【イ・ボミ独占告白】初めて味わった挫折、復活に向けて支えてくれた交際相手のこと…
2015、16年の女子ゴルフツアーで賞金女王に輝いた「絶対女王」のイ・ボミ。しかし今シーズンは最高位が11位、トップ10入りもなく、賞金ランキングは83位まで落ちた。
勝てなくなってしまった今、彼女は何を思うのか。苦難の1年、30歳で味わった挫折、支えられた渦中の交際相手のこと、復活への希望、そして新たな目標とは――。
その表情はとても落ち着いていた。無事にシーズンを戦い終えられた安堵感がイ・ボミの表情からは読み取れた。
それに顔を見た瞬間に見せた含み笑い。何が言いたいのかはすぐに分かった。
11月末に韓国の俳優イ・ワン氏との交際報道が大々的に報じられたばかりだったからだ。
どうしてもその話題から会話が始まる。
「私も韓国で急にニュースになって驚きました。母と仲の良い神父さんがいるのですが、私に紹介したい人がいると言われたんです。それがきっかけで今年初めから交際が始まったのですが、話も合いますし、優しくて共感する部分もたくさんあります。とてもいい関係を築いているところです」
公になっていることだけに、今さら隠すこともない。堂々としていて、逆にすがすがしささえ感じる。
デリケートな話題だけにこちらが遠慮して、何を聞こうか迷っていると突然、イ・ボミがこんなことを切り出した。
イ・ワン氏との交際「精神的に助けられた」
「正直、オッパ(韓国語で『年上のお兄さん』の意味)がいたから、今シーズンを耐えられた部分もあります。今年は結果が出なくて、ゴルフをやめたいと思ったときもあったのですが、ダメなときほど『それでもよくがんばっている』と精神面で支えてくれていました。結果を残せないと、イライラするときもありますよね。そのたびに『ほかの選手たちは優勝できるか、できないかの中でがんばっているのに、欲深すぎるんじゃないのか』って。今の自分のプレーにベストを尽くすだけでも、がんばっていることになるんじゃないかと諭されます。確かにそういう一面はあるなと……」
今年、試合がうまく行かず、苦しいときに交際相手に精神面で支えられた1年だったと正直に告白した。
のろけ話にも聞こえ、とてもほのぼのとしたエピソードだが、その時の表情はとても険しかった。それくらい辛いシーズンだったのは間違いない。
不調の要因はスイングかメンタルか
2018年は、“絶対女王イ・ボミ”の姿はなかった。
国内女子ツアーの2018年開幕戦「ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント」でいきなり予選落ち。
シーズンが始まったばかりというのに、何かがおかしい。歯車がかみ合わないとイ・ボミはこの時から感じ取っていた。
現に7月の大東建託・いい部屋ネットレディスまでの12試合で、予選落ちが5回。8月の北海道meijiカップから、自身最終戦となった大王製紙エリエールレディスまでの12試合で、予選落ち4回と棄権が1回。
賞金ランキングも83位でシード獲得に失敗した(2016年賞金女王で3年シード付与)。最高位はスタジオアリス女子オープンの11位で、トップ10入りもなく、2011年の日本ツアー参戦から、自身のワースト記録となってしまった。
この成績でさえも口にして、振り返りたくはないはずだ。それでもイ・ボミはこの時の想いを教えてくれた。
「途中、何度もやめたいと思いましたし。コースに行くのが本当に嫌でした」
ゴルフ人生でこれだけの不調を引きずった年はなかったし、すべて初めての経験だったとイ・ボミは言った。
逆に言えば、それだけうまく行きすぎていた印象があまりにも強いのかもしれない。
「一番調子が良かったときは、本当にミスショットが少なかったんです。今はショットが思ったところに打てないので、スコアを作れない試合が続きました。少しパッティングが良くなったなと思ったら、他がダメになる。その繰り返しでした」
「ボミの強さは本番で発揮する正確なスイング」
イ・ボミの専属コーチ、チョ・ボムス氏は「ボミの強さは練習場よりも、試合になるとより柔らかく正確なスイングで球を打てることだった。それが真逆になってしまった」と語る。
なぜこのような不調に陥ったのか。なぜそれを克服できなかったのか。イ・ボミは自分なりにこう分析している。
「周りの人たちからはスイングを修正するよりも、原因はメンタルにあるのではないかと言われていました。でも、自分ではすべてスイングからくるものだと思い込み、ずっと悩んでいました。ゴルフクラブは14本あるのにショットばかり練習すると、ほかがおろそかになります。ショットのことばかり考えて、メンタル面を整えられなかったこと。加えて練習不足もあり、すべてがおかしくなっていたと、シーズンが終わって反省するようになりました」
「バックスイングが変わった」と指摘され
実はイ・ボミがスイング修正に固執した理由は、他にもある。
同年代の申ジエをはじめ、数人の選手から「バックスイングが少し変わった」と指摘されていたのだ。
「バックスイングが以前と違うと。新たにスイングを作るのは時間がかかるから、戻す方向がいいのではと言われて。もちろん以前の動画を見ながら、チャレンジしました。でも、それもうまくいかなかった。だから、課題は自分がもっとうまく打てるバランスと中心をしっかりと探すことです」
イ・ボミは女子ツアー屈指のショットメーカーと言われ、ピンにピタリとつける精度の高いショットを武器に、トッププロへの道を駆け上がってきた選手だ。
最も自信のある武器を失った場合、一体どうなるだろう。
対処法を間違ったり、それを乗り越える経験がなければ、焦りばかりが先行するのは想像に難くない。イ・ボミも決して完璧なゴルファーではなかった。
それに不調の要因として、スイングのほかに、環境の変化も精神面に大きく影響しているはずだ。
中でも専属キャディである清水重憲氏とのタッグ解消は、イ・ボミの心境に大きな影響を与えたと思う。
清水重憲キャディとのタッグ解消
イ・ボミは今季8月のニトリレディスが終了したあと、2013年から約6年間、ツアーを共に戦ってきた清水重憲氏とのタッグを解消した。
清水氏は15、16年の2年連続賞金女王の功労者とも言われ、17年も不調ながらも1勝を手にし、苦楽を共にしてきた。
寂しそうな目でイ・ボミが切り出した。
「ノリさん(清水キャディ)は家族のような、小さなお父さんのような存在でした。父と娘の関係って複雑だったりしますよね? 父ががんばれと言うのに、なぜいうことを聞かないんだって。でもそう言われたからって、娘もしんどくて言うことが聞けない(笑)。そんなすれ違いもありました。でも、ノリさんはどんな試合でもベストを尽くす人なので、今の私では申し訳ない気持ちがあったんです。他のいい選手と出会って、活躍してもらえるほうが私の気持ち的には安心でした。実際に新垣比菜選手のキャディをして、結果も出ているので、それはそれで安心でした」
「ただ……」と言葉をつないだ。
「もし私が次に優勝トロフィーを掲げるなら、隣にいる人はノリさんであればいいなと思っています」
ポロリとこぼれたこの一言からも、イ・ボミがどれだけ清水氏を信頼していたのかがよく分かる。
一方で、他のキャディとプレーすることで、「毎日が新鮮で、様々なアドバイスがまた自分に力をくれた」と笑顔を見せる。すべての経験は無駄ではない。
ただやはり、最後は清水氏と笑顔でいるのを頭の中で描いているのだろう。その日が来るかはわからないが、すべてはイ・ボミの復活にかかっている。
“復活”――。この二文字を体現した元賞金女王たちがいる。彼女たちは、そこからさらに高みを目指す難しさをよく知っているはずだ。
大山志保「過去は捨てて進化し続けるべき」
今年41歳になった大山志保。2006年に年間5勝して賞金女王を手にしたが、09年に左ひじに悩まされ、10年にシードを喪失。
だが、そこからまた強靭な精神力で這い上がって優勝を重ね、ここまで通算18勝をマークしている。
どうしても聞きたかったのが、賞金女王になったあと、どのような心境にあったのかだ。
「ボミのプレッシャーはよく分かります。いつも賞金女王という目で見られるし、賞金女王だからミスしちゃいけない、勝たなきゃいけないとかね。周りの目がすごく気になって、自分で自分にプレッシャーをかけてしまって……。私もそういう時期はありました」
大山はそう言って笑いながら、かつてはイ・ボミと同じ体験をしていたと正直に告白した。
それにしても、一度はシードを落としたあと、なぜ、再び優勝を重ねることができたのか。
「私は今でもゴルフがすごく下手くそと思っているんです。もっとうまくならなきゃっていう向上心しかありません。それがなかったらとっくにゴルフなんかやめています。過去の“賞金女王”の自分は切り捨てて、また新たに進化し続けるべきだというのが私の考えです。また一からスタートです。そうした経験は、これからの自分の財産にもなりますから。過去にとらわれず、新たにチャレンジする気持ちが大事なんだと、今になると思うことが多いですね」
上田桃子「追われたらもっと上を目指すべき」
同じ話を上田桃子にも聞いた。
上田は2007年に年間5勝して賞金女王となり、08年からは米ツアーに参戦。12年に日米ツアーのシードを喪失したが、再び13年に日本ツアーの賞金シードを獲得し、14年から日本ツアーを主戦場としている。
同年に2勝し、17年も2勝して完全復活をアピールしたのは記憶に新しい。
「賞金女王になったあとは、追われる立場になるから辛いかもしれないんですけれど、とにかく、もっと上を目指していけばいいんじゃないかなとは思います。下の子たちを意識するのではなく、私は賞金女王になってからすぐに米ツアーに行ったので、もっとレベルの高い人たちがいることを体感しましたし、そこから停滞せずにもっと上を目指していこうと思えたんです。もちろん、結果を出さなきゃいけない苦しみはありましたけど、それよりも、もっと向上したいという気持ちの方が強かったです。昔よりも今の方が上手くなっている自信はあります」
一度、頂点を見た選手だからこそ、その言葉に重みがある。二人に共通していたのは“向上心”。
もっとうまくなりたいという気持ちを強く持つことが、復活への近道なのかもしれない。
「うまくなりたいのは私も同じ」
大山と上田の話を聞いたあと、今のイ・ボミにそれほどの向上心があるのか、正直、疑問に思っていた。
2年連続賞金女王という記録だけでなく、15年の獲得賞金は2億2581万7057円で、男女通じて日本ツアー歴代最高獲得賞金額を記録。
多くのスポンサーがついているのも周知の事実で、日本で成し遂げた偉業に満足していてもおかしくはない。
つまり、燃え尽き症候群のような状態にあるのではないか。失礼とは思いながらも、聞くしかなかった。
「大山選手と上田選手の2人は、今でも向上心がある。ボミ選手はどうなのか」と。
すると、一瞬、ムッとした表情が見え隠れした。そして語気が強くなった。「私も同じですよ」と。
「私ももっとうまくなりたい。また優勝していいシーズンで終わりたいという気持ちはあります。ただ、特別ゴルフがうまいと思ったことはありません。正直、客観的に見たときは、技術的な部分でアンちゃん(アン・ソンジュ選手)や(申)ジエに追いつくのは本当に難しいと思っています。でも、昔の姿のまま止まっていたくありません。多くの人が、『ボミはやることはやった』と思っているかもしれません。もちろん、また賞金2億円という記録を超えるのは難しいでしょう。でも、また新たな自分、新たな人生を作っていかないといけないと思っています」
そして、イ・ボミがこう言葉をつなげた。
「少しの間だけ結果を残した選手と記憶に残るのは嫌です。長くツアーで活躍する選手として、みんなに記憶されたいという思いはあります」
そうでなくてもイ・ボミは、多くの日本のゴルフファンの記憶に十分残る選手だろう。ただ、このまま終わりたくはないのだ。
「初心に戻る。ゴルフをどれだけ楽しめるか」
そして最後の言葉から、彼女が新たに学んだことの多かったシーズンだったことがよく分かった。
「誤解せずに聞いてもらいたいのですが、私は今までファンにいい姿を見せるため、スポンサーのため、自分のため、お金のためという考えでプレーしていた向きがありました。もちろんそれらはこれからも大事なことです。でも来年は、初心に戻ります。ゴルフを始めた子供のころは、とてもゴルフが好きだった。うまくなればなるほど、家族に喜んでもらえたゴルフがとても好きでした。そんなゴルファーとして、ゴルフ場でのプレーをどれだけ楽しんでいられるか。それを忘れずにいたいです」
失敗や挫折を経験した、イ・ボミが精神的には大きく成長したシーズンだったのは間違いない。
再び優勝カップを掲げるには、過去の栄光にすがらず、強い意志と向上心で自らを奮い立たせるしかない。
母国で甘んじず、海を渡り、日本で数々の苦難を乗り切り、成功を収めてきたイ・ボミには、それができると私は信じたい。
<プロフィール>
イ・ボミ/1988年8月21日生まれ。韓国出身。12歳からゴルフを始める。建国大学校卒業。2007年にプロ転向し、10年に韓国女子ツアー賞金女王に。11年から日本ツアーに参戦し、1年目から賞金シードを獲得。翌12年は「ヨコハマタイヤPRGRレディスカップ」でツアー初優勝含む3勝。13年2勝、14年3勝。15年は7勝して賞金女王に輝く。16年も5勝して2年連続賞金女王となる。17年は1勝。気さくな人柄と愛らしいルックスも相まって、日本ツアー屈指の人気選手となった。
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