縁のあるG1トライアルに臨む親子ホースマンのストーリー
調教助手だった父の下で育つ
紫苑S(G3)。今週末の中山競馬場で行われる秋華賞のトライアルレースへ向け「今年も」、そして「今年は」と思う男がいる。
鈴木謙治朗。
美浦・黒岩陽一厩舎の持ち乗り調教助手だ。
1986年9月17日生まれ。紫苑Sの直後に34歳の誕生日を迎える。父・良和は元調教助手。母・和子との下、3人兄妹の真ん中、次男として育てられた。環境がら小学5年生の時には乗馬を始めた。中学では卓球に興じたものの、引き続き馬にも乗り続けた。高校の3年間は馬術部で汗を流すと、卒業と同時に美浦トレセン近隣にある育成牧場に就職した。
「自然と馬の世界に入った感じでした。乗馬はしていたけど、育成牧場は元気な現役の競走馬ですからね。何度も落とされました」
それでも他の道に進路を取ろうとは思わなかった。2009年には競馬学校を経て、美浦トレセンの厩舎で働くようになった。
「最初の頃は補充のスタッフとしていくつかの厩舎を転々としました。担当する馬で早く勝ちたいとは常に考えていました」
その時は自分が考えていた以上に早く訪れた。小笠倫弘厩舎時代に自身の初勝利をマーク。トレセン入り後、半年と経っていない時期だった。その後、小島茂之厩舎に移った時だった。小島に一人の男を紹介された。
「当時、鹿戸雄一厩舎にいた黒岩陽一調教助手でした」
黒岩はその後、調教師試験に合格。12年に開業すると、3年後の15年から鈴木は彼の下で働くようになった。
父の雪辱を果たす自身初の重賞制覇
「小島茂之先生に言われた『1頭の馬がトレセンに来るまでには何人もの人の手がかかっている事を忘れてはいけない』という教えと、黒岩先生から『馬は常に綺麗な状態に』と言われている事はいつも心に留めて働いています」
そんなある日、出合ったルーラーシップ産の牝馬は、名をパッシングスルーといった。
同馬は新馬戦を快勝。4戦2勝という成績で昨年の紫苑Sに出走すると、競り合いの末、ハナ差で優勝。鈴木にとっても初めてとなる重賞制覇を飾ってみせた。
「重賞勝ちはやっぱり違う喜びというか、嬉しさを感じました」
鈴木にはこの紫苑Sに対する特別な思いがあった。話は彼が高校生の頃に遡る。03年のこのレースに出走したタイムウィルテルを応援していた。結果は2着。秋華賞への切符は手にしたものの、勝つ事は出来なかった。
「タイムウィルテルは父が担当していた馬でした。悔しかったのを覚えています」
それから16年。すでに引退した父の無念を晴らす形での優勝劇だったわけだ。
縁ある重賞に今年も挑戦
パッシングスルーが紫苑Sを勝った丁度その頃、鈴木はもう1頭の牝馬と出合った。エピファネイアの仔で、パッシングスルーの1つ下のこの馬の名はシーズンズギフト。11月の新馬戦をササリながらも楽勝すると、年が明けた今年1月には自己条件をほとんど追うところなく勝利。しかし、その後の2戦、すなわちフラワーC(G3)とニュージーランドT(G2)はいずれも激しく折り合いを欠いてそれぞれ3、2着に惜敗した。鈴木は言う。
「普段は大人しいのですが、2戦目あたりから競馬へ行ってうるさい面を出すようになってしまいました。ニュージーランドTは引っ掛かってしまったので『大丈夫かな?』と思って見ていたところ、手応え良く先頭に立ったので驚きました。結果、負けたけど、折り合いがつけばもっとやれると手応えを感じました」
前走後は放牧先のノーザンファーム天栄で骨折していた事が判明。幸い、軽症だったため、その後、移動したノーザンファーム早来で順調に回復。8月中には帰厩を果たし、無事、今週末の紫苑Sに駒を進められる運びとなった。現在の状態について、鈴木は「骨折の影響は全く考えなくて大丈夫です。体は成長して大きくなっています。ここも折り合い一つだと思います」と評した後、次のように続けた。
「今年も昨年のようにいきたいですね」
しかし、同時にその胸の内では「今年こそは」と思う部分もあると言う。昨年、紫苑Sを制したパッシングスルーは本番の秋華賞では残念ながら10着に敗れてしまった。また、父が担当していたタイムウィルテルも秋華賞では14着だった。だから、言う。
「紫苑Sを勝った上で、次もよい勝負が出来る事を祈っています」
コロナ禍の影響で実家には帰れない日々が続いているため、父とはしばらく話せていないと言う。しかし「今年こそ!」と願う気持ちは親子ともども同じだろう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)