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行川さをりが語る〈マタイ受難曲2021〉【〈マタイ受難曲2021〉証言集#04

富澤えいち音楽ライター/ジャズ評論家
〈マタイ受難曲2021〉カーテンコール(撮影/写真提供:永島麻実)

 2021年2月、画期的な“音楽作品”が上演されました。その名は〈マタイ受難曲2021〉。バロック音楽を代表する作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハによる〈マタイ受難曲〉を、21世紀の世相を反映したオリジナル台本と現代的な楽器&歌い手の編成に仕立て直し、バッハ・オリジナルのドイツ語による世界観から浮かび上がる独特な世界を現代にトランスレートさせた異色の作品となりました。このエポックを記録すべく、出演者14名とスタッフ&関係者6名に取材をしてまとめたものを、1人ずつお送りしていきます。概要については、「shezoo版〈マタイ受難曲2021〉証言集のトリセツ」を参照ください。

♪ 行川さをりの下ごしらえ

 ピアノ教室に通い始めたのは4歳ごろ。ただし、片手で「チューリップ」を弾くのがやっとだったので、自分には向かないことにも目覚めた楽器初体験だった。

 通っていた学校がキリスト教系だったので、毎朝の賛美歌が日課だったけれど、歌うことよりも流行りのアシッド・ジャズに興味をもつような、いわゆるフツーの女子。

 水泳部に所属していたが、特に大会をめざすでもなく、部活が終わると塾に通うという行川さをりが、大学進学を控えて選んだのは“建築”という道だった。それもまた、理系科目の成績が文系より良かったのと、デザイン系の学生が「カッコいいかな……」と思ったというのが動機。

 大学に入ると、ジャズ研に入部。ほどなくヴォーカリストとしてライヴハウスにも出演するようになっていた。そのころに出逢ったのが、ダイアン・リーヴス(ヴォーカル)。サークルの仲間とライヴのために出演したお店の大きなスクリーンに、ダイアン・リーヴスのライヴ映像が流れていた。それを観て、それまでのジャズに対するボンヤリとした“スウィング”や“フォービート”といった印象が一気に吹き飛んでしまった。

 そうこうしているうちに、一般教養を経て専門課程へ進む段になって、「自分はなにをやりたいんだろう?」と、本腰を入れて考えなければならない状況になった。そこで彼女の脳裏に浮かんだのが、入部していたジャズ研の活動を通して楽しさを知った音楽を建築に活かせそうな“環境設計”という道だった。

 それから音響工学の研究室がある大学を探し出して、その大学院へ進むが、ヴォーカリストとしてのスケジュールの比率が高まって現在に至る。

♪ ミッション系学校ではバッハとすれ違い

 20代の後半ぐらいのころ、もう歌手として活動していたんですけれど、ヴォイス・トレーニングを受けたこともなかったので、本当に基礎の基礎、声楽科の1年生が受けるようなトレーニングに通い始めたことがあったんです。

 そこでクラシックの声楽の楽曲に触れたことはあったんですが、バッハの記憶はありませんね……。まぁ、教材を1冊ガッツリやるという習い方じゃなかったんですけど。

 だから、〈マタイ受難曲〉についても、shezooさんからお話をいただくまではまったく知りませんでした。

 ただ、ミッション系の学校に通っていたので、聖書の内容はだいたいわかっていたというか、だいたいこんな内容だったかなぁという想像はついていたと思います。

 shezooさんと最初に会ったのはたぶん、横濱エアジンでの私の、初めてのブッキングだったと思います。2017年か18年あたりのことだったかな。どういうシチュエーションでshezooさんと話を交わしたのか、ぜんぜん覚えていないんですけど。

 とにかく、shezooさんのお名前はよく見かけていて、いろんな方面の方々と共演されているイメージがありましたね。

 なんというか、独特の“カラフルさのあるピアニスト”なんだなぁ、って。

 これもたぶんなんですけれど、shezooさんのバンド“トリニテ”のライヴにうかがったときに、まるで本をめくりながら音楽を作っていくようだと思ったことがありました。

 曲ごとにストーリーがとても豊かな曲ばかりで、本当に想像力豊かな人なんだなぁ、って。とにかく、エネルギーがまっすぐ放出されているような人なんです。なんか、拙い言い方になっちゃうんですけど、本当に真摯に音楽に向き合っている方だなぁ、って。

 ただ、お話ししてみると、ご本人も「私はポンコツだから」っておっしゃってますが、とても謙虚でおもしろい方なんですね。私もポンコツなので、お互いに「私が」「私が」って、ポンコツ合戦してますけど。

♪ ソプラノの曲を1オクターブ下げて挑戦

 何度かshezooさんとライヴを重ねるうちに、「こういう企画を考えている」って、〈マタイ受難曲2021〉の原型になるようなお話を耳にするようになっていました。

 実際にお話をいただいて共演するとなったときには〈マタイ受難曲〉の曲を歌うようになっていて、それを“全曲通し”でやるという壮大な構想は、shezooさんがドイツ留学時代から温めている企画なんだっていうこともうかがっていました。

 shezooさんとライヴをご一緒するようになって、必ず1〜2曲は〈マタイ受難曲〉の曲をやっていたんですよ。それをいつか、ぜんぶやるんだろうなぁって。

 〈マタイ受難曲〉の曲については、通常のクラシックの歌い方ではなく、自分なりの歌い方で歌っていいというオファーだったというのが、この企画の大きな特徴でしょうね。

 歌の場合、オリジナルでソプラノ歌手が歌っている曲は、同じように歌わなければ表現しきれない部分が多いんです。それを、どうやって自分の歌として表現していくのかと考えなければならないところが難しくもあり、だからこそおもしろかったんだと思います。

 私の場合、ソプラノの曲を1オクターブ下で歌おうとしていたんですけれど、それに対してshezooさんは「それでいいですよ」っておっしゃっていたので、自由度は高かったですね。

 その分、担当した曲の達成度に関しては、自分のなかで高いものと低いものがありました。例えば、男性が担当する高めの音域のパートなんかは、私の地声と同じぐらいの音域になるんですが、どこまでを地声で歌うのか、声色を変えるのはどの部分かということについては、公演が終わったいまでもまだ解決していなかったりしています。

〈マタイ受難曲2021〉で“歌い手”としてステージに立つ行川さをり(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉で“歌い手”としてステージに立つ行川さをり(撮影/写真提供:永島麻実)

♪ リハーサルから感じた熱量の高さ

 私自身、多くの楽器の人たちと一緒に歌うという経験がほとんどなかったので、この〈マタイ受難曲2021〉のプロジェクトについては新鮮な気持ちで本番に向かっていました。

 一体感のスゴさというか、全員で創りあげていこうとする熱量の高さはリハーサルの段階から感じていましたね。

 それがコロナ禍の影響で、本番を開催できるかできないかという状況になってしまったけれど、実際にはお客さんを入れて開催することができた。ステージでは生身の人が集まって、生の音が重なるとあれだけの表現ができるということを実感できた。生命の強さというか、生きることの意味のようなものを感じた2日間になったと思います。

 オリジナルの〈マタイ受難曲〉は、もともと教会で演奏されるために作られたというか、現代でも原則としてコンサートホールを会場として上演されるものですよね。つまり、基本的にPA、マイクを使わない。

 それがこの〈マタイ受難曲2021〉ではPA(Public Address、電気的な音響拡声装置)を使ったわけですが、いつも私が歌っているライヴハウスとは違った、自然なリヴァーヴがかかった響きにしていただいていたんじゃないかと思います。もちろん、会場は教会のような音響ではないわけですけれど、それでも自然に、〈マタイ受難曲〉の世界のように感じることができる音響を作ってもらえていたんじゃないでしょうか。

♪ 限られた人のための音楽ではないことを実感

 終わってみると、やっぱり「これで終わってほしくない」という想いがますます強くなってきていますね。shezooさんも「これがスタートです」って、始まる前からそうおっしゃっていたので。

 あのステージを共有した出演者のみなさんも、きっとそう感じていたんじゃないかと思います。だから、そう思える機会を、もっと増やしていけたらと思うんですよね。

 もちろん、これだけの人数の出演者やスタッフを集めて公演を継続していくというのは、ものすごくたいへんなことだということはわかっているんですけれど、それによって得ることができた気持ちをより多くの人に伝えていくこともまた、すごく大事なんじゃないでしょうか。

 shezooさんがよくおっしゃっているんですが、この〈マタイ受難曲〉を含めて、限られた人のための音楽じゃないんだ、って。その音楽のなかにある美しいものを形式にとらわれることなく表現して、より多くの人に伝えていきたいんだ、って。

 その考えに私もすごく賛同しているんです。いろんな人がいるようにいろんな表現があっていいんだというか、そうした音楽がもっている自由さこそが、人生を豊かにしてくれるんじゃないかと思うんです。

 そうした考え方の象徴としてこの〈マタイ受難曲2021〉がもっともっと広がっていくといいなぁって思っています。

 そのためにも、私自身がもっと上手く歌えるようにならないといけないな、って思わされたコンサートでもあったんですけどね。

〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)
〈マタイ受難曲2021〉公演終了後のオフショット(撮影/写真提供:永島麻実)

Profile:なめかわ さをり ヴォーカリスト

「歌以上、歌未満」。言葉を奏でる楽器として、様々な言語にひそむ新しい音とあそび、目の前に漂う音とうたう。一方で、日本語の美しさを大事に活動する”kurasika”では野外録音による映像作品を制作するなど、活動の幅を広げている。

●参加ユニット:砂漠の狐(shezoo / ピアノ、田中邦和 / サックスとのトリオ)、kurasika(Asu / ピアノとのデュオ)、phacoscape(伊藤志宏 / ピアノ、土井徳浩 / クラリネットとのトリオ)

●CD:1st『Se Pudesse entrar na sua vida』、2nd『Fading Time』、3rd『[-scpes,]』(phacoscape名義)、映像作品『耳の蛸』(Asu / ピアノ、沢田譲治 / バリトン・サックス、山本亜美 / 二十五絃箏、行川さをり / ヴォーカル)

●SNS:行川さをり https://www.facebook.com/sawori.namekawa/

kurasika https://www.instagram.com/kurasika.music/

行川さをり(Photo by いわいあや)
行川さをり(Photo by いわいあや)

音楽ライター/ジャズ評論家

東京生まれ。学生時代に専門誌「ジャズライフ」などでライター活動を開始、ミュージシャンのインタビューやライヴ取材に明け暮れる。専門誌以外にもファッション誌や一般情報誌のジャズ企画で構成や執筆を担当するなど、トレンドとしてのジャズの紹介や分析にも数多く関わる。2004年『ジャズを読む事典』(NHK出版生活人新書)、2012年『頑張らないジャズの聴き方』(ヤマハミュージックメディア)、を上梓。2012年からYahoo!ニュース個人のオーサーとして記事を提供中。2022年文庫版『ジャズの聴き方を見つける本』(ヤマハミュージックHD)。

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