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長谷川が100mのベスト更新を足がかりに 200mバタフライの日本記録に挑む

田坂友暁スポーツライター・エディター
100mでベストを更新した長谷川(2019年日本選手権より)Photo/中村博之

バタフライの系譜を継ぐ長谷川が100mでベストを更新

 57秒49。

 この記録は、8月29日の東京都特別水泳大会1日目に、ある選手が約5年ぶりに出した自己ベストの記録である。

 2016年、リオデジャネイロ五輪の選考会直前に200mバタフライで2分06秒00をマークし、一気に世界トップクラスまで駆け上がった。しかし、そこから長いトンネルが待っていた。記録が、出ない。代表には入るが、思ったような結果を残せない。彼女本人がいちばんもどかしい思いをしていたに違いない。

 ミックスゾーンであふれ出そうな感情を抑え、涙をこらえながら、ひとつ一つ記者の質問に丁寧に応えたときもあった。

 誠実で、素直。結果が良くても悪くても、はきはきと自分の気持ちを話してくれるし、自分の悪かった部分をしっかりと分析できる力も持っている。

 長谷川涼香(東京ドーム・日本大学)は、そんな選手だ。

 女子のバタフライは、青木まゆみさんがミュンヘン五輪で金メダルを獲得して以来、世界のトップクラスで戦い続けている種目でもある。

 シドニー五輪ではメドレーリレーで大西順子がメダルに貢献し、アテネ五輪では中西悠子が銅メダルを獲得。ロンドン五輪とリオデジャネイロ五輪では、星奈津美が3人目となる女子競泳選手での2大会連続でメダルを獲得した。その系譜を受け継ぐ選手として注目されているのが、長谷川なのである。

 上半身をうまく使い、独特のリズムを刻む泳ぎは特徴的だ。呼吸時に少し引っかかりがあるように見えるが、その間もしっかりと進んでいる。水をかききる瞬間とキックのタイミングが合っている証拠である。元々後半に強い選手だったが、近年はスピード強化に取り組むとも話していた。だが、そのスピード強化がやっかいな問題にもなりかねない。

 スピード練習には高強度のトレーニングが必要だが、それだけでは絶対的な持久力は失われてしまう可能性がある。もちろん高強度によるトレーニングで持久力強化もできることは証明されている。ただ、絶対的な量が必要なのも確かなのだ。

 どうにも近年の長谷川の泳ぎ、レース展開を見ていると、2分06秒の自己ベストを出したときのようなラスト50mの伸びがなくなっていた。一時期、後半の泳ぎを取り戻すためにレース展開を変えたこともあった。前半を今までよりも少し落とし、後半の100mにおける50mごとのラップタイムを揃えるようにした。それで少し改善された部分もあったが、自己ベストには遠く及ばないタイムしか出すことができなかった。

壁を乗り越えた選手は強い

 その長谷川が、スピード強化に取り組んでもなかなか更新できなかった100mの自己ベストを、この状況下で一気に1秒近くも更新したのである。長谷川自身もタイムに驚きながらも、電光掲示板を確認しながらプールから上がると、自然と笑みがこぼれていた。

 この状況下、モチベーションが下がってトレーニングに身が入らない選手もいれば、練習をしていても久しぶりの試合に戸惑い、思うような記録が出せない選手もいる。早慶対抗水上競技大会に出場した瀬戸も、記録的にはさほどレベルが高いものでもなかったし、大橋、萩野も悪い泳ぎではないし、記録的にも悪くはないが、自己ベストには及ばない記録である。

 それは、当然であり、必然だ。

 ひたすらプールの底を見続け、同じ場所を繰り返し泳ぎ続けなければならない競泳は、目標や目的が明確でなければモチベーションを保ち、厳しいトレーニングを行い続けるのは気持ち的に非常に辛い。

 どのスポーツ選手も同じ悩みを抱えていることだろう。何のために頑張らないといけないのか。この努力が報われるときは、本当に訪れるのか。

 この気持ちは不安ではなく、混乱に近いかもしれない。どうしたらいいのか分からない。自分で処理できる問題であれば、多くのアスリートは即決で解決に向けて取り組み始める。ところが、自分で処理できない問題しかない現状では、問題解決のための判断材料がないのである。

 選手個々にそれを考えさせるのは、非常に酷だ。選手の気持ちを考えると、正直に言えば、かける言葉が見つからないとも思う。

 そんななかでありながら、長谷川は様々な思いを吹き飛ばすような自己ベストを叩き出したのである。きっと、長谷川のベストを見て「自分もやらなければならない」と危機感を持ったり、やる気が沸き起こったりした選手もいたことだろう。記者である私も、そのひとりである。

 そして、高い壁の乗り越えた選手は、強い。スランプとまではいかないが、自己ベストが出ないということは、記録スポーツにおいて成長していないことと同義である。その辛く暗いトンネルを抜け出した先に見えるのは、光だけだ。

 苦手な部類に入る100mで記録をこれだけ伸ばすことができたなら、得意な200mはいったいどうなってしまうのだろう。

 東京都特別水泳大会の2日目の8月30日。14時30分から女子200mバタフライの号砲が鳴り響く。

 アテネ五輪でメダルを獲った中西の記録を星が破り、ロンドン五輪でメダルを獲った。次は、星の記録を長谷川が破る番だ。その先に見据えるのは、当然東京五輪でのメダル獲得である。

 その瞬間が訪れるのは、もうすぐだ。

スポーツライター・エディター

1980年、兵庫県生まれ。バタフライの選手として全国大会で数々の入賞、優勝を経験し、現役最高成績は日本ランキング4位、世界ランキング47位。この経験を生かして『月刊SWIM』編集部に所属し、多くの特集や連載記事、大会リポート、インタビュー記事、ハウツーDVDの作成などを手がける。2013年からフリーランスのエディター・ライターとして活動を開始。水泳の知識とアスリート経験を生かして、水泳を中心に健康や栄養などの身体をテーマに、幅広く取材・執筆を行っている。

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