「新しい価値を生み出せない自分には価値がない」、NAKED村松亮太郎が語る表現者の矜持
映像やインスタレーション、プロジェクションマッピングなど、アート・デザイン・テクノロジーなどのさまざまな分野の枠を超えた空間を演出するクリエイティブカンパニー「NAKED, INC.」。代表を務め、クリエイターとしても活躍する村松亮太郎さんに、人々を魅力し続けるクリエイションの原点、そして今後の展望について語ってもらった。
――キャリアのスタートは俳優として活動。俳優業を始めたきっかけから教えていただけますか?
【村松亮太郎】かっこよく言うと(笑)、きっかけは“映画愛”ですね。俳優といっても、いわゆるタレントになりたかったわけではなくて、もっと振り返ると、もともと、なんでもできるタイプだったんですよ。わりと嫌なやつというか(笑)。ただ、自分はいろいろできるけど、本当にやりたいことは何なのか、自分には何ができるのか、自分のアイデンティティを求めていたんだと思います。本当は音楽をやりたかったんですが、兄が音楽をやっていて、そんな兄に馬鹿にされるのも嫌で(苦笑)。あとは父親が元新聞記者で本を出したりもしていたので、自分が映画好きということもあって、無意識のうちに、兄が音楽、父親が物書き、僕は映像に自分の道を見出していったような気がします。
――それで俳優の道に進んだんですね。
【村松亮太郎】でも、当時はまだ16歳。映画といっても、そこにどんな職業があるのかを知らない頃ですから、やはり目がいくのは演じている役者で、役者だったら自分の身体ひとつでトライできる。これならやれそうだと考えたのだと思います。
【村松亮太郎】ところが実際に始めてみると、当時はトレンディドラマ全盛の時代。芸能界に入りたいとかタレントになりたいという気持ちで始めたわけではないので、事務所を何度も移ったり、悩んでいましたね。事務所も揉めて辞めるというか、「魂を売る気はない!」とか、とにかくとがってました(笑)。
――それは事務所も大変ですね(笑)。
【村松亮太郎】自分の中の理想像と時代があまりにもかみ合わなくて、これからどうしようかと葛藤している頃に、Macintoshと出会いました。1995年でしたね。Windows95もでてきて、さらに当時、ソニーからデジタルビデオの新しい技術が登場して、「映像をつくれるようになるらしいぞ!」と。これはもう、自分でつくるしかないと考えて、独学でスタートしました。
【村松亮太郎】当時、日本ではほとんどやっている人がいなかったので、とにかく手探りでした。結果的にそれが、“コンピューターで映像をつくる第一世代”ということにつながっていった気がします。映像といっても実写を編集するだけではなくて、後々、当たり前の技術になりますが、当時は一般的ではなかったモーショングラフィックやアフターエフェクトとか、とにかくおもしろい。自分で脚本を書いて、自分で音楽をつけて、自分でタイトルをつくって、自分で演じて、形にしていきました。自分がいいと思うものをつくりたい。この想いに、テクノロジーがついてきたという感じですね。これは、今やっていることにもつながる話だと思います。僕はテクノロジーから入るのではなく、まず実現したいことがある。実現のためにはどうしたらいいか、その手段がテクノロジーだったという感じです。
――まず想いがあり、その実現のための手段ということですね。
【村松亮太郎】想い、それからイメージですね。こんなものがつくりたいというイメージが常に先行します。NAKED, INC.でも、僕はエンジニアやスタッフに対して、かなり無茶を言う人だと思います。なにができるか、から始めずに、こういうことがしたい、というところから始めるので。一般的には逆かもしれませんが、それが僕たちのつくるものの特徴にも現れていると思います。
――当時のコンピューターはまさに独学の時代ですよね。
【村松亮太郎】ノウハウがないので、自分ですべてを理解しないとやりたいことが実現できない。ハード面のことからなにから、誰よりも詳しくならざるをえなかったですし、その結果、テクノロジーを手段として身につけることができたんだと思いますね。
――形にしたいビジョンがそれほど明確にあったんですね。
【村松亮太郎】ありましたね。ただ、小説家になろうか、映画を撮ろうか、と悩んでいる時期もありました。映画も基本的には自分で脚本を書きますしね。職業への憧れがないんですよ。あくまで、「どういうことを表現したいか」がベースにあって、それをイメージを持ってストーリーに起こしてつくっていく。映画学校にも通っていないし、美大を出たわけでもないし、とにかくすべてが独学ですね。
――独学という言葉で片付けてしまいそうですが、「わからないからやめよう」とならないところがすごいと思います。普通は挫折しそうな気もします。
【村松亮太郎】実現したいことのために、それだけですね。もっとも、自分に“オタクの気質”があったのと、「これからどうしていこう」という悩みがあったからだとも思います。役者としては事務所を4回も辞めていましたし、どれだけトライしても進んでいかない。自分の中にビジョンはあるけど、「世の中の普通とは違う」と言われてしまったり。大学も中退して出てきていましたし、切羽詰まっていた中で、これだけが希望だったのかもしれないですね。
――1997年に株式会社ネイキッドを設立されました。設立の経緯について教えてください。
【村松亮太郎】実は、必要に迫られたからでもあるんです(苦笑)。フリーとして仕事が増えてきて、あるときテレビ局の人に映像を見てもらったところ、「ゴールデンのドラマのオープニングで使いたい」という話になり、「えっ、会社じゃないの?」と言われて、「えっ、会社のほうがいいですか?」みたいな(笑)。お金のこともあるし、一緒にやる仲間もできていたので、「これは会社にするしかないかな」という考えでつくりました。ある意味、仕方がなく(笑)。コンピューターのときと同じですね。
――社名の由来は?
【村松亮太郎】最初の“裸一貫”ということを忘れない。“飾らずに、とにかく真摯に”という意味を込めています。それから、当時、表現の方法が増えていくなかで、96年にはYahoo! JAPANもスタートするなどインターネットの台頭があって、メディアの形であったり、つくるものがミックスされていくという感覚を直感的に感じていました。今後、表現方法、“着るもの”はどんどん変わっていくけど、一番コアなもの、表現の根っこにあるものを大事にしようと。体がだらしないと何を着てもかっこ悪いじゃないですか。裸になってもかっこよければ、何を着てもかっこいい。そこを大事にすべきだなと。何者にでも変わっていけるけど、本質は不変。NAKED, INC.の最初のマークは“トカゲのしっぽ”だったんです。本質は変わらないけど、常に自分でしっぽを切れる。変わり続けること、再生し続けること、新しいものに対して常にそうありたいという想いが込められています。
――クリエイティブカンパニー、NAKED, INC.として大切にしているのもそういう部分ということですね。
【村松亮太郎】何を生み出していくか、極論、それだけを大事にしています。特にここ最近はクリエイティブの意味合いも変わってきていますが、そんな中で、創造するとはどういうことなのか、新しい価値をつくり出すとは何か、すごく考えています。クリエイティブで仕事をすること、それは価値をつくり出すことだと思うので。価値は変わり続けるし、表現方法もアプローチも変わる。ここについては常に“超柔軟”でありたいですね。理想は軟体動物のタコ。実態がわからないくらい、それぐらい変幻自在のほうがいいと考えています。
――特に印象に残っている作品、クリエイティブはありますか?
【村松亮太郎】難しい質問ですね。僕は何をつくっても満足できないタイプで、社員にはいつも嫌がられています(苦笑)。一般的に成功に見えるようなことを成し遂げても、ある意味、一番冷静で、常に反省、次への課題を探しているという感じです。
――まだ足りない、まだ足りない、という。
【村松亮太郎】そうですね。強いてあげれば、たとえば東京駅の3Dプロジェクションマッピングのように、自分がどうというよりも、世の中のリアクションが大きかったものは結果的に印象に残っているかもしれないですね。「へぇー」って人ごとみたいな感じで(笑)。そういう意味では、最初に撮った映画が海外で賞を受賞したり、東京駅であったり、新しいきっかけになること、新しいブレイクをつくったときは楽しいというか、印象に残りますね。振り返ったときに、「あれがこの道を開いたんだ」と気づけるもの、それはイノベーションなので、印象に残るのかもしれないですね。
――一昨年(2020年)スタートした「DANDELION PROJECT」は村松さん個人名でのプロジェクトとなっていますが、その理由は?
【村松亮太郎】NAKED, INC.自体が、大勢の方に来ていただくようなイベントを行うようになって、そうすると、それはある意味“ビッグバンド”みたいなもので、ファンに対してどう応えるかといった部分が出てくる。スケールを大きくしていけばいくほど、「より多くの人に」という方向に向かうことになって、ある種のエンターテインメント性が上がらざるを得ない側面がある中で、もうちょっとピュアにやりたい気持ちというか、もうちょっと自由に表現できたらいいなという想いがあった。それが理由ですね。NAKED, INC.はバンドとしてエンターテインメントを提供しながら、個人としてはもう少し純粋にパーソナルなものをやるという感じです。あとは、ビジネスモデルが全然違うこと。やっぱり、アートに寄れば寄るほど、この仕事をいくらでやっていくらになるといった計算が難しくなり、会社のビジネスモデルとしては成立しづらくなることがあります。僕のわがままというか、仲間に迷惑をかけたくないという気持ちもありました。
――コロナ禍というこの時代に生み出された意味についてはいかがですか?時代にリンクすごくしている気がしました。
【村松亮太郎】時代とのリンクはすごくあります。もともとこのアイデアは「911」、アメリカ同時多発テロ事件があったときから持っていました。たとえば、9月11日にワールドトレードセンターに置いた「DANDELION」と中東をつないで、中東の方々を含めた世界中の人が吹き、ニューヨークで花が咲いて、花で鎮魂する。言葉はいらないんですよね。メッセージは、言葉にしてしまうと何らかの意味が生じてしまうもの。正しさの主張といった何らかの意味が生じると、その逆も発生してしまうから、言葉はいらないなと。もっとシンプルに、「ただ平和を求めているだけ。それは一緒だよね」ということだけを共有し合いたいという想いがあって、誰もが持っている“平和を願う気持ち”をこのプロジェクトで表現したかったんです。
【村松亮太郎】今はコロナ禍ということもあって、世界は再び分断が進んでいるように感じます。その中で僕たち表現者は何ができるのか、その想いはすごくありました。逆に言えば、こういったタイミングでないと、“ピース”とか“ラブ”とか、ある種のすごく本質的なことは響かない。世界経済の行方など、こういう不安定な時代だからこそ、シンプルな表現に戻りたいという考えがありました。やはり、アートというものは時代とともにあるもの。平穏や平和を願う気持ちは誰もが持っているものですし、今こそ分断を超えて、その気持ちをみんなが確認し合い、世界がつながるときではないだろうか。そんな想いから、「DANDELION PROJECT」を開催するべきだと考えました。
――この3月には、体験型アート展「NAKED FLOWERS」国内初の常設が有楽町に誕生。「FOR YOU」というネーミングに込めた思いを含め、見どころ、楽しみ方について教えていただけますか?
【村松亮太郎】僕の中にはFLOWERSの完成形のイメージがあって、完成形のFLOWERSはわりと巨大なものなんです。今回は商業施設の中ということで、スピンアウト的な要素があると思っています。最初は「ラウンジ」とか「ショップ」とか、そういう候補の名前が出ていたんですが、どこかしっくりこない。すべて“場”の名前なんですよね。時代感でいうと、もっと主体は人側にある気がしていて、だからあえて「FOR YOU」という名前にしました。「あなた自身が花である」みたいな感覚。できたものをただ鑑賞するのではなく、自分自身がある種アートの一部になったり、アートを生成できたり、訪れた人が自分を投影できるものとしての機能が重要で、“場”の名前ではなく「FOR YOU」という名前にしたところにすごくポイントがあって、そこは時代感がすごく変化している気がするんですよね。
――時代感の変化?
【村松亮太郎】いい意味でも悪い意味でも、表現者にとっては変わってきていると思います。それこそ、TikTokで自分のダンスを誰かに見てもらうとか、超一流のピアニストの演奏よりも自分たちのダンスの創作といったことへの意識が強くなっていて、悪い言い方をすれば“自己愛的”なものが強くなっている中で、そういったみんなの感覚や欲求にどう応えられるかという側面がある。だから、これまでのFLOWERSとはちょっと違っていて、今回はかなりパーソナライズ化に特化しています。
――個人の発信の在り方が変わったことで、たとえば絶景も「ただ見る場所」から「その場所にいる自分を発信する場所」に変わりましたよね。
【村松亮太郎】DANDELIONも、ある種、“みんなが参加するアート”じゃないですか。DANDELIONのモデルも実はいろいろあって、例えば(華道家の)池坊専好さんと一緒につくったモデルもあります。さまざまなアーティストの方も参加できるものなんです。僕が創り出したのは、DANDELIONというプロジェクトであって、それこそいろいろなタンポポがあっていい。一般の方がその人なりの花を咲かせてもいいし、自分だけに閉じていないアートですね。
【村松亮太郎】プロと素人の境目というものが非常にあやふやになり、ある種、Web3的な構造に、みんな並列的な時代になっていますよね。そうした時代にクリエイターとしてどういうものを創るべきなのか、何をもってクリエイティブカンパニーとしての価値を出すのか、すごく考えさせられる時代ですね。
――発信することや参加できることが当たり前の時代ですよね。おっしゃっていただいたように、プロと素人、一般の人との境界もわかりづらくなっています。
【村松亮太郎】本当に難しい、すごく難しいところだと感じています。何をもってクリエイティブなのか、どこをクリエイトすることがプロとして必要なのか、僕はこの立場として何をすべきなのか、考えさせられますね。ただ、常に新しいことをやってきたという自負はあります。たとえば、“五感で感じる”といったことも我々のトライはかなり早かったですし、体験型もまだ誰もやっていなかった頃から取り組んでいました。FLOWERSが2016年なので、Instagramの本格ブレイクの寸前くらい、いわゆる“映え”もまだ浸透していない頃。そういう意味では、間接的に何らかの影響を与えることもできているのかなと思います。
――常に新しいこと、このトライが大切ということですね。
【村松亮太郎】クリエイティブをするうえで、フォロワーはあり得ないと思っています。ネット文化も含めて“パクる時代”でもあるじゃないですか。古いタイプかもしれませんが、僕はやっぱり作り手として、オリジナリティに対するリスペクトがものすごくあります。自分のイマジネーションからつくるタイプだし、マーケティングからはつくらない。常に新しいところ、まだ誰も踏みいっていないところに踏み入って、試していきたいという思いがあります。そしてそれは、技術的な意味で新しいということではなく、もっと感覚的なもの。感覚的な部分で、「こういう感覚ってあったらいいよね」というものを形にしていきたいと思いますね。技術はあくまでもツール。この考えは昔から変わらないですね。
――最後に、アーティスト村松亮太郎としての今後の野望を教えてください。
【村松亮太郎】正直、ある種の迷いは存在しています。でも、これは僕だけじゃなく、まさに時代だなと思います。みんな先が見えず、しかもコロナで一回ストップさせられて、「自分は何をやっているんだろう」といったことが根底から揺るがされている。そういった意味では、僕自身もすごく手探りの感覚が強いですね。それに、質問者泣かせかもしれませんが、「夢はこうです」とか「人類をこう前進させたい」みたいなことは言わないタイプなんです(苦笑)。たとえどんなことをやったところで、長い歴史の中ではそんなにたいしたことではない。そう考えるタイプです。自分は「オリジナルで生み出している」と言いましたが、そもそも僕自身が“器”でしかない。例えば、今話している言葉も親や学校から学んだものですし、それこそ生まれた瞬間にDNAには過去のデータがすべて入っているはずだと考えています。僕という器を通したときに何が出てくるのか。僕がつくっているすべてのものは、僕自身でも意識できない外からの情報が合わさってできているものでしかない。そういう感覚があるんですよね。
【村松亮太郎】この「何が出てくるのか」というトライをずっとやっていますし、自分自身がおもしろいと感じられなくなることは嫌だなという考えだけですね。限りある人生ですから、生きている間に、本当に価値のあることをやっておかなきゃいけない。それは昔以上に意識していますね。あれっ、何の話でしたっけ(笑)?
――今後の野望について、ですね(笑)。
【村松亮太郎】そうでした(笑)。僕がやっていることを突き詰めていくと、仮想現実的な話になっていく。それはずっと昔から言っているんですけど、今まさにメタバースとかそういう流れになっていて。ただ、そこはある意味、“神の領域”に入っていくようなことなので非常に難しい。でも、たぶん流れは止まらずに、誰かがやることになっていくから、「僕は別に」とか言ってもしょうがない。であればやはり能動的に関わっていたいし、「自分ならこれを大事にしていきたい」ということは提示したいと考えていて、そのためにも先進的な部分にはやっぱり入っていきたい。一方で、僕は同時にすごく古いもの、伝統あるものが好きなんです。「先進」というと聞こえはいいですけど、言い換えれば、表現者としては“ひよっこ”でもありますからね。たとえば「第三十七代目」とか、その人はすでその人個人を超えたものを背負っている存在ということですよね。狂言師の野村万蔵さんと親しくさせていただいていますが、万蔵さんも狂言和泉流野村万蔵家九代目、「九代目野村万蔵」ってどういうこと?みたいな世界がある。自分であって自分ではない、自分よりももっと大きなものを理解している存在という世界ですよね。
【村松亮太郎】さきほど、自己愛の話をしましたが、僕はそこに違和感も覚えています。ある種の謙虚さというか、「自分というものを超えた大きなものを大事にしようよ」といったところは表現していきたいと考えています。それから、世界には食糧難といった課題もあると思うので、第一次産業的なものと先進的なものをミックスさせるような試みにも関心があります。メタバースといっても、それはどこまでもビットの世界であり、“実”はないですよね。キャベツとか“超実”じゃないですか。人は食べないと生きていけない。伝統と先進アートを融合させるように、養殖やファームと先進アートを融合するとか、こうしたミックスにはとても興味があります。僕は“端と端”に興味を持つタイプで、映画も光と影ですよね。こうした二律背反みたいなのもの、どちらかだけではなくて、全体で物事を見るのが好きなんです。マクロとミクロとか、両極端な視点が大事だと考えています。学問も量子力学と文化人類学に興味があって、通ずるんですよね。
――視点はひとつではない、と。
【村松亮太郎】目の前のテクノロジーがこうだからこう、ではなくて、本質はどこにあるのか、何を手段にするにしても本質的な価値をどうやったらつくり出せるのか、価値の生み出し方が大切なので、野望というと難しいですけど、常に新しい価値を生み出していきたいという想いがあります。
【村松亮太郎】逆質問をしてもいいですか?これまでサッカー選手の取材が多いですよね。その理由は?
――前職でサッカーキングというメディアをやっていまして、その頃は多かったですね。
【村松亮太郎】僕、サッカー好きなんですよ。少し前に、リヴァプールの試合をアンフィールドで観ましたし、パリ・サンジェルマン、ユヴェントスの試合も現地で観戦しました。会社でもサッカーの話をすることが多くって、流動性だったり、自分たちの営みと実は似ているところがあるんですよ。僕の中ではサッカーとクリエイティブって変わらなくて、古いものと新しいものがあり、本質的な原理や構造とか、サッカーをそんな視点で見ているところもあります。
――確かに、目的はゴールを奪うことで、そのルール、目的は変わらずに、選手や戦術が時代に合わせて変わっていく。ゴールを奪うためのアプローチが変わる。村松さんのここまでのお話と合致する部分がありますね。
【村松亮太郎】サッカーもFOR YOU的な概念で考えると楽しみ方が変わってくるような気がしています。「NAKED SPOREV.(ネイキッドスポレヴォ)」というプロジェクトがあるんですが、これは「スポーツのレヴォリューション」をコンセプトに、スポーツとテクノロジー、アートが融合した新たなスポーツ拡張体験を生み出す企画です。フィジカルデータを取得するので、たとえば今は野球をやっているけど本当はサッカーのほうが向いているとか、そういった分析も可能になっていくし、スマホで自分のデータを把握することで身体の管理も可能になります。かなりパーソナライズドされたスポーツ体験ができるようになると思います。アスリートを目指す人にも役立つし、身体の動きに合わせたアートがその場で生成される作品があるので、運動が苦手な人でもアート性を競うようなスポーツをつくり出せるかもしれない。軽運動としてのスポーツの価値もアップデートできると思います。スポーツには鑑賞という楽しみもありますが、そこにアートが加われば、楽しみ方もアップデートできる。FOR YOU的な概念がキーになってくるのではないかと考えています。
――これも新しい試みですね。
【村松亮太郎】これは展望でもありますが、(クリスティアーノ)ロナウドのシュートがどれくらいすごいかをシミュレーションして感じるとか、自分がピッチの中に入っている感覚で試合を見るとか、たとえば昨日観戦した試合に自分が一プレーヤーとして存在する形でシミュレーションし直すとか、一人ひとりに合わせてパーソナライズドされたスポーツの楽しみ方が生まれる、そんな未来があり得るんじゃないかと思います。メタバースでいえば、成長曲線を調整して自分自身をトッププレーヤーへと成長させる。それこそ、(リオネル)メッシ・レベルになれるとか。FOR YOU的な概念を入れていくと、新しいスポーツの表現やスポーツの世界観が変わってくるのではないかと考えています。
【村松亮太郎】体験型の意味もどんどん変わっていくと思います。体験、参加する人がどれだけクリエーション側に回るかという流れがある。そうなると、僕たちクリエイター側は何をやるのかという話になってきます。常に考え続ける必要がありますね。
――自分で自分のハードルを上げていく、そんな感じですね。
【村松亮太郎】同じことは飽きてしまいますし、クリエイティブカンパニーですから常に新しい価値を、と考えています。アイデンティティがそこにあるので。
――裸の自分を鍛え続けて、常に新しい服を着てみる、と。
【村松亮太郎】いろいろなものを着続けていけば、何を着ても似合うようになる。着こなしがうまくなるために、やはりベースのところを鍛え続けないといけないですよね。僕自身も凝り固まらないように、軟体動物のタコのように、生まれたての赤ちゃんのようなマインドをいつまで持てるか、それは意識しています。ポール・マッカートニーみたいにありたい、それが理想です。長く続けると、定番というか“お家芸”になりがちなんですけど、ポールのニューアルバムって常に今っぽい。79歳にしてあの進化をして、ナンバーワンを取る。ああありたいですね。でないと、僕なんて価値がないですから。新しい価値を生み出せない自分には価値がない、表現者としてその危機感は常に抱いています。