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三田佳子さん次男の高橋祐也君に20年間つきあってきた者として今回の逮捕に感じた痛み

篠田博之月刊『創』編集長
スポーツ紙が一斉に報道(筆者撮影)

ワイドショーから一斉に電話が… 

 9月11日、三田佳子さんの次男、高橋祐也君が覚せい剤使用の容疑で逮捕されたのには驚いた。その日、朝から私の携帯は鳴りっぱなしで、民放のワイドショーのいろいろな番組から取材が入った。また以前、祐也君が私のところから出版した本『YUYA』を入手したいという依頼も入った。この本はもう絶版になっているのだが、報道に使うというところには便宜を図った。

 基本的にインタビューなどの取材依頼は断った。でも『創』編集部を訪ねてきたところには、事実関係の確認には知っている範囲で応じた。報道が正確になされることを願ったからだ。

 私は祐也君が最初に薬物事件を起こした18歳の時から、いろいろサポートしてきた経緯があった。今年春先にも、祐也君の共同経営の店に足を運んで、長い時間、酒を飲みながら話をした。

 それまで彼から私の携帯にメッセージが届くことはたびたびあったが忙しくてなかなか会いに行けなかったのに、その日足を運んだのは、昨年末の『女性セブン』12月14日号と『女性自身』12月5日号に、彼や三田さんの話が報道されていたからだった。特に『女性自身』の「逮捕3回次男が愛人に『不倫暴行』」という記事は気になって、事実かどうか本人に確認しようと思った。

今回の逮捕報道で、この記事はかなり引用・紹介されているのだが、祐也君に聞いたところ彼は取材に応じてもおらず、記述に間違いも多いことがわかった。本人が間違いだと言っていた部分が今回引用されたりしているのは残念だが、ただ「暴行」の事実は彼自身も認めたので、「それは絶対にやめたほうがいい」とアドバイスした。

 祐也君とはその時、いろいろな話をした。彼と一緒に起業をし、共同経営をしている祐也君の古くからの友人とも話をした。その店は「バー」と報道されているが、「スナック」というのが実態に近いのではないだろうか。彼らが起業をした会社が経営する店だが、普段店を運営しているスタッフは別にいる。

 今回、一部報道では祐也君が「職業不詳」となっており、警察がそう発表したのかもしれないが、敢えて肩書を入れるとすれば彼は「経営者」だ。でもたぶん、別に飲み屋を経営する為に会社を興したのではないと思う。

 会社は、いろいろな事業ができる、いわばベンチャー企業だった。祐也君は、いつも「三田佳子の次男」という言われ方しかされない存在であることに昔から内心忸怩たる思いを感じていたと思う。また、過去3回の逮捕で両親に大変な迷惑をかけていることもわかっている。だから、企業を立ち上げて、何とか成功を収めたところを家族にも示し、社会的にも「三田佳子の次男」でなく「高橋祐也」として認知されることを望んでいたような気がする。

 でも、結局、逮捕である。今回もまた、彼は「三田佳子の次男」としてニュースの対象になってしまったのだった。

何もしてやれなかったことを後悔した

 春先に会って以降も祐也君からはたびたび私のスマホにメッセージが送られてきた。最初は返信していたが、そのうちに私も多忙を理由に、その都度返信することもしなくなっていた。

 今、思うと、それらは彼なりのSOSだったのかもしれない。祐也君はそれまでも苦しい局面でSOSを発信してくることがあった。今回、結果的にではあるが、彼の相談相手になることもないまま、逮捕に至ってしまったことで、申し訳ない気持ちになった。

 祐也君の何度にもわたる薬物事件をめぐっては、一時は三田さん夫妻とも頻繁に連携しながら私も関わってきた。彼が自分の半生を本にするということで『YUYA』の執筆に専念した時期には、ウイークリーマンションに彼と私で部屋を借りて同じ屋根の下で1カ月ほど過ごしたこともあった。

 18歳の高校生で最初に薬物事件を起こした頃の祐也君は、かなり危ない友人たちとつきあっており、危機的な状況だったのだが、私が接した印象は「ナイーブな少年」だった。小さい頃から「大女優・三田佳子の次男」という認知をされてきたことを、一方で誇りに思いながらも、他方で反発するという、そのアンビバレンツで複雑な心情が、屈折した形で彼の人格に反映されていたように思う。

 例えば彼が卒業文集に書いたという、地震があったら何をもって逃げるかという問いへの答え「ペットの犬と親の金」は、10代の少年としては異例なほどのシニカルさに満ちており、当時の祐也君の心情がよく表現されていた。

 その彼が逮捕事件に遭遇し、母親への心情をつづったのが『YUYA』なのだが、今回、番組作りのためにその本を読んだというTBS『ビビット』の女性スタッフは、祐也君の手紙や手記を読んで彼のイメージが変わったと言っていた。確かに獄中から母親に書いた手紙などナイーブさがよく表れている。この本はもう絶版なのだが、できれば電子版にして一般の人が読めるようにしたいと思う。

『創』で報じた過去の三田さんの謝罪会見
『創』で報じた過去の三田さんの謝罪会見

 不良だったがナイーブ、という祐也君のキャラクターは、三田さん夫妻との微妙な親子関係の中から形成されたのだと思う。私が最初に三田さんの自宅を訪れ、その母子の会話を聞いた時には、あまりに祐也君が母親をぞんざいに扱うのに「おいおい」と思った。

 私は三田さんの表現者としての生き方にはリスペクトを抱いてきたし、三田さんに「祐也を頼みます」と言われた時には、これはもう断るという選択肢はないなと思ったものだ。その三田さんが女優としての仕事に誇りと信念を貫いてきたことと、その一方で息子である祐也君との関係が難しいものになっていったこととは複雑で微妙な関わりがあるように思う。

「親としては力及ばず」の切ないコメント 

 2001年初め、祐也君が保釈期間中に弁護士に預けられていた時には、三田さん夫妻と弁護士、それに私も加わって、「チーム三田」という感じで祐也君をどうやって更生させるか、毎日のように顔を合わせていたものだった。

 そんなふうに家族が祐也君を立ち直らせるために並大抵でない努力をしてきた20年だった。そうした経緯を見てきた一人として、11日に三田さんが公表したコメントには、胸を痛めた。

 「親としてはもう力及ばずの心境です」

 こういう言葉を発せざるをえない三田さんの心情を思うと切なくなる。三田さん自身、このところ病気に見まわれたり、舞台を走り回る体力もなくなってきたと話していた。

 祐也君ももう38歳の大人だし、そういう親の状態もわかっているはずだ。もちろん祐也君も自分なりに努力はしてきたのだと思う。でも今回、結果的にこういうことになって、今、留置場でどんな思いでいるのだろうか。

 祐也君本人の口から事情を聞き、実情を把握するまでは安易にマスコミの取材は受けないことにしようと決めた私がこうして一文を書くことにしたのは、11日に公表された三田さんの切ないコメントを読んだこともある。

 そしてもうひとつは、ネットのまとめサイトなどのひどい記述を見たからだ。事実誤認の情報をあちこちから寄せ集め、写真をつけて、それらしく取り繕ったまとめサイトが、検索エンジンの上位に来ていることには、いつものことながらため息が出る。情報を発信するには、まずきちんと「裏をとる」という常識が、ネットでは通用しない。三田さんが祐也君にかつて小遣いを50万円も与えていたという話など、三田さん本人が明確に事実と違うと否定しているのに、ネットでは既成事実であるかのように書かれている。

 三田さん家族や祐也君本人がこの20年間、どんな辛い思いで現実に立ち向かおうとしてきたか、そして結果的に逮捕という事態でその努力が水泡に帰し、当事者たちがどんな思いでいるかを考えると、ネットに誤った情報が流布されている現状にはやりきれない気持ちになる。

 取材依頼があったのはほとんどテレビ局だが、週刊誌では一誌だけ『フライデー』が取材の電話をかけてきた。11日はそれも断り、祐也君については今まで『創』などに相当書いてきたのでそれを見てほしいと言った。

 そしたら12日にまた電話があって、コメントを書いたので見てもらえないか、と言ってきた。取材拒否と言っているのにコメントとは何事だ、と思って電話に出ると、私が以前、東京新聞に書いた記述を見つけてきて、これでどうかというのだった。

 これがまたツボをよく押さえた、今回も私が言いたかった記述だった。

「祐也君は小さい頃からいつも『三田佳子の息子』と言われ、それに抗ったり悩んだりしてきた。もし彼に何か自分自身のアイデンティティと思えるものが見つかっていれば、再び薬物依存に陥ることはなかったはずです」

 だいぶ前に私が書いた記述だが、今回の事件にもあてはまるような気がした。そこで、多少加筆して、私のコメントとして出しても構わないと申し上げた。

9月12日のワイドショーを見ての感想

 12日の朝のワイドショーがこの事件をどう報道しているか、一通り見た。10年以上前、祐也君をただ断罪し、三田さんを「親バカ」とののしり、コメンテーターが「もっと厳罰を」と叫ぶだけだった報道と比べると、かなり良くなっているという印象だった。

 薬物依存がある意味で「病気」であり、ただ重罰を科すだけでは撲滅できないということが、だいぶ理解を得つつあることの、それは表れだった。「とくダネ!」の女性コメンテーター深澤さんの「薬物依存は社会の問題でもあって、単なる個人の問題にしてしまわないことが大切だ」というコメントなど、専門的知見の含まれた良い解説だ。

 もちろん本人の自覚が一番大切だから、祐也君は責められて当然だ。しかし、彼も前の事件の後には、ダルクの関連施設にも入って薬物依存について学習もしたし、自分に何が問われているかは理解していたはずだ。それなのに破滅的な事件を起こしてしまう。薬物依存とはそのくらい深刻な問題なのだ。

 私は薬物依存を克服するための民間互助団体「ダルク」の集会にも何度か参加してきたし、この団体の取り組みには敬意を表しているけれど、一方で、もっと政治や行政が直接薬物依存という社会問題に本気で取り組まないとだめだと思っている。

 それに付随して、今回のワイドショーを見て残念に思ったのは、この何年か、日本も遅ればせながらこの問題に取り組み、例えば薬物犯罪に「刑の一部執行猶予」といった制度的措置を取り入れるなど、「処罰だけでなく治療を」というシステム改革をかなりやっているのに、そういう実情に踏み込んだ報道がほとんどなかったことだ。

「薬物依存の恐ろしさ」に言及するところまでは進化したのだが、その現状をどう変えていくべきかという知見に基づく踏み込みが今一歩なのだ。

 12日にフジテレビ「バイキング」のスタッフから電話があったので、「ぜひ明日の番組で坂上さんにお願いしたい」と言っておいた。祐也君を厳しく叱責するのもよいが、同時に薬物依存の現実にももっと踏み込んでほしい、ということだ。

何度も実感した薬物依存の恐ろしさ 

 私は祐也君のほかに、田代まさしさんや、元体操五輪選手の岡崎聡子さんら、薬物依存に苦しむ何人かとこの10~20年間、つきあってきた。岡崎さんが前回の服役中に両親に死なれ、その両親の死に目にもあえなかった現実には、ひどく胸を痛めた。何とか危篤状態の母親に一目だけでも会うことはできないかという彼女の依頼を受け、ダルクに相談して仮出所の方策を考えた。

 ダルク関連組織の職員に、岡崎さんのいる刑務所に行ってもらったり、できる限りの手は打とうとしたのだが、何も実を結ぶことはなかった。その職員が面会に訪れた2~3日前に母親死去の報が岡崎さんのもとに届いていたという。その話を、職員に電話で伝えられた時にはショックを受けた。

 また田代さんが前回の薬物事件で逮捕された時には、その家宅捜索の終わった後、田代さんの二人の妹とともにマンションでテレビのニュースを呆然としながら見ていたのを覚えている。心配した知人から妹さんに次々と電話が入り、その電話の後、妹さんは「もう死んでしまいたい」と号泣した。

 薬物依存の恐ろしいところは、本人を蝕むだけでなく、家族をも絶望の底に、それも何度も突き落とすことだ。その前の事件から、二人の妹やその家族がどんなに苦労して田代さんを支え、二度と薬物に手を出さないようにと生活を共にしながら尽力していたのを知っていたから、いたたまれない気持ちになった。

「シーシュポスの神話」をご存じだろうか。神の怒りに触れたシーシュポスは、償いの為に大岩を山の頂上に運ぶ作業に従事する。しかし、頂上に着くかと思われた矢先に、その大岩は再び彼の手を離れて転げ落ちていく。それまでの努力が水泡に帰した絶望に駆られながら再びシーシュポスはその大岩を運んでいく。

 薬物依存はこの感じとよく似ている。家族だけでなく本人も苦労して薬物を絶つ努力を重ねてきたのに2~3年経つと、またその誘惑に負けて手を出し、大岩はあっという間に転げ落ちていく。

 私は過去、死刑事件の当事者とも何人も関わってきたし、今も「相模原障害者殺傷事件」の植松聖被告に接見を繰り返している(最近刊行した『創』編集部編『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』を参照)。それら凶悪事件に比べれば薬物犯罪は実刑を宣告されてもせいぜい2~3年が多い。

 でも薬物犯罪の場合は、せっかく出所しても再び、その間の努力をあざ笑うかのように犯行が繰り返される。まさに「シーシュポスの神話」のような絶望的な繰り返しが薬物犯罪の特徴だ。ある意味では非常に深刻で恐ろしいことと言える。

 今回の祐也君の逮捕は、38歳という年齢を考えれば、以前の事件とは違った意味で深刻だ。次には社会復帰や更生がもっと難しくなるし、もうこのへんで本当に更生しないと、一生、その地獄の連鎖から脱け出ることはできないかもしれない。

 そういう実情を考えると、単純に個人を断罪してすまされるべきではないと思う。マスコミはそういう現実をきちんと踏み込んで報道してほしい。切にそう願う。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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