なぜ日本の政治家は迫力がないのか? あるTVディレクターの視点
なぜ、ヒトラーはあんなにもは迫力があるのに、日本の政治家からは迫力を感じないのだろうか。
もちろん言葉の強さ、一貫した主張……などなど、様々な要因があるだろう。
しかし、テレビディレクターから見ると、ある決定的なひとつの要因がある、という。
『ジョージ・ポットマンの平成史』『空から日本を見てみよう』『世界ナゼそこに?日本人』など独特な視点の番組を手がけてきたテレビ東京の番組プロデューサー・ディレクターである高橋弘樹が『TVディレクターの演出術--物事の魅力を引き出す方法』(ちくま新書)を上梓した。
その中で高橋は「どうしてタレントを使わない番組をつくることになったのか」「人の魅力を引き出せるインタビューの方法」「視聴者が行ったことのないニューヨークの話をいかに共感させるか?」「効率的なインターネット活用術」などを具体的に例を挙げ、その方法論をあますところなく綴っている。
たとえば、冒頭の問いに高橋は明確にひとつの解答を示している。
ヒトラーを頭の中に思い浮かべて下さい、と言われたらどのような姿を思い浮かべるだろうか。おそらくそれは演説している姿であったり、手を前にかざしナチスのポーズをする姿であろう。その時のヒトラーの姿は下から見上げて見たヒトラーの姿ではないか。ヒトラーの顔より下の方から上向きにカメラをかまえたアングルで撮影したヒトラーの姿だ。このアングルを一般的に「アオリ」と呼ぶ。
『意志の勝利』というナチスの記録映画がある。その見せ場は、1934年9月のヒトラーの演説だと、高橋は解説する。
この「アオリ」にはひとつの作用がある。それが「被写体の迫力を増大させる効果」だ。
ひるがえって、迫力がない、小物、威厳がないと言われがちな日本の政治家はどのようなアングルで撮られているだろうか。
カメラアングルには大きく分けて、前述の「アオリ」と、被写体と同じ目線の「フラット」、被写体の上から撮る「フカン」がある。
よくテレビ中継される国会の答弁はほぼすべての映像が「フカン」で撮られている。上からの目線だ。だから、テレビでは、多くの場合、日本の政治家を「フカン」で見ることになる。
もちろん、迫力や威厳を構成する要素は、カメラアングルだけではない。しかし、その大きな要因になっているのは間違いがない。
そしてこれは何もニュースなどの報道でだけ適用されるものではない。当然ながらバラエティ番組やドラマでもカメラアングルには意図が込められているのだ。
そういったことに注意しながらテレビを見ると、テレビの面白さが広がっていくはずだ。『TVディレクターの演出術--物事の魅力を引き出す方法』にはそんな様々な視点が具体的に書かれているのだ。
もうひとつ本書に書かれた“視点”の例を挙げると、『空から日本を見てみよう』で瀬戸内海の島々を取り上げた時だ。
以前もテレビで取り上げられた観光名所の島はできるだけ避けたい高橋は「釜島」という無人島に降り立った。そこで廃校となった森に飲み込まれたような小学校があった。しかしそれをそのまま扱うのでは廃墟マニアに受けても一般的な視聴者にはささらない。ここをネタとして取り上げるのは諦めるしかないと思っていた高橋。しかし、高橋が思わぬものを発見したことで事態が急転していく。それは数十年前の学力テストの答案用紙。100点満点中19点のものだった。高橋はその答案用紙に何を見たのか。そこから一気にその小学校が番組で大きなネタに成長していく様を本書で綴っているのだが、それ自体が極上のドキュメントになっている。
テレビをどんな「アングル」で眺めるか。それだけで、テレビの見方は大きく変わっていくのだ。