渡辺明挑戦者(36)早くも苦戦でどう巻き返す? 名人戦七番勝負第3局1日目終了
6月25日。東京・将棋会館において第78期名人戦七番勝負第3局▲豊島将之名人(30歳)-△渡辺明三冠(36歳)戦が始まりました。18時30分、渡辺挑戦者が42手目を封じて、1日目の対局が終了しました。
明日26日。午前9時に封じ手が開封され、対局が再開されます。
意外な差がつくも、勝負はこれから
後手番の渡辺三冠が角道を止め、定跡形を離れた相居飛車の進行に。豊島名人が機敏に仕掛け、午前中から渡辺挑戦者が苦労しそうな展開となりました。
1時間の昼食休憩が終わり13時30分、対局再開。豊島名人はまだ戻ってきていないところで、28手目、渡辺挑戦者が5筋の歩を突っかけました。
定刻から1分少しして、豊島名人が対局室に戻ってきます。
「指されました」
記録係が名人に声をかけました。名人は4分ほど使い、堂々と同歩と応じました。豊島玉が7筋まで移動しているのに対して、渡辺玉は5筋で居玉のままです。戦いが始まるとすぐに危ういことになりそうですが、しかしどこに玉を移動させるかも悩ましいところです。
続いて渡辺三冠は3筋からも突っかけました。豊島陣の弱点である桂頭をねらったものの、攻撃陣をさわることになるため、リスクも高い。それはもちろん渡辺挑戦者は百も承知でしょう。
豊島名人は落ち着いて飛車を浮き、桂頭をカバーしました。そして逆に渡辺挑戦者の歩を取って、自分の歩が中段の要所に進む形を得ます。豊島名人は歩を2枚得した上に、5筋、4筋、3筋の歩が五段目に並びます。形勢は豊島名人よしではっきりしてきたようです。
1日目の早い段階で、意外な苦戦に陥った渡辺挑戦者。しばらくの間は苦しい時間が続きそうです。
将棋は苦しくなったときに対局者の真価が問われます。強者はそこからが粘り強く強い。
名人戦の1日目で大差がついた代表的な例の一つは1975年名人戦第7局▲大内延介八段-△中原誠名人戦が挙げられます(肩書は当時)。1日目が終わった段階で、筆者手元のソフトでは評価値にして1000点ぐらい、中原名人が劣勢に立たされました。
しかし2日目、中原名人は手段を尽くして勝負に持ち込みます。終盤では大内八段が魅入られたように決め手を逃し、最終的には持将棋に持ち込まれました。中原名人は最終第8局を制し、からくも防衛を果たしています。
渡辺三冠は2020年の王将戦七番勝負第6局で逆転勝ち。3勝3敗のタイに追いついて、防衛にこぎつけています。
昨年の棋聖戦五番勝負第2局▲豊島棋聖-△渡辺挑戦者戦。豊島棋聖は序盤の早い段階で疑問手を指し、苦戦に陥ったことがありました。しかし豊島棋聖は追い上げ、最後はわずかに及ばなかったものの、熱戦を作り上げています。
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41手目。豊島名人の側には、さらなるよさを求めて戦いに出る手。いったんはじっと受けに回る手。どちらも考えられたようです。17時53分頃、豊島名人は後者を選びました。
渡辺三冠はそこから考え続けます。筆者手元のソフトの評価値では、800点ほどの差がつきました。そこからどうバランスを保ち、相手を楽にさせないか。
「はい、18時半。封じ手時刻となりました」
立会人の塚田泰明九段がそう声をかけます。
18時30分を過ぎ、渡辺挑戦者が42手目を封じることになりました。そこからまだ時間を使って考えるのも自由です。渡辺三冠は十数秒後に口を開きました。
「封じます」
渡辺三冠は別室に移動し、封じ手を記入し、封筒に入れて封をします。
渡辺三冠は対局室に戻り、豊島名人に封筒を渡します。そこに豊島名人が赤ペンで封印の意味でサインをします。
封じ手を預かる作業は事務的にすませてしまえばそれまでです。しかし報道側にとっては、ここが重要な撮影場面となります。塚田九段は撮影の便宜を考えて、盤側の机から移動し、広い反対側に移動して待っています。渡辺三冠が塚田九段に封じ手を預え、1日目の対局が終わりました。
東京・将棋会館でおこなわれている本局。都内在住の渡辺三冠も自宅には戻らず、将棋会館に近いホテルに宿泊することになります。ホテルは神宮球場のすぐ近くで、歓声が聞こえる距離です。スワローズファンの渡辺三冠。ナイトゲームのタイガース戦の戦況は、チェックしているのでしょうか。