今週末は京都で「初公開」の寺院へ
今回ご紹介する初公開寺院は、京都の伏見区にある大雲寺で、宝塔寺という日蓮宗寺院の塔頭寺院(主に前住職が引退して住む寺院)です。宝塔寺自体が観光寺院ではありませんので、まさに知る人ぞ知る寺院と言えます。場所は伏見稲荷大社から南に徒歩10分以内。あの伊藤若冲が門前に暮らしたという石峰寺の南側すぐです。
宝塔寺はもとともと真言律宗寺院でしたが、日像上人の説法によって日蓮宗に改宗となり、その日像上人のお墓も守っている寺院です。山門をくぐってすぐに左手に大雲寺の入口(タイトル写真)があります。大雲寺はかつて宝塔寺が天文5(1536)年の法華一揆で焼けた際に、日銀上人が復興に取り組み、豊臣秀吉の家臣で賤ヶ岳七本槍の一人である平野長泰が方広寺の余材を提供し、仮本堂としたのが起こりとなりました。拝観させてもらって感動したのは「台杉の庭」と呼ばれている庭園。近年庭の中に茶室「宝珠庵」と「黙庵」が造営され、造園師である中原正治氏によって全面改修がなされました。
北山杉の台杉や苔の手入れが素晴らしいのと、鞍馬石がとにかくふんだんに使われています。現在は入手できなくなった貴重な鞍馬石がここまでたくさん使われていたのには驚きました。利休型灯籠もお庭に素晴らしいアクセントをもたらしています。
建物内部は撮影できなかったのですが、建物の中の寺宝で一番感動したのは、最も奥の部屋の床の間に飾ってあった『山水に月図』です。なんと狩野安信、尚信、常信の合作で、それぞれの落款も入っている見事なものでした。1枚の絵を一族の3人が一緒に手掛けているというめったに見られない貴重な作品なので、個人的にはこれを見るためだけに来てもいいと思えました。ちなみに安信と尚信は狩野派を率いた狩野探幽の弟になり、常信は尚信の子となります。そして別の部屋には狩野探幽の筆による『真山水図』もあり、こちらも探幽の特徴である「余白の美」を用いた素晴らしい作品で、間近でみることができました。
宝塔寺も紹介しておきましょう。参道を進むと鮮やかな仁王門が。この天井には近年修復の際に牡丹の絵が描かれていることが発見され、このように見事に復元されていました。
本堂は慶長13(1608)年の再建で、日蓮宗本堂としては京都最古のものになります。さらに南側には美しい多宝塔があり、こちらも建立が室町時代以前であることは確実で、京都最古の多宝塔で重要文化財となっています。
本堂裏手の道を進むと日像上人の御廟があり、横には日像上人が日蓮上人の臨終の際に枕元に呼ばれ、京都への布教を託された14歳の時の姿がありました。
宝塔寺は1年を通してお参りできますが、大雲寺は今週末10日(日曜日)までになります。今度いつ公開されるかわかりませんので、ぜひこの機会に足を運んでみてください。