Yahoo!ニュース

『金妻』、『昼顔』、『せいせいするほど、愛してる』、不倫ドラマが流行る理由。

成馬零一ライター、ドラマ評論家

不倫ドラマが増えている

ワイドショーや週刊誌では、有名人の不倫をスクープしたゴシップ記事が盛況だが、テレビドラマも不倫を題材にした作品が増えている。

現在は、武井咲が演じるティファニージャパンの広報に勤める女性社員が、滝沢秀明が演じる副社長に妻帯者と知りながらも好きになっていく『せいせいするほど、愛してる』(TBS系)と、長谷川京子演じる主婦が、成田凌が演じる年下の男性と不倫関係になる恋愛ドラマ『ふれなばおちん』がNHK BSプレミアムで放送されている。

前クールでは1996年代に発表された林真理子の小説を現代向けにアレンジした『不機嫌な果実』(テレビ朝日系)を筆頭に、前田敦子が演じる奔放な恋愛を繰り広げている政治記者が、新井浩文が演じるライバル社の先輩政治記者といつの間にかドロドロの不倫関係に陥っていく『毒島ゆり子のせきらら日記』(TBS系)、デヴィッド・フィンチャーの映画『ゴーン・ガール』を下敷きにしたと思われる『僕のヤバい妻』(フジテレビ系)は夫婦が争うサスペンスだが、夫の浮気が騒動の背景にあるので、一種の不倫モノと言えるだろう。

また、大石静が脚本を書いた、無差別殺人事件で夫を失った女性が、夫を殺した男を愛してしまう『コントレール~罪と愛~』(NHK)も、少しひねった不倫モノだと言えよう。

一口に不倫モノと言っても作品の傾向はバラバラで、不倫そのものを中心に置いているものもあれば、物語の隠し味として使っているものも多い。

例えば、91年に放送され大ヒットした『東京ラブストーリー』(フジテレビ系)のヒロインだった赤名リカ(鈴木保奈美)は、主人公の男性と恋愛する前は上司と不倫関係にあった。

先進的な女性(もしくは、先進的な人間と思いこみたい女性)ほど、同世代の男が子どもに見えて、大人の男性と恋愛関係になるというイメージがあるのかもしれない。これが学園ドラマだと教師と付き合う女子生徒の恋愛となる。

その意味で、大人の女性の仕事と恋愛を描こうとすると、不倫というモチーフがどうしても入り込んでしまうという側面があるのかもしれない。

不倫は最大のタブーなのか?

今日に至る不倫モノの定型を作ったと言える80年代の『金曜日の妻たちへ』(TBS系)を筆頭に、不倫を題材にしたドラマは昔から存在しているが、近年で一番の話題作と言えば『昼顔~平日午後3時の恋人たち~』(フジテレビ系)だろう。

上戸彩が演じるスーパーのパートタイムで働く主婦が、斉藤工が演じる教師と許されざる恋に落ちていく本作は、大人のドラマとして話題になり「昼顔」という言葉は、2014年の新語・流行語大賞にもノミネートされている。吉瀬美智子が演じる複数の男性と不倫をする奔放な主婦も印象的で、同時に彼女が不倫をせざる負えない背景として、家族の息苦しさに押しつぶされそうになっている姿がしっかりと描かれていた。脚本の井上由美子とチーフ演出の西谷弘の相性もぴったりで、他の作品とは違うハードボイルドな不倫モノとなっていた。

もっとも、同じ時期に柴門ふみの漫画を原作とした『同窓生~人は、三度、恋をする~』(TBS系)という不倫モノが放送されていたので、『昼顔』が不倫ドラマブームの出発点というのは厳密には違うのだろう。

2010年に大石静が脚本を書き、長谷川博己の出世作となった『セカンドバージン』(NHK)を筆頭に、不倫を題材にした作品は定期的に作られており、潜在的な需要はずっとあるのだと言える。

では、なぜ不倫を題材としたドラマが作られ続けているのだろうか。

劇中の不倫の描かれ方で共通しているのは、人に知られてはならない秘めた恋だからこそドラマチックな物語として描かれていることだ。恋愛ドラマは恋人同士の間に障害があるほど、盛り上がる。逆に言うと障害がないドラマは基本的に盛り上がらないのだが、自由恋愛が当たり前の時代において、障害を作るのは難しい。そんな中、未だ万人にとってタブーとされているのが不倫である。

これもまた大石静が書いたドラマなのだが、美容整形を題材にした『クレオパトラな女たち』(日本テレビ系)という作品は、美容整形を中心とした様々なタブーを打ち破っていく豪快な作品だったのだが、最後の最後で主人公が不倫をすることになった時に、とたんに古い倫理観が全面に打ち出された古風な物語に様変わりしてしまったのが妙に印象的だった。あのドラマを見た時、どれだけ経済的に自立した強気で自由な女性を描いていても、不倫の重たさは、むしろ昔より強まっているのではないかと感じた。

また、ほとんどが女性向けの作品だというのも、大きな特徴だろう。

商品として見た不倫モノの利点は、不倫=エロティックという名目で効率良く濡れ場を出せるということだ。

『不機嫌な果実』はそれを確信犯的に展開していたのだが、近作の大きな特徴としては、性的な欲望を向けられるのが若い男性俳優だと言うこともあるだろう。

つまり、エロティックなイケメンドラマとして需要されているのだが、これは、冷静に考えればある程度当然のことだろう。

男性向けのエロティックなコンテンツは女性アイドルのグラビアから熟女向けのアダルトビデオまで、あらゆる性的な欲望は、少し手を伸ばせば簡単に手に入る仕組みになっている。それに比べると女性向けエロティック作品の市場は、ここ10年ぐらいで大きく広がったものの、まだまだ数としては少なく、だからこそ、そういった欲望は物語の形を借りて描かれる。

かつて、AKB48の人気アイドルで、今は女優として活躍する前田敦子が主演を務めた『毒島ゆり子のせきらら日記』にしても、男性ファンの欲望に応えるというよりは性的な場面では男性に対して強者であろうとして複数の男性と恋愛をしていたヒロインが、妻子持ちの男に引っかかってしまう滑稽だが哀しい姿が描かれており、女性視聴者の共感を呼ぼうとする作りとなっていた。

ワイドショーにおける不倫の描かれ方

それにしても、現実の芸能人のゴシップ記事の反応と、ドラマで描かれる不倫を見比べていると、両者の物語構造が真逆であることに改めて驚かされる。

週刊誌の不倫報道のほとんどは、“浮気された奥さん”の立場から語られる。

そこでは不倫をした夫と夫をかどわかした女性は家庭にトラブルを持ち込む悪役である。

もちろん、それぞれの家族の事情は別々だ。しかし、そこで描かれる不倫劇の多くは奥さんと子どもを被害者とみることが一番の前提にあり、それをひっくり返すことは難しい。そして、奥さんと子どもが可愛そうという善意が反転して、家族を傷付けた不倫の当事者に社会的制裁を加えたいという欲望に火がつけられる。

その意味で、近年のワイドショーにおける不倫報道の盛り上がりは、円満に見えた家族が、ボロボロに崩壊していく様をエンターテイメント的に楽しんでいる側面が大きい。

そこで攻撃対象とされているのは芸能人や政治家、文化人といったセレブリティであり、火をつけられるのは、彼らを引きずり下ろしたいという大衆の嫉妬心だ。

非正規雇用の男女が増える中で、ふつうの恋愛や結婚ですらも難しいものとなりつつある。そんな世の中で、不倫ができる男とは、それ相応の社会的地位や経済的成功があるというのが暗黙の前提だ。

そんな男と不倫をする女性は、金と社会的地位が目当ての若い女というケースが多く、本人にそんな気がないにしても、そう世間には見えてしまう。

おそらく、不倫そのものに対する風当たり以上に、貧しく無名の時代から支えてきた奥さんを捨てて、若い女に乗り換えようとする男と、そんな出来上がった男を若さと美貌でつまみ食いをしようと目論む女に対する「うまいことやりやがって」という反発と羨望が大きいのではないかと思う。

繰り返しになるが、安定した経済力と社会的地位がなければ不倫はおろか、恋愛や結婚ですら今の日本では簡単ではないのだ。だから不倫は、結婚できた人間のみが味わえる最高の贅沢だと言える。

もちろん、それはあくまで記事になった時に浮かび上がる客観的な現実であり、当事者には、簡単に語ることができないそれぞれの事情があるのだろう。

アンチホームドラマとしての不倫モノ

「これを不倫だと思いますか? それとも純愛だと思いますか――?」とは、『せいせいするほど、愛してる』のキャッチフレーズだが、どれだけ世間から見たら、間違ったことに見えても、当事者にはそうせざる負えない切実な理由があるのだろう。

そのため、大抵の不倫モノのドラマでは、不倫をせざる負えない理由が設定されている。それは、夫婦の間がセックスレスだったり、どちらかが原因で不妊に悩んでおり、そのことが原因となって姑から嫌味を言われたり。

また、よくあるのは夫婦のどちらかが(大抵は夫)が先に浮気をしているというケースだ。

そういった不幸が積もり積もって主人公が抑圧的な日常を送っていたある日、偶然出会った魅力的な異性にひかれていってしまう。という物語構造になっている。

それが一番わかりやすく出ていたのが、主婦の孤独を描いた『昼顔』だったと言えよう。本作には、そもそも家族は本当にすばらしいのか? という問いかけすらも含まれていた。

一見円満に見える家庭にもさまざまな問題があり、そこから抜け出す唯一の希望として不倫は描かれているのだ。だから不倫相手は、ドラマでは息苦しい家族から救い出してくれる究極の恋愛相手となり、逆に現実では、家族を破壊しようとする悪となる。

その意味で不倫ドラマは家庭を否定するアンチホームドラマだと言える。 

主婦層をターゲットとするワイドショーにおいて、家族を否定することは最大のタブーだ。しかし、誰よりもそんな家族のしがらみにウンザリにしているのも主婦である。

そんな彼女たちの欲望は、現実には不倫をした人間に対する社会的制裁の残酷ショーとして発露されるが、フィクションでは、今の現実から解放してくれるメロドラマとして描かれる。

家族の抑圧がある限り、不倫モノが廃れることは今後もないだろう。

ライター、ドラマ評論家

1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家」(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。

成馬零一の最近の記事