甲子園でもタイブレーク導入へ!
甲子園での「タイブレーク」導入が、いよいよ待ったなしの状況になった。今春センバツ2回戦で、滋賀学園-福岡大大濠(タイトル写真)、健大高崎(群馬)-福井工大福井と、立て続けに15回引き分け再試合があり、投手の健康管理の観点から、早期導入の声は出ていた。早ければ、来春のセンバツ大会から実施される見込みだ。もっとも、秋の神宮大会や、春の都道府県、地区大会ではすでに採用されていて、甲子園での導入も時間の問題と思われていた。以前、私もこの問題については触れているので、14年7月7日の拙文をご参照いただければ、この制度がどのようなものかはおわかりいただけると思う。
15回打ち切りになって再試合が急増
「健康管理」は大きな問題で、これを見過ごすことはできない。しかし、野球に限らず高校スポーツを人為的に終わらせていいものかと思う。つまりタイブレークは、選手の健康を守ると同時に、『勝負を早く決着させる手段である』ということだ。延長再試合があると日程が延びる。かつての再試合規定は18回だったが、15回に短縮した途端、引き分けが急増した。センバツで18回満了の再試合は昭和37(1962)年の作新学院(栃木)-八幡商(滋賀)の一試合しかない。夏を含めても、延長引き分け再試合規定ができて41年間で4試合(春1、夏3)だけだった。ところが、15回になった平成12(2000)年以降、18年間で8試合(春6、夏2)に増えた。特にセンバツでは投手優位のため、その傾向は顕著だ。センバツは天候不順な年も多いことや、開幕が迫った阪神の公式戦に配慮することもあり、早く大会を終わらせないといけない。ここに、タイブレーク導入の本音が透けて見える。
日本文化になじまない合理的手段
近年のアマチュアの国際大会や、今春のWBCでもタイブレークが採用されている。高校野球の全国大会では、平成23(2011)年の神宮大会で最初に採用された。野球の母国・アメリカの人たちが考えそうな、いかにも合理的な発想だ。最近では、故意四球(敬遠)は投げなくてもいいとまで言い出している。しかし、野球とベースボールは似て非なるものである。日本人が、タイブレークのような発想をするとは思えないし、ましてや敬遠は投げなくていいなど思いつくはずもない。つまり、野球は100年以上にわたって、日本人がつくり上げてきた文化なのだ。そして、高校野球はその原点である。単に時代の流れ、世界の趨勢と片付けてしまっていいのだろうか。
ファンの意見は?
この春、甲子園のネット裏常連の友人たちと、この問題について意見交換した。彼らはコアな高校野球ファンで、甲子園以外の試合にも数多く足を運び、非常に「客観的」な視点を持っている。多くの方は気づかれないと思うが、実はこういう人たちが高校野球の人気を支えている。彼らはどんな試合も最後まで観戦し、監督や指導者から信頼されている人も少なからずいて、当然、現場の事情も理解しているから健康管理や故障に無知なはずがない。彼らの意見は総じて、「健康管理の方法はほかにもあるはず。試合を終わらせ、日程を消化するためとしか思えない」であった。今回、全国47の都道府県連盟中、38連盟が導入に賛成したようだが、こうした真面目なファンや、実際に引き分け再試合を経験した人の意見は聞いたのだろうか。さらに、日々、白球を追っている現役選手の大半がタイブレークには反対だと聞く。選手の健康面を軽視するつもりはない。今センバツでも、再試合に勝ったチームが主戦を休ませて敗れたように、指導者がしっかりしていれば選手は守れる。今回の成り行きは、現場や客観視できる人たちの意見が反映されているのだろうか。
甲子園の高校野球は文化
ここからは個人的な意見である。私は、甲子園でのタイブレークには反対する。高校野球はドラマであり、選手たちがめざしてきた甲子園という舞台で死力を尽くすところにこそ、ドラマは生まれてきた。そして、その多くが延長での死闘であったことは、ファンなら説明しなくてもわかる。ファンのために高校野球をやっているわけではない。しかし、40年以上接してきてはっきり言えるのは、「甲子園の高校野球は文化だ」ということだ。ドラマ性を一気に喪失させる人為的手段が、伝統文化を大切にする日本人に受け入れられるはずがない。高野連はこれまでから時代に即した改革を断行し、現場にもファンにも受け入れられてきた。しかし、今回はファンや選手の内面にまで踏み込む。せっかくの熱戦が、あるタイミングで人為的に終わらせられる。敗者はもちろん、勝者にとっても後味が悪い。秋には来春導入のゴーサインが出るようだ。この夏、もう一度、高校野球を見つめなおしてみたい。