注目! ドラフト/8 気になるあの選手 阿部良亮(日本通運)
なにしろ、ノーヒッターだ。
ドラフト特集の各雑誌を見ると、あまり採り上げられていない。だが、指名される、されないは別として、今年の都市対抗で大会史上5人目(完全試合含む)のノーヒット・ノーランを達成した阿部良亮に敬意を表したい。
1988年開場の東京ドームでは初の快挙が達成されたのは、7月21日、パナソニックとの2回戦だった。
「人生初のノーヒットで、驚いています。素直にうれしい。後ろの投手がいいので、初回から飛ばしましたが、6回あたりからは"打たれてもいい"と開き直っていました」
という阿部自身、「あらためて、信じられません」という快挙。失礼ながら、昨年までは特筆すべき実績はない。浦和学院高時代は同学年の南貴樹(元福岡ソフトバンク)が、東洋大では1学年下の原樹理(現東京ヤクルト)がエース。
「ですから甲子園にも出ていませんし、大学は2年で2部落ちし、1部では0勝です」
日本通運入りしてからも1年目は芽が出ず、昨年も都市対抗で2試合登板したものの、計4回3失点とパッとしなかった。だが「慎重な性格が四球につながり、自滅していた」と本人のいうKOパターンが徐々に解消し、秋の日本選手権では3試合に登板。14回3分の2を3失点の安定感で準優勝に貢献したことが、大きな自信になった。
高校・大学では「特記事項なし」
藪宏明監督も、びっくり顔で阿部の投球をべたぼめだ。
「コントロールのいいピッチャーですが、まさか(ノーヒット・ノーランを)やるとは。目の前で見るのは、長い野球人生で初めてなんです。記憶に焼きつけたいと、しっかり見ていました」
びっくりも当然か。都市対抗予選以後の阿部は、「調子がよくなく、外そうかとも考えた」(藪監督)くらいなのだ。力で抑えようとして、どうしても体が突っ込む悪い癖が出る。「打たれてばかり、怒られてばかり」とそこに気づいた阿部は、必死のブルペンで修正し、大会前のオープン戦でなんとかきっかけをつかんでいた。
「人見知りで、緊張しやすいタイプなんです」
ノーヒット・ノーランのあと、記者に囲まれた阿部は困惑顔だったが、それにしても低めの制球が見事だった。球速は140キロそこそこでも、ツーシームなどをていねいに低めに集める。打者29人に9奪三振のうち、6個が見逃しだ。「低めに変化球が決まり、おもしろいように打たせて取れた」(阿部)ため、内野に打たせたゴロアウトが12。左打者は沈む球を警戒して外のまっすぐに手が出ず、右打者には逃げるスライダーが絶妙だった。
NTT東日本との決勝では救援で打たれ、都市対抗は惜しくも準優勝。だが、快挙が評価されて小野賞に輝き、大会後は侍ジャパンの社会人代表に選ばれている。1次候補には入っていなかったから、これは大抜擢だ。実際、優勝したBAFアジア選手権では、2試合に先発して計6回を2安打無失点と、安定した投球で抜擢に応えている。
阿部の前に都市対抗で達成されたノーヒット・ノーランは、2011年、森内壽春(当時JR東日本東北、元日本ハム)による完全試合だ(この年は京セラドームでの開催で、阿部は東京ドーム第1号なのだ、念のため)。それまでプロからはノーマークだった森内は、その快挙で急浮上し、大会後のドラフトで5位に指名されることになる。しかも森内も、阿部と同じ小野賞を獲得した。だから、というわけではないが、阿部が指名を受けたとしても、ちっとも驚かないぞ。
あべ・りょうすけ/1992.9.7生まれ/埼玉県出身/181cm80kg/投手/右投左打/浦和学院高→東洋大→日本通運