ダービーで1番人気が予想されるエフフォーリアを最もよく知る男がすべき事とは?
競馬に縁のある家庭からトレセン入り
成田雄貴は現在44歳。1976年7月25日、北海道の帯広で生まれ、3つ上の姉と共に育てられた。
「父は自分が2~3歳の頃に他界していたので、母子家庭で育ちました」
母の2人の兄は道営と船橋でそれぞれ調教師を、弟は社台ファームでマネージャーと、競馬には縁のある家庭だった。
「自分も小学生の頃には競馬を見ていました。オグリキャップや武豊さんを応援しました」
高校を半年で辞めると、船橋競馬場で開業する伯父の成田清輔調教師(故人)の下で、約1年、働いた。その後、社台ファームで働き始めると、育成部門で毎朝、何頭も騎乗した。
「馬乗りの基礎から教わり、8~9年働かせていただきました。馴致段階のダンスパートナーにも何回か乗らせていただきました。素軽くて背中の素晴らしい馬とは感じたけど、正直、自分の経験が少な過ぎて、馬の良し悪しの判断はつきませんでした」
その後、競馬学校に合格すると、美浦トレーニングセンターの本間忍厩舎、加藤征弘厩舎を経て、矢野進厩舎に転厩。持ち乗り調教助手として経験を積んだ。
「大ベテランの矢野先生の下には5年くらいいて、様々な勉強をさせていただきました。まだまだ至らない僕の失敗に目を瞑っていただき、技術を磨かせてもらいました」
2008年、矢野厩舎の解散と共に、新規開業となった鹿戸雄一厩舎へ移った。
「鹿戸先生の第一印象はニコニコしておだやかという感じ。実際、一緒に働き始めると第一印象の通りでした。仕事も比較的任せてくださるので、責任を感じる反面、やりやすくもあります」
悔しい思いをしながら経験を積む
13年に担当したフォーエバーモアは新馬から連勝すると阪神ジュベナイルF(GⅠ)に駒を進めた。
「結果、勝てなかったけど、好メンバー相手に3着と善戦しました。年明けにはクイーンCを勝ち、クラシックが楽しみになりました」
しかし、桜花賞で8着に敗れると、オークスは11着と更に大敗を喫した。
「どんどん短距離馬っぽい感じになっていきました。こういうケースもあるんだと、勉強させてもらいました」
16年には3歳デビューとなったビッシュを任された。
「入厩して、最初の追い切りに乗った時、あまりに素晴らしい動きだったので『GⅠを獲れるのでは?!』と思いました」
デビュー勝ちすると、キャリア僅か3戦で挑んだオークスで3着に好走。秋には紫苑S(GⅢ)を勝利し、続く秋華賞(GⅠ)では1番人気に支持された。
「人気だったので緊張しました。結果、10着に敗れると、その後は成績が上がらず、牝馬の難しさを教わりました」
エフフォーリアとの出合い
このような経験を重ねた昨年、1頭の2歳馬を担当する事になった。
「大人しくて手はかからないけど、肉体的には緩い面があってまだ幼い」
第一印象でそう感じたこの若駒がエフフォーリアだった。
調教を積むうち「良いモノがある」と感じた。実際、デビュー勝ちを飾ると、強い勝ち方で2戦目も連勝した。
「良い馬とは感じたけど、甘くはないとも思っていました。でも、2戦目が強かったので、もしかしたらこちらが思っている以上に凄い馬かも知れないと考えるようになりました」
3戦目が共同通信杯(GⅢ)だった。
「状態は良かったけど、他にも良い馬が沢山いるので半信半疑でした」
しかし、最後の直線で先頭に躍り出た。
「(直線の長い)東京競馬場だし、先頭に立つのが早いかと思い、ヒヤヒヤしました。でも、結果、まだ余裕のある体つきにもかかわらず勝てたので、クラシックが楽しみになりました」
若手のホープを背に皐月賞を優勝
迎えた皐月賞は「きっちりと仕上げた」と言い、更に続ける。
「札幌の新馬戦が辛勝だったので、右回りを多少心配しました。馬場が重くてぼこぼこしているのもどうかと思ったけど、状態に関しては共同通信杯よりも仕上がっていたので、自信はありました」
パドックではエフフォーリアのほんの少しの仕種に、精神面での余裕を感じた。
「馬場へ続く地下馬道の出入り口前を通る度に目をやるなど、落ち着き払って歩いていました。やる気はあるけど、夢中になり過ぎてもいない感じで、力強さが伝わってきました」
ゲートインまで付き添い「素晴らしい状態。大丈夫」と馬にも自分にも言い聞かせて見送った。
「スタートした後、下馬所まで戻るバスの中のテレビでレースを見たのですが、ゲートの牽引車が移動するのを待ってから乗車したので、見た時にはもう最後の直線に向いていて、エフフォーリアが抜け出していました」
盤石な競馬ぶりだったが、道中をすっ飛ばして、いきなり最後だけを見た成田の心境はおだやかではなかった。
「外から何か伸びてくるんじゃないかと思い、早くゴールしてほしいという気持ちで見ていました」
2着に3馬身差をつけてゴールを駆け抜けた時は安堵したが、引き上げて来る愛馬を迎えに行く頃には、また別の不安の叢雲が脳内に広がった。
「感無量だったけど、馬場が悪かったので怪我をしていないか気になりました」
歩様に乱れがないか、すぐにチェックした。
「一安心して、改めて嬉しくなりました。同時に横山武史君の存在が凄く大きく見えました。彼の積極的な騎乗がエフフォーリアをGⅠ馬にまで育ててくれたのは間違いありません」
亡き父に朗報を届けるためにすべき事
レース後、放牧に出された皐月賞馬は、5月中旬に帰厩。その後、順調に調教を積まれている。東京の2400メートルというタフな条件をもクリアして、無敗の2冠馬となるために、果たして、成田がすべき事は何だと、本人は考えているのだろう?
「ダービーだからといって攻め過ぎたり守り過ぎたりせず、普段通り接するのが大切だと考えています。いつもと同じ状態で挑めればきっとチャンスはあると思いますから……」
皐月賞のレース後には女手一つで育ててくれた母から祝福の連絡があったと言う。
「父のお墓は北海道にあるので、毎年、夏の開催で行った際にお墓参りをしています。勿論、今年も行くつもりでいるので、その際にGⅠ勝ちを報告するつもりでいます」
その報告が「GⅠ勝ち」となるのかはたまた「ダービー優勝」となるのか……。成田がエフフォーリアに普段通りに接する事が出来れば、後者になる可能性はグッと高くなりそうだ。全ては今週末の結果次第。答え合わせを楽しみに待とう。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)