Yahoo!ニュース

宮崎大学院生が「本桜鱒」で挑む新ビジネス 今、地方の大学から学生起業家が生まれる環境に必要なものとは

田代くるみひなた宮崎経済新聞編集長 ライター・PR
地域資源創成学部・土屋有准教授と株式会社Smolt・上野賢社長(筆者撮影)

 未来を拓くビジネスの種が今、地方大学から次々と萌芽しつつある。宮崎大学から誕生した「株式会社Smolt」こそ、その実例を見事に体現した存在だ。

 代表取締役社長である上野賢さんは、現役の宮崎大学院生。同社は上野さんが研究の末に実現した幻の高級魚ともいわれる「本桜鱒(ホンサクラマス)」の循環型養殖をベースに、販売ルートを作り、さらにはその卵を「つきみいくら」としてブランディングするベンチャー企業である。2021年度には「STI for SDGs」アワードで科学技術振興機構理事長賞を受賞。商品はバラエティ番組などでも取り上げられるほどだ。

本桜鱒のいくら「つきみいくら」。サクラマスは冷たい淡水の河川に棲むヤマメが海に降った姿の呼称で、日本固有のサケの仲間。「つきみいくら」は同社サイトでオンライン販売している(画像提供:Smolt)
本桜鱒のいくら「つきみいくら」。サクラマスは冷たい淡水の河川に棲むヤマメが海に降った姿の呼称で、日本固有のサケの仲間。「つきみいくら」は同社サイトでオンライン販売している(画像提供:Smolt)

 地方大学において学生がこのような起業家マインドを養うには、今どのような環境が必要とされているのか。上野さん、そして同大学におけるアントレプレナーシップ育成のキーマンである地域資源創成学部准教授・土屋有さんに話を聞いた。

■チャンスを掴んで「格好良い“何者か”」になれる気がした

 まずは同学部でマーケティングを専門に教える土屋さんの人物像に迫りたい。土屋さんは、自身も大学時代にベンチャー企業の取締役になり、26歳で上場。「面白法人カヤック」をはじめ、数々のベンチャー企業におけるビジネスの空気感を自身の肌で感じてきた。

「1980年、宮崎県生まれの私は、高校時代から『ITでビジネスがしたい』と考えていました。当時はWindows95が普及し始め、インターネットに大きなビジネスのチャンスがある、きっと大きな波が来るという実感があった。大学進学で東京にやってきたのも、そうしたチャンスが掴めるかもしれない、そして自分も『格好良い“何者か”』になれるかもしれないという、大きな期待があったからです」(土屋さん)

土屋さん自身も学生時代にベンチャー企業で働き、上場まで経験。「学生にも起業の選択肢を」と、今は大学という現場で学生に向き合いながら、自らビジネスを興すためのノウハウなどを教授する(筆者撮影)
土屋さん自身も学生時代にベンチャー企業で働き、上場まで経験。「学生にも起業の選択肢を」と、今は大学という現場で学生に向き合いながら、自らビジネスを興すためのノウハウなどを教授する(筆者撮影)

 そう話す通り、土屋さんは大学時代、積極的にIT界隈の大人たちの下を訪ね、インターンシップに打ち込んだ。

 土屋さん曰く、ベンチャーの新たな波は約10年おきに訪れる。サイバーエージェントをはじめとしたインターネットビジネス企業が2000年前後に立ち上がり始め、2010年代になると業界はより細分化。スマホの普及に伴いゲーム領域などにも波がやってきた。

「その頃までは世界の潮流が分かりやすかったのだと思います。『この業界に波が来ている。だからこの波に乗ってやろう』と思えた。でも、今は必ずしもそうとは言えません」と土屋さんは話す。

■まさか自分が起業家に! 背中を押した大学発ビジコンの存在

 昨今はIT、農業、福祉、飲食などさまざまな業界において、ビジネスの形に多様性が生まれ、“IT×農業”などそれぞれの領域も複雑に絡み合う。加えて、エシカル消費やSDGsといった文脈からも「人が何をもって価値とするか」という意識自体に大きな変化が起きている。

「だからこそ、この2020年代に若くして起業を志す人々——特にソーシャルビジネスで起業を考える若者には、私の学生時代に起業家を目指した層とは異なるモチベーションを抱いている人が多いと思います」(土屋さん)

 そんな中、上野さんは冒頭の通り自身の大学での研究が起業の出発点となった。

サクラマスの研究に打ち込む上野さん。研究の過程で、育成の要所である宮崎県延岡市に頻繁に足を運び、現地の生産者とコミュニケーションを取りながら、産業における課題を探った(画像提供:Smolt)
サクラマスの研究に打ち込む上野さん。研究の過程で、育成の要所である宮崎県延岡市に頻繁に足を運び、現地の生産者とコミュニケーションを取りながら、産業における課題を探った(画像提供:Smolt)

「正直な話、最初は起業家になるなんてまるでイメージしていなかったんです。私は岩手県の釜石市出身ですが、生き物の研究がしたいと宮崎大学に入学しました。そこで地元でも馴染みのあったサクラマスの研究を続けていく中で、どれだけ生産のベースができたとしても、産業化されなければ地域の経済循環にはつながらないと実感し始めたんです」と上野さんは話す。つまり、研究を通して分かった社会的な課題には、「ビジネスにすること」がその解決方法の一つになると気づいたのだ。

 そんな上野さんの頭に「起業」という二文字が鮮明に浮かび上がったきっかけが、大学が主催するビジネスプランコンテスト(以下ビジコン)への出場だった。宮崎大学では、土屋さんが旗振り役となり、学生を対象としたビジコンを2017年から開催。上野さんはその第1回大会で見事「宮崎大学長賞」を受賞している。

第一回の「宮崎大学ビジネスプランコンテスト」で見事「宮崎大学長賞」を受賞した上野さん(画像左)(画像提供:Smolt)
第一回の「宮崎大学ビジネスプランコンテスト」で見事「宮崎大学長賞」を受賞した上野さん(画像左)(画像提供:Smolt)

「自分の研究とアイデアがビジネスとして成立する可能性があることを実感できました。加えて、VCの方々をはじめ、ビジコンを通して多くの挑戦する、比較的年齢の近い大人たちと出会い、その熱量を肌で体感できたのも、自分の背中を押す大きな要因になったと思います」と上野さん。さらに土屋さんも次のように続ける。

「『憧れを持てる大人に出会う』というのは、アントレプレナーシップの育成において一つの大きなキーポイントになります。私の学生時代も孫正義やビル・ゲイツをはじめ『あんな大人になりたい』と思える存在はいましたが、あまりにも遠い存在だった。でも、今は地方にもチャレンジする大人が増えて、そういう人に出会える機会が圧倒的に増えています。ビジコンも、そのチャンスの一つでしょう」

■キーになるのは「フランクに、挑戦する大人たちと出会える環境」

 株式会社Smoltはビジコンをきっかけに、宮崎大学から誕生した学生ベンチャー第1号だ。それはもちろん上野さんのアイデアや研究成果が下地にあったからこそのものだが、学内における学生起業の流れは、何も上野さんの属人的な素養故として議論を終えられることではない。というのも、上野さんの存在、そしてビジコンの存在をきっかけに、大学内に学生起業という選択肢を持つ学生が確実に増えているからだ。それは土屋さん自身も実感している。

ビジネスプランコンテストで学生が提案するプラン内容は多岐にわたる。社会的課題にビジネスで立ち向かおうとする学生は多い(画像提供:Smolt)
ビジネスプランコンテストで学生が提案するプラン内容は多岐にわたる。社会的課題にビジネスで立ち向かおうとする学生は多い(画像提供:Smolt)

「ビジコンの出場希望者が増えているのも分かりやすい事実ですが、先日私の下に工学部の女子学生が販促コンペの企画書を持ってきてやって来たんです。話を聞けば、彼女は宮崎大学のビジコン動画をYouTubeで偶然見つけ『こんな大学に行きたい』と愛媛から入学したのだそう。少しずつですが、着実にこの宮崎からチャレンジする学生が増えていると感じていますし、ビジコンがそうした潮流を作る一つの起爆剤に、確実になっていると思います」

 現在進行形で上野さんの存在に勇気をもらい、一歩踏み出そうとしている学生は増えているだろう。実際上野さんは、ドイツ・ベルリンで開催される、社会にインパクトを与える研究を表彰する国際的イベント「Falling Walls2022」ファイナリストにも選ばれている。次は上野さん自身が「憧れを持てる大人」になっていくことは間違いない。

 上野さん曰く「今は目の前のことで精一杯」とのことだが、手応えややりがいは手に取るように感じているようだ。

今は一経営者として、PRやプロモーション、マーケティングなどにも挑む上野さん(筆者撮影)
今は一経営者として、PRやプロモーション、マーケティングなどにも挑む上野さん(筆者撮影)

「元々、あまり『起業した!』という実感がなかったからかもしれませんが、過剰なプレッシャーを感じているわけではなく、程よい緊張感の中で、研究の延長線上としてビジネスを走らせ始められていると感じます。もちろん、労務やプロモーションなど、今までやったことのないことばかりで常に手探り状態ではありますが、思っていた以上に『起業ってそんなにハードルが高いものではないんだな』と感じています。それもこれも、ビジコンというステップがあって、たくさんの大人たちと出会ってきた下地があったからなのではないでしょうか」(上野さん)

緑豊かな学内にある「産学地域センター」のシェアオフィスでインタビューは実施。株式会社Smoltも、このシェアオフィスに入居している(筆者撮影)
緑豊かな学内にある「産学地域センター」のシェアオフィスでインタビューは実施。株式会社Smoltも、このシェアオフィスに入居している(筆者撮影)

 今回、二人の対話の中で頻出したテーマが「フランクに、挑戦している若手社会人と出会うことの重要性」だった。今や東京でなければビジネスができない、という世の中ではない。地方からでも、アイデアさえあれば社会的な課題にもビジネスの視点からチャレンジできる時代になっているからこそ、ロールモデルとしたくなるような大人たちと学生との接点が、これからの日本のベンチャービジネス事情を大きく変えていくのかもしれない。

【プロフィール】

上野 賢(うえの・けん)

岩手県釜石市出身。宮崎大学大学院 博士後期課程(在学中)。専門は「魚類生理学」。大学在学中にサクラマス養殖の研究に没頭し、複数の国際学会で発表実績をもつ。研究の傍ら、生産者の熱意や現場の課題を感じたことをきっかけに事業化を志し、大学院在学時にSmoltを設立。宮崎大学としては初の大学生発ベンチャー。大学のシーズを活用し、地域の水産業を豊かに、そして日本の魚食文化をいつまでも残していくことを理念に活動を続ける。

土屋 有(つちや・ゆう)

宮崎県都城市出身。宮崎大学地域資源創成学部 准教授、株式会社Smolt取締役。マーケティング、アントレプレナーシップが専門。大学生時代にアイレップ取締役、起業、面白法人カヤック ゲーム事業部長、アラタナ取締役、カヤックLiving代表取締役などを経験。現在は、北海道から九州まで学生の創業支援に取り組み、「宮崎・学生ビジネスプランコンテスト」統括。

Twitter:https://twitter.com/yu_tsuchi

ひなた宮崎経済新聞編集長 ライター・PR

1989年、宮崎県都城市出身。早稲田大学政治経済学部卒。宮崎市内でPR・コンテンツプロダクションQurumuを運営しながら、広域宮崎エリアの話題を発信するWebメディア「ひなた宮崎経済新聞」編集長を務める。ライター歴12年。書籍『広報の仕掛け人たち』(宣伝会議)の全編取材・執筆のほか、広告業界誌『ブレーン』、Webメディアを中心にライターとしても活動。企業や自治体のPRサポートやライター養成講座も手がける。地元ラジオ番組のレギュラー出演も。“日本一のスナック街”である宮崎市の繁華街・ニシタチで、スナック紹介スナック「スナック入り口」のママとしてカウンターにも立つ。

田代くるみの最近の記事