「退任後、逮捕された初の韓国大統領」とギャグ 盧泰愚氏死去 韓国内の反応
26日午後に訃報が伝えられた韓国の盧泰愚(ノ・テウ)前大統領。享年89歳、持病により病院で治療中だった。
日本では「88年ソウル五輪時の大統領」の印象も強いか。軍人から政界に転じ、韓国憲政史上初の普通選挙で大統領に当選。任期は1988年2月25日から93年2月24日までだった。
日本のバブル時代が「1985年から1991年頃まで」と定義されることも多いゆえ、その時代の隣国の大統領でもあった。1990年に来日し、時の海部俊樹首相らと会談を行った。この際に慰安婦問題と在日韓国人の指紋押捺廃止を提議。後者は後に実施に至った。
いっぽうで「退任後に逮捕される韓国大統領」のイメージを最初に作ってしまった人物でもある。
退任後の1995年、対立してきた金泳三政権の下で軍事クーデター主導、光州事件での武力弾圧、企業と結託した数千億規模の不正蓄財容疑などで拘束された。かつての盟友だった全斗煥前大統領とともに拘束されたのだった。
懲役17年の実刑判決を受け、服役したが97年に特赦。また生涯で合計2628億9000万ウォンにも及ぶ追徴金が課されていたが、2013年にこれを完納。近年は政界と距離を置いていた。
訃報に際し、韓国内の反応はどういったものなのか。主要政党とメディアの反応を紹介する。
(訃報を伝える韓国の「聯合ニュース」。全斗煥氏とともに判決を言い渡された際の映像も)
与野党ともに厳しい声明「罪人」「民間人虐殺」
政治的に”対立”する革新系与党「ともに民主党」が発表した声明は手厳しいものだった。
「盧前大統領は、12.12軍事クーデター(1979年)の主役であり、5.18光州民主化事件(1980年)の強制鎮圧に加担した歴史の罪人」
いずれも軍人時代の盟友であり、自らの1代前に大統領を務めた全斗煥時代のものだ。
日本でも大ヒットした韓流映画「タクシー運転手 約束は海を越えて」はこの声明にある「5.18光州民主化事件=光州事件(1980年)」を描いたものだ。
盧泰愚前大統領は当時、盟友だった全斗煥の軍事独裁政権下で、軍の要職にあった。その立場から「軍部が自国民に銃を向ける」という事態に加担したとして「内乱および内乱目的殺人罪」に問われた。
「ともに民主党」はさらにこう続けた。
「国民の直接選挙を通じて当選した大統領だが、結果的に軍事独裁を延長し、正当性に欠ける公安統治や野党との癒着から抜け出せなかった独裁者」
さらに”味方”たる保守野党の第一党「国民の力」も手厳しい評価を加えた。首席代弁人のハ・ウナ氏は「ご冥福をお祈りする」とした後にこう続けている。
「在任時には南北朝鮮の国連同時加盟、南北基本条約書採択、北方外交などの成果も挙げた。しかし12.12軍事クーデターで軍事政権を誕生させた点、そして5.18民主化運動での民間人虐殺などの間違いはいかなる理由でも覆い隠せるものではない」
「国民の党は不幸な歴史が繰り返されないようにする」
在任期間中「犯罪との戦争」を宣言。組織暴力などの撲滅キャンペーンを展開したことでも知られる(KBSより)
”味方”となったメディアは…
いっぽう、メディアでの評価は「やや分かれる」というものだった。翌27日の保革主要5紙はすべて社説で逝去を伝えた。
「朝鮮日報」 6.29宣言と北方外交、盧泰愚前大統領逝去
「中央日報」 転換期を率いた「普通の人」盧泰愚のリーダーシップ
「東亜日報」 ”間違いを許してほしい”と言って去った盧泰愚前大統領
「ハンギョレ新聞」 謝罪なしに煩悩だけを残して去った盧泰愚前大統領
「京郷新聞」 クーデター・政経癒着の影と北方外交の光を残して去った盧泰愚
保守系メディアは、功績を強調する見出しで報じたのだった。
一般の人たちのイメージには「ギャグ」も
訃報後、SNSを通じて故人の印象について韓国の一般の人たちに聞いた。こんな返事があった。
「ソウル五輪、(国交正常化した)中華人民共和国、ソ連のイメージ」
「ムル・テウのニックネーム」
ムルとは韓国語で「水」のこと。受け身でおとなしい姿勢から「水で水を混ぜたよう」と比喩されたのだ。
これについてはこんな返答もあった。
「初めて韓国でコメディやギャグの素材として使われた大統領」
「それを認めた大統領」
韓国近現代史のなかで軍事政権が終わり、普通選挙で選ばれた初の大統領は「イジりを許す存在」でもあったのだ。
晩年は小脳萎縮症により、まばたきによってのみ意思疎通が可能な状態だったという。息子のノ・ジェホン氏が「(光州事件の国立墓地を参拝するために)光州に行くのをやめようか」と聞くとじっとしたままで、「行ってこようか」と聞くと、まばたきをしたというエピソードが紹介されている。
26日の14時前の死後、遺族から遺言が発表された。
「自分なりに最善を尽くしたが、それでも足りない面と私の間違いに対し深い許しを望みます。与えられた運命を、謙虚にあるがままに受け入れ、偉大なる大韓民国と国民のために奉仕することができてありがたく光栄でした。私の生涯で達成できなかった南北平和統一が次の世代で必ず叶うことを望んでいます」
有罪判決などにより、年金などの「大統領礼遇」は失われた状態にあった。本人は生前「葬儀は国法に即しささやかに」と望んでいたというが、訃報の後「国葬とすべきか」というテーマがメディアでも多く報じられた。
27日午前11時頃、韓国政府は「国葬とし、国民とともに礼遇する」と発表した。
(了)