【京都市】右京区「嵯峨・嵐山」にある悲恋の謡曲『小督」の旧跡
京都には、謡曲に関する旧跡があちこちにあります。嵐山にある福田美術館の入り口のそばに、能などで知られる演目である謡曲「小督」の旧跡の説明書がありました。
福田美術館では、京都にまつわるアートコレクションが見れるので、よく訪問させてもらってます (過去記事→https://creators.yahoo.co.jp/kozushokairica/0100209853)
そんな人気観光地である「嵯峨・嵐山」の渡月橋近くで、観光客がごったがえす場所のど真ん中にひっそりと存在していた旧跡に興味がそそられました。
そこには、謡曲「小督」と書かれています。能鑑賞を趣味とする私ですが、聞いたことがなかったので、さっそく調べてみました。
「小督」は『平家物語』巻6の「小督事」によった叙情的な現在能とされています。
内容は「平安末期、高倉天皇の寵愛を受けていた小督局は、中宮の父である平清盛を怖れてひそかに身を隠します。嵯峨野で小督と侍女がわびしく住んでいるところに、その噂を聞きつけた帝が、勅使に駒を走らせます。琴を弾き、天皇を慕って『想夫恋』の楽を奏でていた「小督」を勅使は見つけますが、「小督」は天皇への辛い別れの思いを手紙に書きます。勅使はその手紙を持って御所へと帰る」というもの。
勅使であった仲国は、渡月橋の西詰あたりで琴の音を聞いたと言われています。その橋は、今でも「琴聴橋」と呼ばれています。
芸能の神様でも知られる『車折神社 嵐山頓宮』にもその痕跡が見られます。
「小督」は、藤原成範(ふじわらのなりのり)の娘で、藤原通憲(信西)の孫と言われています。しかし、中宮の建礼門院徳子よりも先に内親王を生んでしまったため、徳子の父であった平清盛の怒りに触れてしまい、出家させられてしまい消息不能になります。
その美貌と琴の音の美しさに翻弄された人生を送った「小督」の塚が、この場所です。
高倉天皇は没後「清閑寺」に葬られます。美しい謡曲にまつわる旧跡で琴の名手であった「小督」に手を合わせたく思います。
小督塚
〒616-8385 京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町