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注目! ドラフト/8 気になるあの選手 阿部良亮(日本通運)

楊順行スポーツライター
昨年は準優勝の日本選手権。日本一達成へ、日本通運の初戦は11月4日、対沖縄電力(ペイレスイメージズ/アフロ)

 なにしろ、ノーヒッターだ。

 ドラフト特集の各雑誌を見ると、あまり採り上げられていない。だが、指名される、されないは別として、今年の都市対抗で大会史上5人目(完全試合含む)のノーヒット・ノーランを達成した阿部良亮に敬意を表したい。

 1988年開場の東京ドームでは初の快挙が達成されたのは、7月21日、パナソニックとの2回戦だった。

「人生初のノーヒットで、驚いています。素直にうれしい。後ろの投手がいいので、初回から飛ばしましたが、6回あたりからは"打たれてもいい"と開き直っていました」

 という阿部自身、「あらためて、信じられません」という快挙。失礼ながら、昨年までは特筆すべき実績はない。浦和学院高時代は同学年の南貴樹(元福岡ソフトバンク)が、東洋大では1学年下の原樹理(現東京ヤクルト)がエース。

「ですから甲子園にも出ていませんし、大学は2年で2部落ちし、1部では0勝です」

 日本通運入りしてからも1年目は芽が出ず、昨年も都市対抗で2試合登板したものの、計4回3失点とパッとしなかった。だが「慎重な性格が四球につながり、自滅していた」と本人のいうKOパターンが徐々に解消し、秋の日本選手権では3試合に登板。14回3分の2を3失点の安定感で準優勝に貢献したことが、大きな自信になった。

高校・大学では「特記事項なし」

 藪宏明監督も、びっくり顔で阿部の投球をべたぼめだ。

「コントロールのいいピッチャーですが、まさか(ノーヒット・ノーランを)やるとは。目の前で見るのは、長い野球人生で初めてなんです。記憶に焼きつけたいと、しっかり見ていました」

 びっくりも当然か。都市対抗予選以後の阿部は、「調子がよくなく、外そうかとも考えた」(藪監督)くらいなのだ。力で抑えようとして、どうしても体が突っ込む悪い癖が出る。「打たれてばかり、怒られてばかり」とそこに気づいた阿部は、必死のブルペンで修正し、大会前のオープン戦でなんとかきっかけをつかんでいた。

「人見知りで、緊張しやすいタイプなんです」

 ノーヒット・ノーランのあと、記者に囲まれた阿部は困惑顔だったが、それにしても低めの制球が見事だった。球速は140キロそこそこでも、ツーシームなどをていねいに低めに集める。打者29人に9奪三振のうち、6個が見逃しだ。「低めに変化球が決まり、おもしろいように打たせて取れた」(阿部)ため、内野に打たせたゴロアウトが12。左打者は沈む球を警戒して外のまっすぐに手が出ず、右打者には逃げるスライダーが絶妙だった。

 NTT東日本との決勝では救援で打たれ、都市対抗は惜しくも準優勝。だが、快挙が評価されて小野賞に輝き、大会後は侍ジャパンの社会人代表に選ばれている。1次候補には入っていなかったから、これは大抜擢だ。実際、優勝したBAFアジア選手権では、2試合に先発して計6回を2安打無失点と、安定した投球で抜擢に応えている。

 阿部の前に都市対抗で達成されたノーヒット・ノーランは、2011年、森内壽春(当時JR東日本東北、元日本ハム)による完全試合だ(この年は京セラドームでの開催で、阿部は東京ドーム第1号なのだ、念のため)。それまでプロからはノーマークだった森内は、その快挙で急浮上し、大会後のドラフトで5位に指名されることになる。しかも森内も、阿部と同じ小野賞を獲得した。だから、というわけではないが、阿部が指名を受けたとしても、ちっとも驚かないぞ。

あべ・りょうすけ/1992.9.7生まれ/埼玉県出身/181cm80kg/投手/右投左打/浦和学院高→東洋大→日本通運

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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