走り続ける「いだてん」政治的圧力からスポーツを守るのは嘉納治五郎のマンパワー そして美川くん
日本ではじめてオリンピックに参加した男・金栗四三(中村勘九郎)とオリンピックを東京に呼んだ男・田畑政治(阿部サダヲ)を主人公に、明治、大正、昭和とオリンピックの歴史とそれに関わった人々を描く群像劇。第二部・田畑編。なんとかして東京オリンピックを実現しようと、ムッソリーニに譲ってくれと直談判という無謀な策の結果は……
【あらすじ 第33回「仁義なき戦い」 演出:桑野智宏】
1940年のオリンピック開催地を決めるIOCオスロ総会に向けて、嘉納治五郎(役所広司)はイタリアの“陽気な独裁者”ことムッソリーニに譲ってくれとローマまで頼みに行くことにしたが、腰痛(脊椎損傷だった)で断念、1935年1月、副島道正(塚本晋也)が代わりに向かう。
二転三転の末、投票は延期に、嘉納はまたまた突飛なアイデアを思いつく。それは東京に会長ラトゥールを招待することだった。
肺炎に脊椎損傷 満身創痍
イタリア大使である杉村陽太郎(加藤雅也)が実現させたムッソリーニ(ディノ・スピネラ)と副島の会談に田畑(阿部サダヲ)も「日本」という日本の良さをめいっぱい詰め込んだ営業ツールの写真集を渡すことと、朝日新聞の取材として同行する。
田畑は招致委員としてオリンピック招致の内部事情も知っているうえ朝日新聞の記者としても行動している。あきらかに他紙より優位な立場だ。なんだか公平さがないなあと思うが、世の中、こういう調子のいい人が暗躍していることで成り立っているのは事実なのだ。
そうはいっても現実は前途多難。副島は会見を前に肺炎でダウン。「一ヶ月の安静」を「余命一ヶ月」と勘違いする田畑。そして、副島の病との戦いもおもしろを入れながら描き、ものすごくシビアーなときにこういうおもしろを入れてくる。冒頭の嘉納治五郎の腰痛のすったもんだも「(激痛が)来るか来ないか…来ない」と思ったら「来た」という状況はオリンピックが「来るか来ないか…来ないと思ったら来た」というのと重なっているように勝手に感じたのだが、実際のところどうなのだろう。
代わりに杉村が赴くも陽気な独裁者が怒り出してとりつくしまがない。なんとか30分の外出許可の出た副島が満身創痍で二度目の挑戦。でも15分も前についてしまい30分のうち貴重な15分が無駄になると慌てていると、ムッソリーニが15分前にドアを開けてくれた。結果はーー
「な、譲ってくれただろう やっぱり違うんだよ 器の大きな人間は」
嘉納治五郎はご満悦。病を押して嘆願に来た副島に敬意を評して譲ると言ったムッソリーニは「サムライ」魂に思い入れがあるようだ。
このへんの流れを軽やかに描く宮藤官九郎。合間に箸休め的な美川(勝地涼)の場面を入れてくる。東京オリンピックが実現したら、四三(中村勘九郎)を呼ぼうと嘉納治五郎が考えていたその頃、四三は、弟子・小松(仲野太賀)と走りのトレーニングをしていて、その途中、音信不通だった美川(勝地涼)と再会する。
彼は関東大震災のあと大阪、広島、山形とまわり熊本に戻ってカフェを経営していた。
カフェ・ニューミカワのセットは、上京したとき乗った列車のセットを使ったものだそうで、美川もきっと、列車に思い入れがあるのだろう。鉄道の発明が文明を進化させたわけで、美川と四三が東京に出てきたのも列車、四三がオリンピックに最初に旅立ったのも新橋駅から鉄道だし、四三と三島が遠く外国に行ったのもシベリア鉄道だった。四三が一心に走るというイメージと重なるものもある。美術スタッフの取り組みがすばらしい。
「スポーツに関して政府でも口出しさせない」
いよいよオスロ総会。ひとりで向かった杉村だったが、そこには困難が待っていた。イタリアの嘉納治五郎こと招致委員ボナコッサ(フランチェスコ・ビショーネ)に話が通ってないようで、杉村は功を焦ってムッソリーニに話が通っていると話すと会場が騒然、ラトゥールは「スポーツに関して政府でも口出しさせな」と厳しい。
杉村は投票日までの3日の間にいろいろ工作、味方をつくって、巻き返しを図る。このへんの会話を、五りん(神木隆之介)が解説したり、志ん生(ビートたけし)、今松(荒川良々)、五りんの三人で吹き替えで見せたり、「日本の一番長い日」のようにシリアスに見せることもできる駆け引き場面がエンターテインメントになった。
会長ラトゥールは、「政治的圧力をIOCは認めるわけにはいかない」と言うが、杉村も黙っていない、関東大震災で失ったものを取り戻すために1940年にオリンピックを行うしかないと熱弁を振るう。
田畑が会議に出席しなかったわけ
演出の桑野のツイートには、会議に参加しない田畑が客観的に感じたことがその後の彼につながると考えたとあった。かつて、高橋是清(萩原健一)に26回では政治家に政治的に使ったらいいと悪魔的なことを囁いていたこともあった(「富める国はスポーツも盛んで国民の関心も高いんですよ。金もだして口も出したらいかがですか」「スポーツはお国のためにはならないが、若者の希望になるので、その感情を、国を豊かにするために生かすも殺すも先生方次第」)田畑だが、もともと「国のためになるのか」と訊かれ「ならない」と言っていたうえ、実際にオリンピックの楽しさに触れて、政治的なところから田畑はどんどん離れていく。とはいえ、まったくの無心ではなく、それなりに政治家相手に駆け引きをしたりとかしているわけで。なんだかんだ言いながら、好きなことをやるためには政治(駆け引き)が生じてしまう。
杉村の苦悩がひしひしと
嘉納治五郎だって、ロスからの帰国のときに、大衆の心をつかんで空気をすっかり自分のものにしていた。杉村は「日本への一票は嘉納への一票だったんだよ」と思い知る。このとき、水道で水をたくさん出して顔を洗い、挫折感いっぱいになりながら、「おまえは(嘉納治五郎のように)なるよ」と田畑に言う。桑野氏は、前回の演出回で、私の記事に対して「エンタメもがんばります」とツイートしていた。吹き替え落語や、美川の長台詞のカットのタイミングなど楽しかったが、加藤の交渉シーンや嘆きのシーンなどの緊張感を作りあげることが得手のように思う。多分、NHKの演出家はシリアスは巧いのだろう。だからこそ、上質なゆかいなエンタメをつくることができる宮藤官九郎のような脚本家や、大根仁などの演出家と組んで、新たな作品に挑もうとしているのかななどと想像する。
なにごとも駆け引きが
嘉納治五郎が会議に来なかったのもよくなかった。結局は人と人との信頼関係なのだ。そこで嘉納治五郎が手紙を書いて、ラトゥールを東京に呼ぶことに成功する。
「日本」の写真集を開いたときラトゥールは、嘉納治五郎が気に入って何度も見ていた柔道の写真のページを見る。嘉納治五郎に敬意があるのだ。
だが、河野(桐谷健太)はこれにはヒトラーが絡んで日本に貸しをつくろうとしていると読み、「ザット・イズ・ザ・ポインツ」と言っていた回想が出てくる。
本編のあとの情報コーナーでは招致活動を実際に行っていた小谷実可子の体験談があって、河野の意見の裏付けになった。
田畑は河野の考えにナットクいかないが、マリー(薬師丸ひろ子)がふと「田畑さんがメダルをたくさんとったからじゃない」と推測。何にしても「軍への歯止め、あと四年は戦争は起こらない」と河野。なんとも事情が複雑に絡み合っている。
招致委員会での「オリンピックはお国のためになりますか」と記者の質問に、「国のためじゃない 若い者のためにやるんです」と田畑は返す。この考えは以前と変わっていない。
田畑はシンプルにしようとしているけれど、ことはそれほど簡単ではない。
なにごとにもいろんな面があって、そのわかりやすく害のない例は、視聴者には人気の美川を(今週もまたトレンドに入っていた)、スヤ(綾瀬はるか)は「ゴキブリ」と忌み嫌う。
「美川が何をした?」
何もしてない。何もしてなさすぎる。オリンピックも落語もやってない。文学を目指していたはずが流れ流れて生きている。それが腹立つ人もいれば、赦せる人もいる。
美川のような人を許容し楽しむ寛容さこそが平和の象徴じゃないかと真面目に書いちゃうと無粋だと思うが、書いておきたい。宮藤官九郎の作品の魅力のひとつは、いわゆる生産性のないと片付けられがちな者を美川のように魅力的に描き、そういう人がいていい世界にしていることだから。
恐妻になったスヤ(綾瀬はるか)への愚痴がたまった四三は、飲んでないのに酔っ払いながら、東京に行こうと考える。
そして、昭和11年2月26日がやってくる。
34回は、タイトル通り二・二六事件が描かれ、田畑の勤める新聞社も襲撃を受ける。これまでオリンピックに影を落としてきた戦争が身近な危険として迫ることで、田畑の考えにも変化が……。四三と幾江のやりとりも必見。
第二部 第34回「226」 演出:一木正恵 9月8日(日)放送
大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺(ばなし)〜」
NHK 総合 日曜よる8時〜
脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
題字:横尾忠則
噺(はなし):ビートたけし
演出:井上 剛、西村武五郎、一木正恵、大根仁ほか
制作統括:訓覇 圭、清水拓哉
出演:阿部サダヲ、中村勘九郎/綾瀬はるか 麻生久美子 桐谷健太/森山未來 神木隆之介/
薬師丸ひろ子 役所広司 ほか
「いだてん」各話レビューは、講談社ミモレエンタメ番長揃い踏み「それ、気になってた!」で連載していましたが、
編集方針の変更により「いだてん」第一部の記事で終了となったため、こちらで第二部を継続してお届けします。