『花子とアン』に見る男女の決定的な違い。男は面子、女は実利。
「石炭王の嘉納伝助ともあろうお方が、何をされているんですか!」
NHK連続テレビ小説『花子とアン』が高視聴率を得ている背景の一つは、男と女が大切にするものの違いが鮮やかに描かれる点にある。冒頭のセリフは、妻の蓮子(仲間由紀恵)が失踪して取り乱す嘉納伝助(吉田鋼太郎)を、主人公の花子(吉高由里子)の夫である村岡英治(鈴木亮平)が諌める内容だ。この一言で伝助はハッと我に返り、村岡夫妻に詫びを入れて、しょんぼりと肩を落として帰っていく。
その後、蓮子に裏切られたことを知った伝助は新聞に「反論文」を掲載しようと考えるが、親しい新聞記者から「あなたの名前を傷つける。あなたらしくない」と説得されて思い留まる。結局、周囲の思惑で掲載されてしまうのだが……。
何かと言えば金のことを持ち出し、すべてを金で解決しようとしているかに見える伝助。しかし、彼にとって最も重要なのは金ではなく面子と名誉であることは明らかだ。学歴や身分にも強いコンプレックスがある。
伝助は自分を立ててくれる人にはひたすら気前が良く、関係のない相手(通りすがりの酔っ払いなど)とは無用の喧嘩をしない。ただし、面子が傷つけられたと感じたら激しく怒って反撃をする。英治は印刷会社の跡継ぎ息子であるため、伝助を鎮めるのは面子の概念を持ち出すしかないとわかっていたのだろう。
一方の女たちはあくまで実利優先だ。「利」と言っても経済的な側面とは限らない。愛する人と穏やかな生活を送ることを何よりも大事にする。華族出身であれほど誇り高かった蓮子でも、愛人のもとに走った後は別人のように柔らかい表情になり、新聞記事による中傷も気に留めない。
花子が重要視するのも大好きな翻訳の仕事を理解して応援してくれる夫との生活であり、子どもが生まれた後は育児優先で働いている。男のように実利を離れた面子などはどうでもよさそうだ。
大人しい草食男子が増殖しているように思われる現代でも、基本は変わっていないと思う。むしろ仕事や男女関係では面子を失いがちな環境であるからこそ、男たちは委縮しているように思える。アイドルやゲームなどモテにくい趣味に没頭している成人男性も少なくない。
しかし、細かく見てみると、趣味のグループでも男は「誰が一番上手で物知りなのか」を気にかけており、序列が乱されることを好まない。一人きりで趣味にふけっている人でさえも、「この分野はオレが一番だ」と密かに誇っている。
相対評価の中で力を発揮するところが男の強さでもあり、弱さでもある。面子を立ててあげさえすれば、仕事や男女関係(夫婦関係も含む)においても男は伸び伸びと活躍を始める。少々の自己犠牲も厭わないだろう。
ボクたちを甘やかしてほしい、と言っているのではない。叱咤激励するにも時と場合があるのだ。
人前で男の面子を潰して良いことは何もない。むしろ面子がきっちり立つようにフォローして成長を促すべきだ。それができる賢く優しい女だけがいずれ大きな実利を手にするだろう。