後はほっとできたのでよかった。

コラムニスト

1958年生まれ。京都市出身。1984年早稲田大学卒業後より文筆業に入る。落語、ディズニーランド、テレビ番組などのポップカルチャーから社会現象の分析を行う。著書に、1970年代の世相と現代のつながりを解く『1971年の悪霊』(2019年)、日本のクリスマスの詳細な歴史『愛と狂瀾のメリークリスマス』(2017年)、落語や江戸風俗について『落語の国からのぞいてみれば』(2009年)、『落語論』(2009年)、いろんな疑問を徹底的に調べた『ホリイのずんずん調査 誰も調べなかった100の謎』(2013年)、ディズニーランドカルチャーに関して『恋するディズニー、別れるディズニー』(2017年)など。

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