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武豊騎手のトルコでの騎乗を振り返り、コロナ騒動の収束を願う

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
13年のトルコ。リラックスした表情で騎乗する武豊騎手

8年前、トルコに招待されて騎乗

 早いものであれからもう8年が経つ。ヨーロッパでもありアジアでもあるトルコで、国際騎手招待競走が行われた2013年。日本からは武豊が選出され、ヨーロッパから招待されたL・デットーリらと覇を競った。

 “トルコジョッキークラブ国際騎手招待競走”と銘打たれたこのイベント。世界各国から招待された名手5人と、地元トルコのジョッキー5人がそれぞれ4レースに騎乗。着順に応じたポイントで、個人戦とチーム戦での総合優勝を競った。

トルコに招待され、サイン会に応じる日本のナンバー1ジョッキー
トルコに招待され、サイン会に応じる日本のナンバー1ジョッキー

 世界選抜チームの一員として声のかかった武豊。この少し前、キズナに騎乗して5度目の日本ダービー(GⅠ)制覇という偉業を成し遂げていた。

 同じチームになったのは先述のデットーリの他、アメリカから招待されたJ・カステリャーノ、フランスのS・パスキエ、南アフリカのP・ストレイダム。いずれも押しも押されもしない自国のトップジョッキー達だった。

 競馬はナイターで行われたため、日中は街中を散策した日本のナンバー1ジョッキー。世界3大料理の1つと称されるトルコ料理などを楽しんだ後、舞台となるイスタンブールにあるヴェリエフェンディ競馬場へ移動した。

レースはナイターだったため日中はモスクやバザールなど街中を散策した
レースはナイターだったため日中はモスクやバザールなど街中を散策した

団体戦の優勝に貢献

 地元の競馬ファンへ向けたサイン会や歓迎式典を終えた後、芝1900の第1戦のスタートが切られたのは午後7時半。その後、30分置きにレースが行われた。

終始リラックスした表情だった日本の天才ジョッキーはポリトラックの1400メートル戦で3着。同じくポリトラックの1500メートル戦では勝ち馬とほとんど差のない2着。コーナーの途中からスタートするというトリッキーなコースだったが、終始好位を進み、直線1度は内から抜け出した。しかし、450メートルの直線の最後ギリギリのところで地元の英雄H・カラタスの騎乗馬に僅かに差されての惜敗だった。

惜しくも差されて2着に敗れた武豊(左)
惜しくも差されて2着に敗れた武豊(左)

 3レースを終えた時点で総合成績は3位だった武豊だが、最後の第4戦目の騎乗馬はブービー人気。残念ながらポイントを獲得する事はことは出来ず、優勝には至らなかった。

 しかし、確実にポイントを稼いだ事で世界選抜チームには貢献。団体戦では見事に優勝となった。

団体戦の優勝メンバー。後列左から武豊、デットーリ、前列左からパスキエ、カステリャーノ、ストレイダム
団体戦の優勝メンバー。後列左から武豊、デットーリ、前列左からパスキエ、カステリャーノ、ストレイダム

また世界各国を飛び回る姿が見られる事を願う

 午後9時でもまだ日の明るさの残る時期での開催だったが、全レース後、表彰式も終えたのは10時過ぎ。さすがに日の暮れた夜空の下、主催者が用意した打ち上げパーティーの席で武豊は言った。

 「自分自身トルコで乗るのはこれが2回目でした。なんとか初勝利をあげたかったけど、団体戦では優勝して、楽しく乗れたので良かったです。フランキーと一緒に乗ったのも久しぶりでしたしね」

 そう語る彼の顔に浮かぶ笑みは忘れられない。その後、トルコの情勢が悪化したり、今回の新型コロナ騒動があったりで、かの地への遠征がなくなったのは残念だ。1日も早く新型コロナ騒動が収束し、武豊の笑顔が世界各国で見られる日が来る事を願っている。

打ち上げパーティーでの1葉
打ち上げパーティーでの1葉

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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