iモード革命からiPhone上陸まで。平成30年間「ケータイ進化の歴史」
携帯電話・スマートフォン(スマホ)の進化は平成の30年間とともにあった。
第1世代(Generation)のアナログ携帯電話に始まり、2G、3Gときて、いまでは4Gのスマホが一般的だ。2020年からは5Gのサービスが始まろうとしている。
通信速度は平成7年(1995年)に登場したパケット通信対応の「デジタルムーバHYPER」が9600bpsだったのに対し、いまでは1Gbpsを超えるスマホも登場し始めている。つまり、24年で1000倍以上も通信速度が向上している。今後、5Gが導入されればさらに10倍、20倍と高速化されていく。
平成における携帯電話・スマホの進化を振り返る上で欠かせないのが、iモードと写メール、そしてiPhoneだろう。
どちらも、通信業界にとっては革命であり、我々の生活を大きく変えたといっても過言ではないはずだ。
平成11年2月22日に登場したNTTドコモのiモードは、これまでの「話す携帯電話」を「使う携帯電話」に進化させた。
携帯電話にブラウザを搭載し、インターネットコンテンツを手軽に閲覧できるようにした。オンラインバンキングやニュース配信、ゲームなど、iモード向けコンテンツが相次いで登場。「情報料は携帯電話料金と一緒に回収する」というビジネスモデルにより、ネットコンテンツで稼ぐ事が可能となり、多くのコンテンツプロバイダが潤った。
iモード対応機種は、そのころ一般的であった携帯電話のサイズ、デザインに収まるように開発されたのがヒットの要因のひとつでもある。当時、PDAといったように大画面をペンで操作するようなネット接続デバイスもあったが、爆発的なヒットには至らなかった。iモードは特に「普通の携帯電話」にこだわったことで、誰もが手にするインターネットマシンになり得たのだ。
iモードの登場により「パソコンは使えない」という人でも、携帯電話によってネットの利便性を享受することができるようになった。「誰もが使えるインターネット」という意味で、iモードは大きな功績を残したのだ。
写メールの衝撃とアプリの登場
NTTドコモがiモードで契約者を増やす中、平成12年に携帯電話にカメラを載せ「写メール」として売り出したのが、東京デジタルホンとシャープだ。
写メール初号機となる「J-SH04」は、11万画素というデジカメであったが(ちなみにiPhone XS Maxの背面カメラは1200万画素を2つ搭載)、その場で写真を撮り、メールで送れるという画期的な機能により大ヒット。以後、携帯電話にはカメラが標準搭載されるようになった。さらに、自分たちを撮影する「自撮り」が流行り、本体内側にもカメラが搭載され始めた。その後、スマホ時代にはInstagramなど、カメラを中心としたコミュニケーションが盛り上がりを見せた。
誰しもが携帯電話やスマホでカメラを使うため、近年はカメラ機能で携帯電話やスマホメーカーがしのぎを削っている。
携帯電話の時代、日本ではおサイフケータイやワンセグ、赤外線など、日本独自の仕様が多く、日本メーカーの携帯電話はガラパゴスケータイ、通称「ガラケー」と揶揄されるようになった。
そんな中、平成19年にアメリカで発売されたのがアップル・iPhoneだ。翌年には3Gに対応し、日本に上陸した。この年から、App Storeが始まり、iPhone向けにアプリが提供できる環境が整備された。これにより、世界中で発売されるiPhoneにアプリを配布できるというグローバル市場が生まれたのだ。海外で生まれたアプリが簡単に日本で手に入れられるし、日本発のアプリが世界で売れるようにもなった。
これまで携帯電話は、日本に閉じた印象があったが、iPhoneの登場で、日本と世界がつながったと言えるのだ。
スマホとアプリの登場により、我々の生活が一変したのは間違いない。
平成の携帯電話・スマホを振り返ってみると、何一つ変わっていないのが、人々が大切な人と繋がりたいと思う気持ちだ。携帯電話やスマホは、単に人とつながるための道具に過ぎない。平成初期は「もしもし、はいはい」という声のやり取りであり、それがiモードの登場でメールによるテキストと絵文字での表現に変わった。
スマホが普及すると、LINEによってスタンプが一般的に。また、FaceTimeによって、遠く離れた人とビデオ通話でコミュニケーションを楽しむ人も増えた。
どんな時代も、スペックや通信速度は違えど「誰かと繋がりたい」という思いで携帯電話やスマホを持ち歩き続ける。おそらく、今後、どんなに通信技術が進化しようとも「いつでも、どこでも、誰かとつながりたい」という思いは変わることはないだろう。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人編集部とオーサーが内容に関して共同で企画し、オーサーが執筆したものです】