【富田林市】30年ほど前に発見された石川のアケボノゾウ!100万年前にいた日本固有の象は本当に小さい
市内を南北に流れる石川、南の横山・嬉に汐ノ宮火山岩があったりと、太古の歴史を感じる河川ですが、実はかつて小さな象が生息していたことが、高校生たちによって30年以上前に発見されました。
そんな石川にいた小さなアケボノゾウと富田林の関係についてまとめてみたいと思います。
ここは、市内に入った石川の上流から数えて、3番目にある高橋。瀧谷不動尊に向かうこの橋の欄干には、2009年に当時小学校2年生だった錦織小学校の児童の絵などがパネルとなって飾られています。
私は、このとき、それとは別のあるパネルを注目しました。
それがこちら、富田林とアケボノゾウの関係についての説明版です。今では考えられませんが、かつて象が日本にも生息していて、それが石川にもいたということ。そしてその証である化石が発見されたというのですから、驚きです。
最初は1989(平成元)年8月、富田林高等学校理化部の調査によって、河床から足跡化石と化石林(かせきりん:生育した状態のままで、地層中に入った樹木の化石のこと)が発見されました。
実は富田林高校理化部は数年間にわたって行われた地層研究や化石林の発見に基づいたもの。「もしかしたら足跡化石林が見つかかも」と予測を立てて河床を調査したら、本当に発見されたのです。その化石は100万年前のものと判明しました。
この発見により、翌1990年から92年まで、高校生や一般市民の参加によ発掘調査が行われます。そして1991年に錦織南遺跡でも発見されました。さらに時代が下り、2014(平成26)年には、金剛大橋の下流にもアケボノゾウの足跡化石が発見されます。
上の画像では金剛大橋から石川下流方面を見ていますが、この辺りに象が生息していた足跡があったんですね。
さて、アケボノゾウとはどういう象だったのでしょうか?参考画像を上に掲載します。以前私が訪問した滋賀県立琵琶湖博物館(外部リンク)では、アケボノゾウの親子が湿地帯で過ごしている再現模型がありました。
アケボノゾウは、ゾウ目ステゴドン科に属していた、250万年から70万年前に生息していた小型の古代象です。日本各地に生息していました。このように石川や琵琶湖のほか、埼玉県の入間川や東京の多摩川、さらに三重県でも発見の報告があります。
現時点で、大陸では化石記録がありません。日本固有の象ではないかと考えられています。
そんな太古の記憶が残る富田林石川。すばるホール3階のプラネタリウム室前(外部リンク)にはアケボノゾウの全身骨格標本とキバを展示しています。
キバについては、石川で発見される8年前、1981(昭和56)年に、すばるホールの北500メートルにある羽曳野丘陵で発見されました。
アケボノゾウは肩の高さが2メートルで、鼻や耳に骨はありません。小型の象でしたが、代わりにキバが大きいのが特徴です。
いつも通勤通学などで何気なく橋を渡り、流れを見ている石川。実はこの川は100万年以上前もこの地を流れていたのですが、当時はメタセコイアやハンノキが生い茂っていたそうです。
そんな場所に、かつて小型のアケボノゾウ、そしてシカなどが生活をしていたという事実。改めて調べてみて、ロマンを感じざるを得ませんでした。