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異色の監督・森達也の新作映画『i』について、これまた異色のこの人が斬り込んだ

篠田博之月刊『創』編集長
舞台挨拶する森監督、望月記者、河村プロデューサー(筆者撮影)

 オウム事件についてテレビ局と反対の教団側からカメラを回した映画『A』『A2』や、世間やマスコミから袋叩きになっていた人物に密着した『FAKE』など、常に世の中と違った視点から社会問題を提起してきた森達也監督が、今回、被写体にしたのは、菅官房長官追及で知られる東京新聞の望月衣塑子記者だった。

 11月15日から森達也監督の最新ドキュメンタリー映画『i』が全国公開されている。観客が1万人を超えればヒットと言われるドキュメンタリー映画で、プロデューサーは50万人を狙うと公言している。確かに、ドキュメンタリー映画としては異例のシネコン展開で、それは森さんにとっても初めてだという。

 2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会
2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会

 どうして強気の展開ができるかといえば、同じく望月記者をイメージした劇映画『新聞記者』を今年大ヒットさせた実績を持つ河村光庸プロデューサーによる、望月記者を、一方は劇映画、他方はドキュメンタリー映画で追ったという、連動した作品だからだ。実際、キャンペーンでも「『新聞記者』は序章だった」という宣伝コピーを使っている。

 さて、その森監督にも負けず劣らず、異色のドキュメンタリー映画で知られるのが、東海テレビ報道局の阿武野勝彦さんたちだ。特に2016年、阿武野プロデューサー&土方宏史監督のコンビで制作した『ヤクザと憲法』は大ヒットした。そのコンビが新たに制作し、1月2日からポレポレ東中野などで公開される映画が『さよならテレビ』だ。

「さよならテレビ」(c)東海テレビ放送
「さよならテレビ」(c)東海テレビ放送

 これまで様々なテーマに斬り込んできた制作陣が、何と今度は自分たちテレビに大胆なメスを入れたという異色作だ。出来上がった作品を見て、当の東海テレビ自体で激論が交わされ社内が大揺れになったという。

 世の中に敢えてくせ玉を投げて物議をかもすという点では森監督も阿武野さんたちも同じなのだが、その異色の両者がドキュメンタリー映画で競い合うわけだ。そして今回、月刊『創』(つくる)の企画で、双方が互いの新作映画を忌憚なく批評しあうという機会が実現した。

 全貌は次号の『創』1月号に掲載するが、森さんの映画『i』が近々公開されるとあって、雑誌が出る3週間も前に、特別にヤフーニュースにて公開することにした。但し全文は長いので、ここでは森監督の新作『i』について語った前半を掲載し、後半の『さよならテレビ』についての部分は『創』次号に掲載する。

今の言論状況をビリビリッと破いてみせた

――今日は森達也さんと東海テレビの阿武野さん、土方さんによる鼎談ですが、実は来年1月2日から東海テレビが製作した『さよならテレビ』というドキュメンタリー映画が公開されます。もともと東海テレビのローカルで放送されたテレビ番組ですが、全国のメディア関係者をはじめドキュメンタリーファンがダビングをしたDVDを入手したという不思議な作品です。

 森さんの『i』もジャーナリズムがテーマだし、今回は、それぞれの映画を観ていただいたうえで、感想を語るとともにジャーナリズムについて考えてみたいと思います。

 まず公開前から大きな話題になっている森さんの『i』について、阿武野さんの感想をお聞きしましょうか。

阿武野 森さんが普段お書きになっていることやこれまでの作品を見てきて、今の言論状況をどう感じているかというのは多少わかっているつもりでしたが、その森さんが今回、望月さんをどうして取材対象にしたいと思ったのか、それは最後まで謎でしたね。

 というのも、『A』もそうですし、『FAKE』もそうですが、真っ黒に見える人でも、こういう見方もできるよという、世間にバッシングされている側に立って、新たな視点を提供するという、そこに森さんの真骨頂を見てきたように思っていました。今回の望月さんは真っ黒ではなくて、或る人たちにとっては「正義の味方」のような存在なので、そういう図式の中の人物を森さんが取材対象にしたことが、私にとっては不思議でしたね。

阿武野勝彦プロデューサー(筆者撮影)
阿武野勝彦プロデューサー(筆者撮影)

 あと、映画を観て感じたのは、望月さんの表情がなかなか変わらないということです。喜怒哀楽でいうと「怒」の部分が中心に出ていますが、声を荒らげるとかがなく、望月さんは抑制的なコミュニケーションを身に付けている方だと思いました。でも、それじゃあ面白くない。森さんは、望月さんが涙を流すようなことを期待していたと思うので、私は、いつ炸裂するだろうとじっと見ていました。

 それは期待通りにはいきませんでしたが、私たちが『さよならテレビ』を作ったのと同じように、森さんの今の日本の言論状況への危機感が強く、「葛藤している望月衣塑子さん」というジャーナリスト像を据えて、どうにもできないような言論状況をビリビリっと破いて見せようとしているんだと思いました。

土方 僕も今までの森さんの作品とは違うなと思いました。森さんは、個人的には制作者として“兄貴”的な存在と思っています。知らず知らずのうちにヒントや、作り方を教えてもらっているところがある。少なくとも僕個人は森さんからすごく影響を受けていると思っています。

 森さんのこれまでの作品は、観ている人の価値観を揺さぶるというか、「そうだと思ってるでしょ? でもそうではないかもよ」という感じがあります。

 その意味で言うと、今回の『i』は全く違う作り方で作られていると思います。作り方がすごくストレートだと思いました。

土方宏史監督(東海テレビ)筆者撮影
土方宏史監督(東海テレビ)筆者撮影

 何故だろうと思った時に、たぶんもう物語のエンターテインメント性とか、豊かさだとか、価値観を揺さぶるだとか、制作者として自分がどっちの側に立っているのかわからなくさせるといった森さん独特のスタイルに、もう構っていられない。今のメディアの状況が、たとえ自分がレッテルを貼られても、旗色を鮮明にして「こうだ」と言わざるを得ないところまできているという自覚のもとで、作ったのではないかと。危機感がすごくあるのではないかと思いました。

 ですから、ある意味レッテルを貼られやすい作品だし、実際たぶんそうなっていると思います。「もういいんだ、俺がそう思っているのがバレたっていいんだ」という思いで今回はやられているかなと思いました。

今までやらなかったことをやろう、と

森 経緯だけを話せば、『FAKE』発表前から次はドラマを撮りたいと思っていて、テレビ東京で1本ドラマをやっているんです。オカルトをテーマにした『デッドストック』(2017年)という連続ドラマの最終回の担当でした。 

 そもそも飽きっぽいですから、同じスタイルばかりやりたくない。これまで『A』(98年公開)とか『A2』(01年公開)とか『FAKE』(16年公開)が続いただけで、たまたまこういう路線になってしまいましたが、違うのもやりたいと思っていました。そんなときに河村光庸プロデューサーから、「望月衣塑子のドラマ監督をやらないか」とオファーがった。脚本のかなり最終段階までやっていたのだけれど、諸事情あって降りたんです。

 ただ、降りる前に河村さんからは「ドラマとドキュメンタリー、両方できないか」と相談されていました。

特別試写会で森さん、望月さん、河村さん(筆者撮影)
特別試写会で森さん、望月さん、河村さん(筆者撮影)

 まあそのときは二本は無理ですと断っていたのだけど、ドラマが消えたからドキュメンタリーをやりましょうかという話になりました。助走がついてしまっていたので、次のドラマをやる前にドキュメンタリーで1本撮っておこうかなというぐらいの感じで始めました。

テーマだけでなく、演出の方法もそうですけれど、別にいわゆる“ダイレクトシネマ”(撮影と同時に録音し、ナレーションを入れず、事実をそのまま伝えることを目指す1960年代に米国で始まったドキュメンタリー映画の一形式)的なものを自分のスタイルにしているわけではありません。

 『A』は確かに編集・撮影も含めて“アンチテレビ”です。なぜならこの作品が理由となって僕はテレビから排除されたから。だから心情的に、テレビとは違うことをやろうと考えました。テレビ的な撮影や編集の作法をできるかぎり封印して、外観は撮らないし、パーンの前後にフィックスも撮らない。BGMやSEも要らない、テロップは最小限にする。テレビ的な足し算はほぼすべてやめて、とにかく引き算ばかりで撮って編集した映画です。それで、後で知ったんです、それが“ダイレクトシネマ”的な作風だということを。

 香港映画祭の時だったか、プロデューサーの安岡卓治さんと山形国際ドキュメンタリー映画祭の藤岡朝子さん二人に“ダイレクトシネマ”としてはこうだからと言われて、「ダイレクトシネマって何?」と聞いたら、「今まで知らずに撮っていたのか」と唖然とされたことを覚えています。そのレベルなんです。

 だから今回、やるんだったら、今まで自分がやらなかったことをやろうかなと思っていました。スタッフにも最初から「今回編集を思い切り変えるよ」と言っていたんです。「楽しい編集にしようね」って。

土方 アニメも出てきますもんね。

森達也監督(筆者撮影)
森達也監督(筆者撮影)

 

森 テロップも付けました。当たり前です、聞きづらかったら付ければいいだけのことです。ただ、付けないことによってスクリーンへ向けて観客が必死に身を乗り出すという効果はもちろんあるし、これまではそちらを採っていたのですが、今回は違うと思ったのです。音楽も思いきり使う。そういう編集・撮影でしたね。

同時に今、土方さんが言ったように、今のメディア状況に対して、切迫感というか、かなり来るところまで来たなという感じはしています……かな。まああまり使命感で撮るタイプではないと思っているけれど。

望月衣塑子さんのすさまじいメンタル

阿武野 望月さんは泣かない人なんですか。

土方 僕も泣かせないまでも、絶対それは狙っただろうなと思いました。

森 望月さんというのは、裏表が全くない、あのまんまの人なんです。官房長官の記者会見の場って、周りはほとんど自分の敵なんですよ。そこに毎回行って、質問し続けるというのは、ほかの人にはできないと思うし、すさまじいメンタルだと思います。

阿武野 東京新聞のビルは、東海テレビの東京支社も入っていて、私たちもあのビルでたまに仕事をします。その同じ空間で望月さんが働いていると思うと、ちょっと親近感に近いものを感じます。

 東京新聞には独特の社風があるように思います。映画の中では、あまり望月さんが同僚と絡む感じがない。新聞労連が国会前で集会を開いた時に、同じ職場の女性記者が、あそこでマイクを持つ。それが初めて肉声のような感じで、望月さんのことを応援している人がいるんだなと感じました。ただ職場での本当の葛藤は今一つわからなかったですが、普段の取材活動から、望月さんが私の会社にいたら浮いてしまうだろうなという感じは類推しました。「そんなに勝手にやるならフリーになれば」って言われてしまうのかなと思いながら観ていました。

「i」望月記者と森監督 2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会
「i」望月記者と森監督 2019「i-新聞記者ドキュメント-」製作委員会

 東京新聞はやはり寛容で大きい、「困った奴だなぁ」と言いながらも上手に記者を動かせる新聞社なのだろうと思っていたので、良い職場で、望月さんは幸せだなと思いましたね。

 作品の中では、同僚や上司との間で丁々発止というのをもっと見たかったですね。それと望月さんのご自宅の様子がなかったですが……。

森 自宅はそもそも、あまり撮る気はなかった。頼んでもダメだったと思うけれど。ご主人は別の新聞社の記者ですが、一切出てきません。

阿武野 そうすると、映画で映し出されているご主人お手製のお弁当も微妙かもしれませんね。

森 たぶんあれも、ギリギリ。

土方 でも、あれはすごく良いシーンだと思いました。夫婦関係がよくわかるというか。記憶に残る場面です。

森 東京新聞は、割と品の良い職場かもしれない。結構何日も机のまわりでカメラ構えていたのですが、怒鳴り合うといったことは全然ない。

土方 どれぐらい、望月さんの職場にいたのですか。

森 トータルで1週間くらいかな。

阿武野 森さんの作品にはいつも、今の社会の隠されていて見えなくなっている何かを見せられたという気持ちになるんです。どういう対象であっても森さんはビリビリって破いて「ほーら」って見せてくれる。こちらは「うわっ、そういうものを見せちゃうのね」と思っていた。そういうものを作り続けることができるのはすごいと思っています。

森 僕はフリーランスだからそれができるのかもしれない。逆に阿武野さんがすごいと思うのは、局の中枢にいてそういうことをずっとやっているということ。これは望月さんとは違う意味でメンタルの強さだと思うんですが、でも見た感じではそれほどメンタルが強いとは思えないですしね。

阿武野 中枢じゃないし、メンタルは滅法弱いです…。望月さんも、記者クラブのようなところには馴染まない人のような気がします。私もプロ野球選手を追おうとしたことがあって、記者クラブ主催の会見に出たことあります。でも代表質問の後に「いいですか、各社さん」と言われて、予定調和で、「ありません」というところを「はい」と手を挙げてしまった。で、「年俸をいくらかと毎回聞かれるのはどういう気分ですか」と聞いたんです。そうしたら、みんな同じような冷ややかな視線で「なんだこいつ」って。映画の中に随所にある “私の中の望月衣塑子”を思い出して下を向きたくなりましたね。でも、押し並べてメディア人は、そういう“望月衣塑子”的なものを持ち続けるべきだと思いましたね。

土方 森さんって望月さんに対してどういう思いで撮ったんだろうというのは感じました。「なんだよ、こいつ」と思いながら撮ったのか、それとも「あぁ、わかる」と思いながら撮ったのか、どっちなんですか。

望月さんが入って予定調和をかき乱すことの意味

森 例えば、彼女は社会部の記者なのに、政治部の記者クラブに入って波風を起こし続けるというスタンスですよね。それを言えば、僕もオウムの施設の中に入ったりして撮ったのが最初の映画『A』だし、場違いなところに行って、それまでの流儀ではないことを、流儀を知らないからやってきた。普通は、次第に周りから馴化、馴致されていってしまうのでしょうが、僕はなかなか馴致ができなかった。まさしく望月さんと一緒です。

阿武野 決め事でがんじがらめになるのを好む、縛られ好きが多すぎるんだろうと思います。そういう中に望月さんが入って波風立てることで予定調和を掻き乱す。そうして今の言論状況が奈辺にあるのかを垣間見せてしまうのだと思います。

 それは見ていて、孤独な戦いというか、ある意味ではとても痛々しい。菅官房長官がヒールに見えると政権批判にベクトルを単純化するのも、短絡しているような気がするんです。この映画の本質はどこにあるのか、そういうことを森さんは望月さんを通じて、今の政治と今の言論を改めて提示しているのだと思いました。

 『さよならテレビ』のある種、裏と表のような関係なのかもしれない。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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