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咲いた花が、ひとつになればよい。 ソウルフラワーBiS階段出演「闇鍋音楽祭2014」レポート

宗像明将音楽評論家
「闇鍋音楽祭」でのソウルフラワーBiS階段(写真:Yoshinori Ueno)

ソウルフラワーBiS階段を東京で見られる最初で最後の日

2014年3月22日、渋谷のTSUTAYA O-WESTでソウル・フラワー・ユニオン主催の「闇鍋音楽祭2014」が開催された。ゲストは非常階段、BiS、そして両者のコラボユニットであるBiS階段だ。これは2013年10月27日に京都で開催された「ボロフェスタ2013」最終日以来の顔合わせとなる。ソウルフラワーBiS階段を遂に東京で見られる日が来たのだ。

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「闇鍋音楽祭」は、毎年ソウル・フラワー・ユニオンがゲストを招いて開催しているイベントだ。たとえば2008年3月28日、29日の「闇鍋音楽祭2008」で、ミドリの後藤まりこがフロアから観客の頭上に登ってステージまで行きライヴが始まったことや、曽我部恵一BANDが全員フロアへダイヴしてステージ上に誰もいなくなったことも思い出深い。

その中でも特に深く記憶に刻まれているのは、2011年3月26日の「闇鍋音楽祭2011」だ。東日本大震災から約2週間後、余震も収まらず、福島第一原子力発電所事故の収束の見込みも立たずに、ライヴが次々と中止になる中、関西在住の中川敬らが上京し、ソウル・フラワー・ユニオンがライヴを決行したのだ。阪神淡路大震災から生まれた名曲「満月の夕」が歌われた瞬間、「音楽を聴いて感情が動かされる」状態に震災後初めて戻れたことを思い出す。あのステージでの中川敬の「攻撃的になりがちな時期だからこそ寛容さが必要だ」という主旨のMCは、苛立つことの多い時期だった当時の私の胸に深く刺さった。

あのときのゲストはカーネーション。当時カーネーションの直枝政広が、南相馬市で暮らすブラウンノーズのブラウンノーズ1号を心配していたことも思い出す。そして、あの日のカーネーションのサポート・ドラムは、 2014年3月30日に亡くなった宮田繁男だった。宮田繁男の逝去を受けて、「闇鍋音楽祭 2011」のリハーサル映像が先日公開された。

振り返るとつらくなったり、感傷的になることもある。「闇鍋音楽祭2011」から3年、「さまざまな問題は解決したのか?」「より問題は増えてないか?」という問いを抱えつつも、それでも「闇鍋音楽祭2014」はポジティヴな方向に振り切ったイベントとして、私に鮮烈な体験をもたらしてくれた。

「BiS」という束縛を外されたBiS

考えてみれば、ソウル・フラワー・ユニオンが「闇鍋音楽祭」のゲストにアイドルを招くということ自体、以前なら想像もできないことだった。BiSのファーストサマーウイカやテンテンコがソウル・フラワー・ユニオンのファンを公言していたので必然でもあるが、それでも両者を結びつけた非常階段のJOJO広重の行動力には敬服する。常人にはまずその発想が浮かばないからだ。

BiSでは、1曲目の「Give me your love全部」のポジションにメンバーが並んだだけで、研究員(BiSファンの総称)が「オイ!オイ!」と騒ぎはじめるなど、冒頭からして頭のネジが大量に外れた異常なテンションに。コショージメグミがでいきなりマイクを落として「ゴッ」と鳴らしていたのも、ある意味でファインプレーだ。馬鹿馬鹿しい光景の連発に、ソウル・フラワー・ユニオンのファンから笑いも起きていたが、それは嘲笑ではなく寛容さの表れであったのが両者のファンとして嬉しかった。

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(写真:Yoshinori Ueno)

ファーストサマーウイカは自己紹介で「ソウルフラワーBiS階段、楽しみにしてました!」と挨拶。「nerve」「primal.」「Hide out cut」「My Ixxx」など、セットリストもキラーチューン攻め。「IDOL」でメンバーの絶叫とダイヴの嵐になるのも、毎度のことながら圧巻であった。

BiSは、「BiS階段としても出演するときのBiS単体」が現在の6人体制のベストではないだろうか。いわば「BiS」という束縛を外されたBiSなのだ。BiS階段を意識して、BiSでもラフになり、勢いを増し、悪態をついて暴れまくる。特に、2013年5月26日に加入した3人、カミヤサキ、テンテンコ、ファーストサマーウイカの活躍ぶりが目覚ましい。私が今年見たBiSの中でもベストアクトだった。

「eat it」で非常階段のJOJO広重、T.美川、JUNKOが登場し、シームレスにBiS階段へ移行。「DiE」の冒頭のテンテンコのソロが、JUNKOの絶叫に掻き消されるのは壮絶な音響だった。BiSはまたスタンガンをバチバチと鳴らす。戸川純のカヴァー「好き好き大好き」でのノイズは、もはやリズムが聴き取りづらいレベルにまで到達していた。

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(写真:Yoshinori Ueno)

BiSがステージを去ってBiS階段は終了かと思いきや、ヒラノノゾミが師匠であるT.美川の機材を操作し、ファーストサマーウイカはドラムを叩いてセッションに。

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(写真:Yoshinori Ueno)

彼女たちも去って、岡野太がドラムを叩きはじめると、遂に非常階段としての演奏が始まった。ノイズが鳴り続ける中に、不意にクライマックスが来る。音響はもちろんのこと、JOJO広重やT.美川の動きを含めて、カタルシスが訪れる瞬間が来て、大歓声で終わるステージだった。

「闇鍋」を体現するソウル・フラワー・ユニオン

ソウル・フラワー・ユニオンは、中川敬が開口一番「ソウルフラワーBiS階段の別働隊、ソウル・フラワー・ユニオンです」とジョークを飛ばした。この日は、元メンバーであるうつみようこがヴォーカルとチンドン太鼓で参加するという強力な体制。「月光ファンファーレ」から圧倒的な祝祭感に満ちたステージを展開し、喜怒哀楽を飲み込んだ日本で最もタフなロックバンドのひとつであることを証明するかのようだった。

MCではキーボードの奥野真哉が「あまちゃん」風に「おらもアイドルになりてえ」と発言。中川敬は、会場で売られている「ビッグイシュー日本版」の紹介もしていた。中川敬の「人生は祭りだ、ともに生きよう!」「音楽って楽しいな、ホンマに」というMCも今日のライヴを象徴しているかのようだった。

新曲の「風狂番外地」は、最近この世を去った「風狂」な人々に捧げられた楽曲。田端義夫ばりにコブシを聴かせて歌うヴォーカルに驚かされたが、総体としてはロックであるというソウル・フラワー・ユニオンならではの楽曲だ。同じく新曲の「地下鉄道の少年」はサビのメロディーの美しさが胸に刺さった。この楽曲の紹介時には、反レイシズムのメッセージも。

インストルメンタルで「国頭ジントーヨー」が演奏されたのは、2013年3月19日にこの世を去った登川誠仁へ捧げたものだろう。そこから「満月の夕」へ。チリのビクトル・ハラのカヴァー「平和に生きる権利」と秋田民謡の「秋田音頭」が同じバンドによって演奏されるのもまさに「闇鍋」を体現するものだ。中川敬の「もっとアホになれ!」という声とともに演奏された「神頼みより安上がり」は、チンドン太鼓とともに会場をヒートアップさせた。

音楽とカマボコと紙吹雪とスタンガンによる圧倒的な祝祭感

そしてアンコールはいよいよソウルフラワーBiS階段。彼らがまずジャックスの「堕天使ロック」を演奏したときには「なぜだろう?」と意表を突かれた。

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(写真:Yoshinori Ueno)

続いてソウルフラワーと非常階段によりBiSの「nerve」が演奏された。ソウル・フラワー・ユニオンの30年の歴史の中で、初めてMIXが入った瞬間だった。「nerve」は、ソウル・フラワー・ユニオンによりガレージパンクのようなアレンジとなり、非常階段によるノイズも響くことに。さらにT.美川やうつみようこも「nerve」でエビ反りをして踊っているというカオス極まりない光景となった。

「海行かば 山行かば 踊るかばね」では、宮城県女川町の蒲鉾本舗高政の高橋正樹が登場してMIXを発動。2度目のアンコールでは、ソウル・フラワー・ユニオンの前身バンドのひとつであるニューエスト・モデルの「こたつ内紛争」が演奏された。

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(写真:Yoshinori Ueno)

アンコール終盤は、蒲鉾本舗高政のカマボコが観客にまかれ、気づくとBiSのプー・ルイとコショージメグミが2階からカマボコを投げていた。フロアを見ると、カミヤサキとテンテンコが観客の頭上を歩いてる。しかもステージから相当な距離まで進んでいる。冷静に考えると、ソウルフラワーBiS階段ではBiSはあまり音楽面に参加していないのだが、音楽とカマボコと紙吹雪とスタンガンによる圧倒的な祝祭感は、そうしたことすら忘れさせるほどだった。それでいいのだ。

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(写真:Yoshinori Ueno)

ここで特筆したいのは、コショージメグミの奮闘ぶりだ。この日、会場に届けられたカマボコはなんと1000個。コショージメグミは、一袋分を投げ切ると、即座に次の袋からカマボコを投げ続ける。投げても投げても減らないカマボコを、自分もカマボコを口にしながら投げ続ける。来場していた大森靖子を見つけると、抱き合った後に、自分が食べていたカマボコを大森靖子の口の中に突っ込み、さらにカマボコを投げ続ける。まるでコショージメグミの人格がカマボコに乗っ取られたかのようだった。もう元に戻ったのだろうか……。

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(写真:Yoshinori Ueno)

この日の大量のカマボコは、「ソウルフラワー震災基金」により購入されたものだった。

東日本大震災の沿岸被災地である宮城県女川町のPR、また、震災そのものを忘れないための喚起として、3月22日渋谷O-WESTで開催された『闇鍋音楽祭/ソウルフラワーBiS階段』公演で振る舞われた蒲鉾代にソウルフラワー震災基金を活用させていただきました。

出典:ソウルフラワー震災基金からの報告とお願い

ソウルフラワーBiS階段での登場時にコショージメグミが「がんばっぺ!女川」のタオルを掲げていたり、ソウル・フラワー・ユニオンの「満月の夕」で高橋正樹が2階で女川のタオルを広げながら号泣していたりと、約1週間前の2014年3月16日に開催された「女川町復幸祭2014」の延長戦のようにも感じられた。2011年の女川町での中川敬と高橋正樹の出会い、2013年の「ボロフェスタ2013」でのソウルフラワーBiS階段の誕生、そして「女川町復幸祭2014」を経ての鮮やかな決着だった。ときに振り返ることがあっても、前を向こう。

いつかまた、女川で会いましょう。 BiS、大森靖子など出演「女川町復幸祭2014」レポート(前編)

いつかまた、女川で会いましょう。 BiS、大森靖子など出演「女川町復幸祭2014」レポート(後編)

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(写真:Yoshinori Ueno)

咲いた花が、ひとつになればよい。

そして終演後、ソウルフラワーBiS階段がジャックスの「堕天使ロック」を演奏した真意を知ることになった。

咲いた花が、ひとつになればよい。

出典:Twitter / jojo_hiroshige

この2014年3月20日のJOJO広重によるツイートを私はなにげなく「お気に入り」に入れていたのだが、それこそが「堕天使ロック」の歌詞の一節だったのだ。

「堕天使ロック」の歌詞、みんないいのだけれど、『咲いた花が、ひとつになればよい』という一節があって、この言葉に今日のライブ、ソウルフラワーBiS階段というユニットの全てが凝縮されているような気がしています。歌は歌い継がれていくのだと。

出典:Twitter / jojo_hiroshige

このJOJO広重のツイートは、ソウルフラワーBiS階段のみならずBiS階段のすべてを物語っているかのようだ。2014年4月22日に開催される「JAZZ非常階段+JAZZBiS階段」(非常階段、坂田 明、大友良英、ヒラノノゾミ+ファーストサマーウイカ)、そして5月6日の「BiS階段 LAST GIG」をもってBiS階段は解散する。それが7月8日に決定している「BiS解散LIVE BiSなりの武道館」と同じぐらい重要なのではないかと感じられるのは、BiSというグループの終盤にとって、彼女たちの可能性を大きく広げたJOJO広重という「プロデューサー」の存在が非常に大きかったからだ。終演後に中川敬と話していたとき「BiSはパフォーマーだからアイドルかどうかなんて関係ない」という主旨の発言をしていたのも、BiSの本質を鋭く見抜いたものだった。

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(写真:Yoshinori Ueno)

あと2週間でBiS階段は解散し、3ヶ月足らずでBiSも解散する。咲いた花がひとつになり、そして散っていく。しかし、その後に私たちがどうすればいいかは決まっているのだ。ときに振り返ることがあっても、前を向こう。

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(写真:Yoshinori Ueno)

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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