【京都市山科区】気になる名前のバス停「おちり池」を調べてみたら、偶然に懐かしい山科に出会えました
山科区内には、「ホッパラ町」「血洗町(ちあらいちょう)」といった少し変わった町名や、「葛篭尻町(つづらじりちょう) 」「楳本町(むめもとちょう)」「桃燈町(ちょうちんちょう)」といった難読地名がいくつかあります。
国道西野の交差点を南に行ったところにある、京阪バスのバス停「おちり池」も、バス停の名前としてはインパクトがあります。
バス停周辺には池らしきものもなく、地名の「西野広見町」ではなく、なぜ「おちり池」というバス停名なのか調べてみました。
周辺を見渡したところ、バス停の北側には「山科本願寺土塁跡南西角」の石碑と「山科本願寺と土塁跡」の説明が書かれた看板が設置されていました。この周辺には山科本願寺の土塁と堀があったことが記されていました。
その看板の中に、バス停の北側のガレージ付近に「オチリ池跡」という表記があり、さらに調べたところ山科区役所が監修した写真集「モノクローム ヤマシナ~未来へつなぐ山科の記憶」の20ページには、昭和30年ごろに撮影された「オチリ池西畔の道」の写真があり、かつては池があったことが確認できました。
おちり池バス停を南に100mほど行ったところにある京都市立山階南小学校の西側に、西野公園があるのですが別名「みょうが池公園」と言われています。かつてこちらにも池があり茗荷の群生地であったことから、開園された際はみょうが池公園という名前でしたが、行政上の名称は西野公園に改名されています。
おちり池バス停の謎は解けたのですが、それを調べていく中で「モノクローム ヤマシナ~未来へつなぐ山科の記憶」で、昭和10年ごろから平成までの山科の変遷が約200枚の写真付きで紹介されていて、あまりの変わりように驚きました。山科の今昔が一目でわかりとても面白い内容ですので、ぜひ見てみてくださいね。