『光る君へ』を大河ドラマ成功作に仕立てた壮大な仕掛け
『光る君へ』が成功した理由
『光る君へ』は紫式部が吉高由里子だったのがよかった。
ドラマとしての成功のもとは、そこにあったとおもう。
紫式部はどれほどの美人であったのか、それはわからない。
だからこそ吉高由里子が演じたのがよかった。
『光る君へ』は恋愛ドラマだった
『光る君へ』は一貫して恋愛ドラマであった。
紫式部(吉高由里子)はずっと藤原道長(柄本佑)に惹かれており、道長はずっと式部が好きであった。
この二人の恋愛を軸にお話が進んでいった。
若いころに結ばれたことはあったが、立場の違いからついに添い遂げることはできず、それでいてつかず離れずの関係であった。
数十年に渡ってえもいわれぬ距離感の二人である。
柄本佑と吉高由里子のドラマであった。
二人の恋愛模様に世相をすべてからめた構成
第1話、まだ少女であったまひろ(のちの紫式部)は、たまたま街はずれで出逢った少年の三郎(のちの藤原道長)と知り合いになり、何度か川べりで会う。
そのころから二人は惹かれ合っており、それは最新46話になっても変わっていなかった。
この2人の恋愛に、この時代の政争も世相もすべてからめて作り上げたという物語の構成がすさまじく、すばらしかった。
歴史事実と比べると、かなり首をかしげる部分が多かったのだが、そんなことを気にしてもしかたがない。
物語はおもしろくないといけない。
比類ないドラマができあがったと言えるだろう。
脚本の勝利だと言っていい。
物語のメインの人物は藤原道長
歴史物語として見るならば、メインの人物は、紫式部よりも藤原道長となるだろう。
紫式部の父は、歴史に詳しく書かれるほどの高官ではなかったので、紫式部の生年や没年はよくわかっていない。
いっぽう藤原道長は、政権の中枢にある「藤原北家」嫡流の生まれで成年すれば政府要人に入るだろうというのは生まれたときから予測されていた。
だから生まれてから死ぬまでの記録が残っている。
そのうえ、この人は日記を書いていて、その直筆日記が現存する。
あらためて治安の良い時代の政治家だったのだなとおもう。
その道長の心情を通して、この時代の風景を浮かび上がらせて、わくわくした。
『光る君へ』では、道長の政治姿勢は、若いころ、好きだった女性、つまり紫式部との約束によって決められ、生涯、それを貫いている。
かつて恋愛相手であった女性とのどきどきする関係
恋愛ドラマとして1年ものであり、しかも舞台も40年を越える長い年月を描いている。
ゆえに若いころ男女の関係にあった二人が、年を経て、ほのかな恋情を残しつつも、再び顔をつきあわせるとどうなるのか、という風景が丁寧に描かれた。
これはこれでどぎまぎする。
昔の恋人と、同じ職場にいることになっても、現実世界ではだいたい平常を装うだろう。
でも『光る君へ』では、藤原道長はずっと紫式部に気があるそぶりで、二人きりになると、かつての同志ではないか、という気配で話し込んでいた。
いうなれば「生涯十四歳の気分を忘れない」人物である。早い話が千年前の中二病の政治家であって、そこが楽しかった。
もちろん正妻の源倫子(黒木華)には二人の関係はバレバレであった。これはこれでどきどきして、心臓に悪い。
五十と四十の男女の恋情が描かれる
紫式部の娘(大弐三位)はこのドラマでは藤原道長との子だとされているが(もちろん初耳である)南沙良演じる彼女が、二十一になり宮中への出仕を願っていたので、つまり二人の最後の関係があってから二十有余年経っている。
42話あたりでは、藤原道長は五十そこそこ、紫式部は四十代だったはずで、千年前の四十と五十は、いまの感覚ではさらに十歳ほどは上になるだろう。
でもそこでも恋情豊かであった。
37歳の柄本佑と36歳の吉高由里子が演じているのがずるいといえばずるいのだが、ずっとおもいつづけている恋を描いて、ちょっとすごい。
貞元三年(978)に出逢った二人が、寛仁年間(1017〜1021)になっても惹かれ合っていたところが何とも言えない。
あまりに壮大な恋愛物語である。
「平成」女子みたいな紫式部
42話で、紫式部は、つとめをやめて旅に出るという「平成」時代の女子みたいなことを言い出す。
実際に旅に出て、これはちょっと11世紀日本国の地方の治安をなめすぎだとおもう。
刀伊の入寇とぶつかってしまって大変であった。
旅立つ前、道長は式部を引き留める。
おまえとは、もう、会えぬのか
会えたとしても、これで終わりでございます
これが42話での道長と式部の会話だ。
五十の男が執着して、四十の女に袖にされていた。見ていて少し心が痛む。
このあたりがまさに『光る君へ』の真骨頂だったと言えるだろう。