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引退の水谷隼 偉大さ示す不滅の記録 13年間にわたって見せ続けられた異常なもの

伊藤条太卓球コラムニスト
全日本選手権で10回目の優勝をしたときの水谷隼(写真:西村尚己/アフロスポーツ)

東京五輪2020卓球で、伊藤美誠と組んだ混合ダブルスで中国を破り金メダルを獲得した水谷隼が引退を表明した。

回転という要素を持つ複雑多様な競技である卓球は、安定して勝ち続けることは極めて難しい。特に一発勝負の勝ち抜き戦で勝ち続けることは至難の業だ。苦手のある選手は組み合わせ次第で足元をすくわれるし、オールマイティな選手は爆発力に欠け絶好調の選手に勢いで押し切られる。ネットインやエッジボールなどの不確定要素もある。

全日本選手権の男子シングルスで初めて4連覇したのは、日本卓球史上最強の選手と長く謳われた藤井則和で、1949(昭和24)年度のことだった。その記録は実に61年間も破られることはなかった(齋藤清が1985年度に4連覇タイを記録)。それを破る5連覇を達成したのが水谷隼だった。2010年度のことだ。

水谷の連覇は吉村真晴によって5で絶たれたが、そこから水谷はさらに優勝を重ね、前人未踏の10回の優勝を遂げた。その間、水谷は13年連続決勝に進み、3度だけ敗れた(前記吉村、丹羽孝希、張本智和)。水谷は、準決勝までの5試合を13年連続65試合をただの一度も負けずに勝ち続けた。

これがどれほどあり得ないことなのかは、決勝の相手の顔ぶれを見るだけでわかる。13回の決勝戦で水谷と戦った選手は10人。水谷以外はほぼ総入れ替え状態だ。それらの選手たちは、それぞれの選手生活における一世一代のバカ当たりの状態で決勝に進み、そしてことごとく水谷に敗れた。

並外れてボールが速いとか動きが速いとかなら納得もできる。しかし水谷の強さはそういうところではない。ここ一番の最重要な場面に限ってなぜか相手の打つコースがわかっていたとしか思えないカウンターをし、なぜか相手が簡単そうなボールをミスをしたりと、水谷ほどその強さの理由がわかりにくい選手もいない。ただ負けないという事実だけがそこにある。

幼い頃から天才的なプレーで有名だったから才能(どういう才能なのかこれまたわからないが)はあったのだろう。しかしそんな検証不可能なことを語っても仕方がない。はっきりしていることは、水谷は中学時代に家族も友達も捨てて単身ドイツに渡り、卓球で成功しなかったら何もないという状況に自分を追い込み、負けても負けても耐えたことだ。全日本選手権の期間中は毎回プレッシャーで食事も喉を通らず、体重は落ち「負けてしまった方がどれだけ楽だろう」と思いながら戦っていたことだ。

水谷が全日本の決勝で戦い続けた13年間、それがどれほど異常な光景だったのかは、今後実感してくるのだろう。それをリアルタイムで目撃できたことがどれほど幸運なことだったのかも今後わかってくるのだろう。そのとき私たちは若者に言うだろう。「俺たちは水谷隼の卓球を見たんだ」と。

卓球コラムニスト

1964年岩手県奥州市生まれ。中学1年から卓球を始め、高校時代に県ベスト8という微妙な戦績を残す。大学時代に卓球ネクラブームの逆風の中「これでもか」というほど卓球に打ち込む。東北大学工学部修士課程修了後、一般企業にて商品設計に従事するも、徐々に卓球への情熱が余り始め、なぜか卓球本の収集を始める。それがきっかけで2004年より専門誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。2018年からフリーとなり、執筆、講演活動に勤しむ。著書『ようこそ卓球地獄へ』『卓球語辞典』他。NHK、日本テレビ、TBS等メディア出演多数。

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