ピーチ機内でマスク拒否の男逮捕 取調べ室や法廷でも拒否されたらどうする?
昨年9月にピーチ航空の機内でマスクの着用を拒否するなどの騒動を起こし、臨時着陸させた男性が、威力業務妨害などの容疑で逮捕された。では、取調べ室や法廷におけるマスクの着用はどうなっているか――。
どのような事件?
報道によれば、次のような事件だ。
「府警は…容疑者の自宅などを捜索。捜査員に付き添われて自宅を出る際…容疑者は『不当な警察権力の介入だ』などと叫び、捜査車両に乗せられた」
「ピーチ社によると、離陸前に乗務員らがマスク着用を求めたが…容疑者は『要請するなら書面を出せ』と拒否。離陸後も威圧的な態度で拒んだという。機長は航空法の『安全阻害行為』に当たると判断し、臨時着陸して…容疑者を降ろした。約2時間15分遅れで関空に到着し、乗客約120人に影響した」
「容疑者は逮捕前…『健康上の問題があり、長時間マスクをするのは困難だった。マスク着用は義務ではなく『お願い』で、根拠を聞く正当な理由があった』と話していた」
逮捕容疑は、航空会社に対する(1)威力業務妨害罪や、客室乗務員の腕をつかんで捻挫させたとされる(2)傷害罪のほか、機長の命令に反して安全阻害行為を繰り返したとされる(3)航空法違反だ。
最高で(1)が懲役3年、(2)が懲役10年、(3)が罰金50万円だが、男性は「現時点で認否は保留します」などと供述しているという。
取調べ室でのマスク着用は?
捜査や裁判の段階でも、こうしたマスクの着用をめぐる問題が生じる。男性は逮捕後に捜査員から着用を促されたものの、拒否したことから、素顔のままで護送された。
しかし、警察の取調べ室は狭いし、相当の時間、至近距離で向かい合わせに座り、やり取りを行う。そのままだと顔につばが飛ぶこともあるので、相互に感染源となる危険性が極めて高い。
そこで、警察庁は、全国の警察に対し、感染防止のために適宜の換気や消毒などを実施するほか、捜査員にもマスクの着用を指示している。
また、取調べを受ける被疑者にもマスクの着用を積極的に促すべきで、もし被疑者がマスクを持っていなければ、署内で検討した上で警察のマスクを交付し、着用させても構わないとしている。
ただ、被疑者に取調べ室でのマスク着用を義務付ける法律の規定までは存在しない。
警察への抗議のためにハンストに及ぶ被疑者もおり、生命に危険が及ぶおそれがあれば強制的に栄養剤を注射できるし、留置施設内でも感染防止のために強制的な治療や隔離などができ、いまはマスクの着用を義務付ける措置もとられているものの、取調べ室まではカバーされていない。
着用拒否をデメリットに?
もちろん警察は、「健康上の問題があり、長時間マスクをするのは困難だ」という男性の主張について医師らから十分な裏付け捜査を尽くし、その真偽を見極めるはずだ。
それでも、男性が「法令に義務規定がない以上、取調べ室では絶対にマスクを着用しない」と頑強に言い張るかもしれない。
警察がその言い分に従うと、この男性を真似し、ゴネる被疑者が相次ぐことだろう。
取調べ室内に透明のアクリル板を設置して取調べを行うのが無難なやり方ということになるが、被疑者が凶器として使う危険性もある。
そうすると、警察が公安労働事件などによくある出房拒否や完全黙秘の被疑者と同様の取り扱いをすることも考えられる。
全く取調べができず、真相解明も進まないとして、検察ともども勾留やその延長を要する事情として挙げ、着用拒否を被疑者のデメリットにすることで、自発的な翻意を促そうというわけだ。
法廷でのマスク着用は?
裁判所が男性の勾留を認め、男性やその弁護人らが請求したら、裁判官が公開の法廷で勾留の理由を開示する。
また、勾留の有無を問わず、起訴された場合でも、男性が略式罰金に応じるといった場合でない限り、やはり公開の法廷で審理が行われることになる。
この点、裁判所も、飛沫感染のリスクが高い法廷では、裁判官や書記官らが率先してマスクの着用を徹底するとともに、検察官や弁護人、被告人、護送担当職員、傍聴人らに対し、着用を要請している。
健康上の理由で着用が困難だといった特別な事情がある場合に限り、マウスシールドやフェイスシールドといった代替措置をとっているものの、基本的には一律にマスク着用への協力が求められているのが実情だ。
マスク着用が裁判に与える影響は?
もし男性が「法令に義務規定がないので、法廷でも絶対にマスクを着用しない」と主張した場合、裁判所の対応が見ものだ。
というのも、昨年6月に東京地裁で行われた裁判員裁判の際、現にマスクの着用を拒否した弁護人がいたからだ。2時間にわたって審理が中断した後、裁判長が苦言を呈した上で、弁護人に近い席に座る裁判員の前にアクリル板を設置し、再開するという異例の事態となった。
ただ、こうした弁護人の行動には、次のような理由がある。特に裁判員裁判では、賛同する弁護士らも多い。
・マスク姿で顔半分を覆われた証人や被告人に対する尋問、質問では、その表情を十分に確認できず、声も聞き取りにくく、証言の信用性を判断するための重要な要素が失われる。
・尋問者の問いかけや証人、被告人の答えはお互いの表情や態度などで変わりうるが、尋問者までマスク姿だと、双方がその表情や声などを正確に把握できず、十分な証言や供述が引き出せなくなる。
・検察側の冒頭陳述や論告、弁護側の弁論の際も、マスク姿だと表情などを十分に確認できず、その主張を理解するための重要な要素が失われる。
「マスクの着用は個人の自由だ」といった話ではなく、着用によって正確な事実認定ができなくなり、適正な手続に基づいて真実を発見するという「刑事裁判のあるべき姿」から遠ざかるという理屈だ。
退廷命令を出す?
裁判所も試行錯誤をしており、事件の内容によっては、弁護側の求めに譲歩し、証言台や当事者席の前に透明のアクリル板を立てさせたり、被告人質問や証人尋問のときだけフェイスシールドへの付け替えを認めるケースもポツポツと出てきている。
今回の男性も、もし法廷でマスクの着用を拒否するということになれば、裁判所から代替策としてフェイスシールドの着用を求められるのではないか。
これすらも拒否した場合、裁判所が強権的な態度に出るか否かも注目される。
法廷の威信を保ち、その秩序を維持するため、合議法廷であれば裁判長、単独審理であればその裁判官に被告人らの退廷を命じる権限が与えられているからだ。
大暴れしたり、意に沿わぬ証言をする証人に怒声を発した被告人がよく退廷させられているが、マスクの着用を拒否する被告人に適用された前例はなく、リーディングケースになることは間違いない。(了)