【熊本地震】「このままでは地域が成り立たない」 100年続く村づくりに必要なものとは
熊本地震から2年が過ぎた。被災地の今を伝えるべく、今月は重点的に熊本県内各地を取材して回っている。まだまだ震災の爪痕が残る場所も多く、復興が道半ばであることを痛感する日々だ。そんな中、南阿蘇村で出会った一人の男性のことが、強く印象に残っている。
男性の名は、木之内農園の社長、村上進さん(54)。村上さんは地震前、同村立野に設置した1・2ヘクタールのビニールハウスで、イチゴの観光農園を営んでいた。九州屈指の規模を誇る観光農園は、県内外から家族連れなどが訪れる人気スポットに。年間4~5万人もの人々が訪れていた。
しかし、地震による土砂崩れで農業用水路と上下水道が断水。イチゴは全滅した。阿蘇大橋の架け替え場所に農地が含まれることもあり、木之内農園が立野地区で作付けしていた農地のうち、70%で耕作が難しくなった。イチゴジャムの加工場も全壊し、現在は阿蘇市の観光施設内で規模を縮小して製造している。
別の収入源を得ようと、村上さんはソバの栽培にも取り組んだ。しかし、野生のイノシシによって荒らされ、全滅。栽培は諦めた。試行錯誤の日々が続く。
村上さんが懸念するのが、地震による急速な過疎化だ。今回、立野地区では生活インフラが大きな打撃を受けた。生業やインフラがなくなり、そこで生活する人がいなければ、地域は成り立たない。
東京で生まれた村上さんだが、立野地区への思いは強い。「立野の人々がかつて整備したインフラを使って、農業をさせてもらっている。立野への感謝の気持ちを忘れたことはない」と語る。それだけに「今こそ地域に貢献したい」と、率直な思いを口にする。
「今」を考えるのではなく、「先」を意識しなければ、地域に未来はない。復興予算で見た目を元通りにしたところで、10年、20年後に地域が成り立たなくなることは目に見えている。50年、100年続く村づくりをするには、何が必要なのか。どうすればいいのか。村上さんは、頭を悩ませている。
村上さんは現在、観光農園を復活させようと準備を進めている。しかし、十分な水が得られないため、イチゴの苗を育てることが難しい。それでも「来年度中には再出発したい。それこそが100年続く村づくりの一助となるはず」と使命感を燃やす。
見た目を元通りにすることが「復興」ではない。その土地の「暮らし」を取り戻し、かつ未来へと続く環境を整備することこそが「復興」なのだ。新聞やテレビではさかんに「創造的復興」と叫ばれているが、本質的な「復興」とな何なのか。一度立ち止まって考える時に来ていると感じた取材であった。
※毎日新聞の連載「モリシの熊本通信」(2018年4月21日付)に一部加筆修正した。