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英保守党党首選挙、争点の減税に立ち塞がる財源問題、逆通貨戦争も新たな火種に(下)

増谷栄一The US-Euro Economic File代表
下院公聴会でインフレ危機について証言するベイリーBOE総裁=英スカイニュースより

■逆通貨戦争

他方、過度な円安を引き起こしている日銀の大規模金融緩和政策と同様、英国でも経済再生に絡んで、通貨ポンドの急落の是非をめぐる論争も激しさを増している。インフレ抑制よりも景気後退の回避を優先する、いわゆる、世界的な新たな経済命題となっている「逆通貨戦争」の論争だ。

通貨戦争は通貨安による輸出競争力を高める戦略を意味するが、逆通貨戦争はその逆で、積極的な利上げにより通貨高に導き、各国の国際的な購買力を支える中銀の努力を指す用語。8月19日時点で、ポンドはドルに対し、年初来で12.4%、ポンド以外でも円は15.9%、スウェーデン・クローナは16.5%、ノルウェー・クローネは10.9%下落している。英紙デイリー・テレグラフのルイス・アシュワース経済部記者は6月27日付コラムで、逆通貨戦争について、「ポンドは年初から対ドルで10%近く急落(6月時点)。世界の新たな逆通貨戦争が進む中、羨ましがられることのない負け組に仲間入りした。一部の専門家は最近、ポンドを新興市場通貨と呼んでいる」と揶揄している。その上で、「ポンド安は輸入コストを押し上げ、家計にさらなるインフレの痛みを積み重ねる」と警告する。

逆通貨戦争に肯定的なのは、イングランド銀行(英中央銀行、BOE)内でタカ派(インフレ重視の強硬派)として知られる、米金融大手シティバンク出身のキャサリン・マンMPC(金融政策委員会)委員だ。同氏は6月下旬の講演で、「政策金利の急速な引き上げがポンドを下支えし、短期的な経済的救済をもたらす」と力説。急速な利上げによるポンド高の必要性を強調している。蘭金融サービス大手INGのエコノミスト、ジェームズ・スミス氏も6月27日付テレグラフ紙で「(ポンド高は)インフレの話の中で、BOEが実際にできる数少ないものの1つだ」と主張している。

しかし、アシュワース氏は、「ポンドを下支えするために金利を急速に引き上げるべきというマン氏の提案が実際に通用するかどうかは別の問題だ。また、(利上げを通じて)通貨を舵取りすることは、たとえインフレ高騰による短期的な痛みを緩和できるとしても、BOEの長期的な信頼を損なう」という。英国立経済社会研究所(NIESR)のジャグジット・チャダ所長も6月27日付テレグラフ紙で、「急速な利上げは潜在的にポンドを下支えするかもしれないが、英国がリセッション(景気失速)の瀬戸際にあるとき、深刻なより広範な経済的コストを伴う」と、逆通貨戦争を批判する。

この論争に国際通貨基金(IMF)の元上級政策顧問で、現在はカリフォルニア大学バークレー校の経済学教授であるバリー・アイチェングリーン氏も参戦。著名エコノミストらが寄稿するプロジェクト・シンジケートの7月8日付コラムで、「投資家は、ポンドを安定した先進国経済通貨というよりは問題を抱えた新興市場通貨に見ている。今、ジョンソン首相の党首辞任と、それに伴う政治の先行きの不確実性により、ポンドはさらに下落が進むだろう」と指摘する。同教授は、「ポンドは英国の経済問題のバロメーターで、過去のポンド危機の歴史がポンドの今と将来の見通しを理解するのに役立つ」と論じる。

その上で、同氏は、「英国の労働生産性の伸びが低いことがポンド安の根本原因」と指摘。過去の歴史とは1931年9月の英国大西洋艦隊の水兵が高失業率に端を発して起こしたストライキ(インヴァーゴードン反乱)から英国の低い労働生産性の問題が指摘され、欧州為替相場メカニズムからポンドが外された1992年までの過去4回のポンド危機だ。

しかし、アイチェングリーン教授は、「1967年の危機時には、BOEと政府は急速な利上げが失業者を増やし、保守党の支持者の住宅ローン金利を高めるため、利上げによるポンド救済ができなかった」という。さらに、同教授は、「生産に対する需要を維持するには、英国は商品をより競争力のある価格に設定する必要がある。これには、海外よりも低いインフレ率か、または弱い為替相場(ポンド安)が必要だ」という。その上で、「英国ではインフレ率の低下は起きていない。英国は世界的なエネルギー価格上昇によって大きな打撃を受けており、労働組合は10年以上の緊縮財政のあと、より高い賃金を要求しているからだ。従って、生産に対する需要を維持するには、ポンド安しか残されていない」と指摘する。

また、同教授は、「BOEは依然として通貨トレーダーに不意打ちを食らわせる可能性がある。それは予想より速いペースで金利を引き上げ、インフレを抑え、景気後退の代償を払ってでも通貨を支える可能性がある。しかし、過去1世紀にわたる英国の歴史(4回のポンド危機)をみると、このシナリオはありそうもない」と結論付けている。(了)

The US-Euro Economic File代表

英字紙ジャパン・タイムズや日経新聞、米経済通信社ブリッジニュース、米ダウ・ジョーンズ、AFX通信社、トムソン・ファイナンシャル(現在のトムソン・ロイター)など日米のメディアで経済報道に従事。NYやワシントン、ロンドンに駐在し、日米欧の経済ニュースをカバー。毎日新聞の週刊誌「エコノミスト」に23年3月まで15年間執筆、現在は金融情報サイト「ウエルスアドバイザー」(旧モーニングスター)で執筆中。著書は「昭和小史・北炭夕張炭鉱の悲劇」(彩流社)や「アメリカ社会を動かすマネー:9つの論考」(三和書籍)など。

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