福井で完封!新潟アルビレックスBCの長谷川凌汰、故郷に錦を飾る《2019 ドラフト候補》
最後の打者を打ち取り、ふとスタンドを見上げると、そこには懐かしい顔がたくさんあった。
お父さん、お母さん、お姉ちゃん、弟…そして、おじいちゃん、おばあちゃん。さらには、幼なじみやかつてのチームメイトたち、親戚の人々も…。総勢30人はいただろう。
みんな笑顔だった。みんな手を叩いて喜んでくれていた。
■凱旋登板で完封
8月17日の福井ミラクルエレファンツ戦で、新潟アルビレックスBCの長谷川凌汰投手が見せたのは、0―4の完封劇だ。
初回から丁寧に低めに集めた。いつもよりゴロアウトが多かったのが、その証しだ。球速も出ていたし、低めのストレートと同じ軌道から落ちるフォークも生きた。ストレートが低かったから振らせることができたのだ。
何度か訪れたピンチもゴロを打たせてしのいだ。
再びギアを上げたのは七回だ。一死二塁から二者連続三振に斬った。澤端侑選手から渾身の148キロで見逃し三振を取ったとき、思わずガッツポーズが出た。
八回も先頭は出したものの後続を絶ち、「3者連続三振を狙いにいった」という九回は、2つまでは思いどおりにいったが連打を許した。しかしホームを一度も踏ませることなく、最後は内野ゴロで締めた。
特筆すべきは最終回に150キロを計測したことだ。奥の奥に眠っている“スタミナの扉”をこじ開けることができたのだ。
「いいところを見せたいっていうアドレナリンも出ていた。最後、ヘバりそうなところでギアを上げられたのでよかった」。
ホッとしたという安堵感が、その表情に広がっていた。
■清水章夫監督も納得
試合後、清水章夫監督は納得の面持ちで語った。
「三回までええ球出てたし、はじめに『完全試合、狙いにいけ』って言うとったんで、ほんまにやるかなって思ったけど(笑)。まぁフォアボール出したりしながら、ノーヒットノーランもなくなり、もう完封しかないんでね。完封と三振の数やね」。
なかなか厳しい要求だった が、完封は果たし、三振は2ケタに乗る10コ奪った。
「全体的に球が低かったから、長打を打たれるような感じじゃなかった。変化球もまっすぐもしっかり低めに意識して投げられていた。悪かったときは、どうしても甘くなったのを痛打されるパターンやった」と振り返ったのは、ここ2試合の先発登板だった。
「ストライクゾーンには投げられる子やけど、あとはやっぱり低めへのコントロール。困ったら低めっていうのは、NPBでは鉄則なんで。コースじゃなく低めのゾーン。『えいやぁ!』で抑えられるような世界じゃないんで。今日はフォークもしつこく我慢して低めに投げられていた。ああいう姿勢ね」。
そして清水監督は長谷川投手の思いも汲み取っていた。
「いろんな思いでいったと思う。凱旋で、昨日チームは負けてる、自分は最近打たれてるっていうプレッシャーの中で、今日みたいなピッチングができた。残り全部、もっと強い気持ちでいってほしい。あとは気持ちだけやと思うんで、彼は」。
シーズン最終盤に向けて、さらなる期待をかけていた。
■凱旋登板を直訴するも、直近の試合で・・・
清水監督の言葉にもあるように、この試合にはどうしても登板したかった。西地区との試合は年に1試合、しかも主催は毎年交互である。入団1年目の昨年は新潟開催だったため、故郷・福井での試合は初めてだ。
日程が出たときから希望は伝えていた。その意を汲んでくれた清水章夫監督は「本人も投げたいっていうのと、地元で投げられる機会ってなかなかない。ちょっとずらしながら」と、うまくローテーションを合わせてくれた。
しかし、実はここに至るまでは苦しんだ。
5月は3勝で月間防御率が1.16、6月も3勝で同0.75、そして7月は最多の4勝を挙げて同1.13で、月間MVPにも輝いた。
ところが8月に入って4日の栃木戦で先発して2回5失点、7日に群馬戦での中継ぎ1回を挟み、10日の福島戦で先発5・2/3回で8失点(自責7)と大崩れした。
もちろんこの時期だ。蓄積した疲労があるのも否めない。だが、それにしても…。
「うまく投げようと、きれいに抑えようとしている自分がいた」。
今だから冷静に振り返ることができる。長谷川投手は正直な気持ちを吐露した。
「少し色気が出て、変化球でかわしてやろうとか、できないことをやろうとしていた。でも変化球がそこまで強くないので四球が続いて、苦しまぎれに投げたまっすぐを痛打されるっていう…。試合に勝つことより自己満足で自分と戦っていた。相手と勝負できていなかった」。
自身は「技術ではなく、メンタルでそうなった」と分析する。そして“メンタル”の意味をこう明かす。
「防御率がリーグ1位になったんで、守りにはいっちゃった」。
これは油断以外のなにものでもない。少なからず慢心もあったのだろう。心の隙ができ、それがたちまち結果として顕われてしまったのだ。
もちろん、それだけではない。向上心もそこにはあった。
もともと変化球に課題を持っていた。ストレートは通用する手応えがあるからこそ、ウィークポイントの底上げをしたいと考えたのだ。それが、やや空回りしてしまったようだ。
■下半身メニューと低めへの意識
1週間後に迫る、自ら希望した凱旋登板で無様な姿は見せられない。なによりNPBを目指している中、こんなピッチングをしているようでは評価もダダ下がりだ。なんとしても立て直さねばならない。まず、要因を探した。
清水監督やチームメイトからアドバイスをもらい、ビデオを見返した。すると、下半身が使えておらず、リリースポイントが高いことに気づいた。
「知らず知らずのうちに使えなくなっていて、十分に沈み込めずに突っ張った感じで投げていた。打点が高いから低めにいかないし、上ずって上半身で操作するからボールに力も伝わってなかった」。
取り組んだのは、下半身のメニューを多くすることとランニングをしっかりすることだった。下半身をもう一度作り直したのだ。
さらには清水監督直伝の練習方法にも取り組んだ。ホームベース上とその前後に1つずつ、マーカーを縦に置く。プレートから投げて、手前のマーカーから順番に3つ連続で当てるのだ。3つ続けて当たらないと最初からやり直しで、「これが意外に難しい」と、成功するのに70球ほど要した。
こうして下半身メニューとも相まって、低めへの意識は体に叩き込まれた。それが結果として出せた。疲労に関しても、ストレッチの時間を長くしたりアイシングをしたりするなど、解消に努めた。
■元女房役との初めての対決
その成果を故郷で見せられた。会場であるフェニックススタジアムは福井商業高時代、週に1度、15分ほど自転車を漕いで練習に訪れていた球場だ。「懐かしかったぁ」とエクボを見せる。
当時のチームメイトだった中村辰哉選手とは、龍谷大でもそのままバッテリーを組んだ。卒業後、お互いBCリーグに進んだが、チームは分かれた。
それがこの日、初めての対戦となった。昨年の新潟開催時は、長谷川投手がリリーフだったので対戦が叶わなかったのだ。
「もちろん意識はした(笑)。でも僕たちはお金をもらって野球をやってるので、そこに個人の感情が入って打たれるのはダメ。あいつ、ミート力あるんで、打たれたら9番から上位につながる。絶対に打たさないって、めちゃくちゃ集中して投げた」。
結果は一飛と三振が2つ。完勝した。
一方、ずっと「悔しい〜」を連発していた中村選手は、「大学時代に受けててある程度はわかってるつもりだったけど、すごく進化していた。甘い球が1球も来なかった。1本くらい打ちたかったなぁ」と、旧友の成長に目を丸くしていた。
7年間バッテリーを組んできた相手だ。やりづらさもある中、「でも楽しかった。最初で最後になるんじゃないかな…」とポツリとつぶやいた。
ふたりとも、初めての真剣勝負に感慨深げだった。
■家族、祖父母、幼なじみ・・・
そんな息子の晴れ姿に胸を熱くしていたのはご両親だ。投げている姿を見たくて、急に思い立って新潟まで車を飛ばしたこともあるという。
この日は「気合いが入っていた。成長を感じましたね。四回、五回は苦しそうだったけど、周りの方に助けてもらいましたね」と、父・陽さんは相好を崩しておられた。
凌汰少年が小学生のときに所属していたチーム「ヒーローズ」の監督でもあった陽さんだが、かなり厳しかったという。しかし今は帰省しても「野球の話はしない」そうだ。
母・伊佐子さんは中学生のころの文集の話をしてくださった。
「阪神タイガースの福間納さんが教えにきてくださって、そのときのことを書いていました。『目標はプロ野球選手』って。でも、子どもはみんなそう書きますよね(笑)。高校、大学と気持ちが固まっていったみたいです」。
姉・綾さんも隣でニコニコとうなずいておられた。
弟・祐汰くんにとってのお兄ちゃんは、憧れであり目標であり、よき相談相手だ。兄の後を追うように福井商高に入学した。甲子園出場は叶わなかったが、この先も大学で野球を続ける予定だ。
投げる試合を生で見るのは甲子園以来6年ぶりだそうだが、「見ててすごいと思う。大きな舞台で結果残して…」と、羨望の眼差しで見入っていた。
兄と同じく高校の途中からピッチャーに転向した祐汰くん。“投手の先輩”として尊敬するところとして、「ストレートの勢い。それと、自分のやりたい目標をしっかり持って、それに向かってトレーニングをしっかりやる意識の高さ。周りの意見も素直に聞き入れてやってみる柔軟性」を挙げた。
何かあると電話して相談する。頼りになるお兄ちゃんが大好きなのが伝わってきた。
そして、おじいちゃんとおばあちゃんにやっと勇姿を見せられたことが、長谷川投手にとってなにより嬉しかった。
「高校以来かな。なかなか県外には出られないんで。じいちゃん、ばあちゃんはすごい応援してくれてて、今回も楽しみにしてくれてた。だから絶対にいい姿を見せたかった。喜んでくれて、ほんとによかった」。
凌汰少年とともにお父さんの“ノックの嵐”でしごかれたのが、幼なじみの玉村竜也さんだ。小、中学と「ヒーローズ」でともに汗を流した仲で、今も帰省したら必ず会うという。
「当時はピッチャーよりライトが多かった。飛距離だけはバケモンでした(笑)。甲子園でもヒット打ってるし、バッターとしてやっていくと思っていた」と玉村さん。この日も親友の応援に駆けつけた。
今は打席に立つこともない長谷川投手だが、バッティングも見てみたいものだ。
また小学生時代のスポーツ少年団の加藤団長ご夫妻は、同じ福井市内で行われている陸上競技会を見にいく予定だったのを、「凌汰が投げるっていうから」と変更して応援に駆けつけてくれた。
「体が硬いんで、よく柔軟体操をやらせてました。どっちかというとスラッとしてたけど、大きくなって…」と、その成長に目を細めておられた。
■NPBで、この日以上のピッチングを
自分のことで、こんなにもみんなが喜んでくれる。みんなを笑顔にできる。
しかし、この程度で故郷に錦を飾れたとは思っていない。やはり目指すところはひとつ、NPBだ。もちろん入るだけではない。入って活躍することだ。
いつの日かNPBの試合に招待し、この日以上のピッチングを見せる―。長谷川凌汰はあらためて、そう心に誓った。
(表記のない写真の撮影は筆者)